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生き方の多様性を保て 養老孟司(2004、4/4 北海道新聞)
【家畜の疫病は警告する】
鳥インフルエンザ、牛海綿状脳症(BSE)、コイヘルペス・・・。
いずれも状況がよく似ている。 大量に飼育され、飼育条件が統制される。 人自体が家畜化された動物だという見方は、解剖学では19世紀から常識に近かった。
ヒト社会に急性感染症が流行したのは、都市化が始まって間もなくである。
中世のヨーロッパでは、しばしばペストの大流行があり、人口が半減した。 一箇所で大量に飼育される動物は、都市社会のひな型であり、いったん疫病の流行が始まると制圧が困難になる。 アマゾン奥地にて、いまだ古い習慣を守る人たちは、外部との接触を避ける。 病気を恐れるからである。
【繰り返す歴史】
いま家畜に起こっている疫病は、ヒト社会の歴史を遅れて繰り返しているように見える。
それなら統制は簡単で、ヒト社会で行われてきたことを繰り返せばいい。 すなわちインフラを整備し、動物を衛生的な環境においてやればいい。 それがいわゆる解決策であろう。
次に起こる問題は何か。 ヒト社会と同じことであろう。
そうした状況で飼育された動物は、はたしてまともな動物か ということである。
つまり都市生活を当然として生きている我々は、まともな人間か ということである。
本当かどうか知らないが、チベット民族の鳥葬に変化が起きているという。
鳥が人を食べなくなったという。 ヒトは生態系の頂点にあり、さまざまな毒物が濃縮して蓄積されている。 つまりヒトを食べると「あたる」。 野生動物は敏感で、毒になる食物を本能的に避ける。 昔からトラはヒトを襲わない。 ヒトを襲うトラは、他の動物を狩ることが出来なくなった老齢のトラだといわれていた。
フグ毒もまた、フグが自分でつくるわけではない。 餌の中になかにあった毒をフグがため込んでいるだけである。 BSEも似たことだと、牛に羊を食わせたために、牛がフグになっただけである。
【飼い主の資格】
どうせ食料として「殺してしまう」動物だから、いいかげんに育てたっていい。 そう思う人もあろう。 それは、「人間はどうせ死ぬんだから、今死んでも同じ」という論理である。 そこに見事に見えているのは、「生きる」とは どういうことか、それを置いてけぼりにした「近代思想」である。
「どうせ死ぬ」からこそ、「いかに生きるか」が問題なのである。 家畜の大量飼育が示しているのは、我々自身の生き方への警告である。
平和で安全な暮らし・・それが理想なら、それは家畜の暮らしと、どこが違うのだろうか。
ヒトは家畜化された動物の特徴を示すという、解剖学の結論をもう一度考え直して欲しい。
孝か不幸か、自然はそんな安易を認めはしない。 だからインフルエンザなのである。
そういうものが大きく広がらない為には、どうすればいいか。 多様性を保つしかない。
家畜のそれぞれが勝手気ままに行動したら、飼い主は怒り出すに決まっている。
それでも上手に生きものの生き方の多様性を保つこと、それが出来なければ、じつは「飼い主である」資格がない。 ヒトは自分が他より偉いと思う動物である。
しかし天災つまり自然は、「忘れたころにやってくる」のである。