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医療殺戮より学ぶ3
詳しくは本書を読んでください。(@@も載っています)
先回は
「しかし実のところ、この怪物はひどく脆弱である。なぜなら、あまりにも巨大
に
なりすぎたからだ。だからもし立ち向かっていったならば、この怪物が、単なる
張り子の虎にすぎないこともわかるだろう。」
で終わっているが、その巨大な「怪物」化したものの「正体みたり、枯れ尾花」
ではないが、これを「怖ろしい怪物」として見るか、単なる「張り子の虎」とし
て見るかは、個人の選択でしかない。
その自由裁量を自分自身で持っているし、しかもそれを誰の手にも任せるわけに
はいかない。それがこの新世紀の意味するところだろう。
アメリカでの医療の歴史をみると、この日本の医療がよく見えてくるようだ。
ただ、バカの壁とかいうやっかいな壁を自分で壊さないと、まったく見えて来な
いのも確かだろうが。
まずは「医学は確実に進歩した」という呪文から解き放されないと、おそらくこ
の本が何を言っているのか分らないだろう。
以下「医療殺戮」より抜粋
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●医療独占支配が米国民にまわした「ツケ」
米国医師会は医学は進歩したとしきりに宣伝しているが、記録をみれば米国人
の健康状態は明らかに低下してきていることがわかる。
一九世紀のあいだは、米国人の健康状態は着実に向上していた。これはおそらく
ホメオパシー医師たちのおかげであろう。当時、代表的な病気といえば結核であっ
た。一八一二年、結核による死亡率はニューヨークで一〇万人中七〇〇人であっ
たが、コッホが病原菌を分離した一八八二年には死亡率は一〇万人中三七〇人に
低下していた。一九一〇年、最初の結核療養所が開設されたとき、死亡率はさら
に低下して一〇万人中一八〇人であった。この死亡率は一九五〇年までに一〇万
人中五〇人にまで低下した。
記録によると狸紅熱、ジフテリア、百日咳、はしかによる小児死亡率が九〇%
も低下したのは、抗生物質や予防注射が導入される以前の一八六〇年から一人九
六年のあいだであることがわかる。
これは「食品医薬品法」F00dandDrugActが成立する一九〇五年よりも前のことだっ
た。
同法は政府が医薬品の州闇取引を監督することを定めた法律である。一九〇〇年
には米国人七五〇人に対して一人の医者しかいなかった。医者は普通二年間の見
習い期間を経て、出来の良い機械工とおなじ程度の給与をやっともらうことがで
きた。
この年、ジョージ・H・シモンズはすでに米国医師会誌の編集主幹をつとめて
いたが、彼は、「一人一人の医師会会員がこの仕事で常に儲けるためには、医者
の数が制限されなければならない」といって政治権力の行使を呼びかけた。これ
ほどあからさまに独占支配を要求する業界を他で見つけるのは難しいだろう。で
はどのようにしてこの目標は達成されたのであろうか?
魔法の杖をひと振りして医療に大変革をもたらし、このような独占支配体制を
確立した魔法使いは、誰であったのだろうか。それはほかでもない、世界一の大
金持ちで強欲な独占者@@@である。
@@@は巨大な石油独占体制の編成にまんまと勝利を収めたが、その勝利たる
や古代ローマの勝利と同じく血塗られたものだった。そしてその勝利の興奮がい
まだ冷めやらぬうちに、@@@イルド商会とウォール街に遣わされた@@@ルド
の密使ヤ@@とが創り上げた@@@は、医療を独占すれば石油トラストなどより
もさらに莫大な利益をもたらす可能性があると思い至ったのである。
一八九二年、@@@@は自分の代理人として@レを指名し「全慈善事業責任者」
という地位につけた。ご承知のように、@@@が世間に喧伝した「慈善事業」な
るものはいずれも、結局彼の富と権力を増大させたばかりでなく、真に隠れてい
た本当の主人[つまり@@家] の富と権力をも増大するよう特別に仕組まれて
いたのである。
@ツの69@@@への最初の貢献は、米国の医学教育制度全体を支配しようと
いう計画案だった。その第一歩となったのが@@@医学研究所の設立である。一
九〇七年、米国医師会はカー@@財団に対して全米にある医学校のすべてを実地
調査するように「依頼」した。
@@@財閥は@ネギー財団の運営をその設立の当初からすでに実質的に支配して
おり、以来この関係は現在まで続いている。カーネギー財団(五つの団体からな
る)が69@@@財団の単なるちっぽけな附属物にすぎないという事実は、財団
の世界では常識である。
(中略)
著名な科学者・教育者であるフランク・G・リドストン博士は 『なぜ米国医
師会は堕落するか』という小冊子を発行し、その中でこう書いている。
「米国医師会に巣くう寡頭勢力がもっとも誇らしげに吹聴してきた業績は、
専売薬品やインチキ薬品製造業者、ニセ薬品に対する遅まきながらの宣戟布告で
あった。これらの医薬品が医師会雑誌の広告を飾り、その広告収入でこの寡頭勢
力がボロ儲けしていることを考えると、その偉そうな態度に私は吐き気を催す。
米国医師会が何十年にもわたり、最善を尽くして業界の宣伝にこれ努め、罪
のない大衆の毒殺専門家やニセ医薬品製造業者どもを肥え太らせたのち『恩を仇
で返した』ことは、この組織の偏執狂的な体質にふさわしいものであった。現在、
食品会社や医薬品会社を支配している寡頭勢力の独裁的な権力は、非常に危険で
ある。人間の本性からいって、このような権力は遅かれ早かれ悪用されるからだ」
ジョーゼフスン博士も次のように述べている。
「米国医師会の認定章の歴史は、医療専門家と一般国民への裏切りに満ち
ている。医師会は有用な薬の認定を拒絶するかあるいは不当に遅らせ、逆に価値
のない、危険で死を招くような食品や医薬品を即座に認定してきたのだ」
(中略)
●フィッシュペイン=米国医師会の悪辣な営利活動
一九三八年四月二十日、タイム誌は、米国医師会の資産総額が、国債二〇〇万ド
ル、現金一〇〇万ドル、シカゴ本部ビル評価額八〇万ドル、合計三八〇万ドルで
あると報じた。同誌はまた、医療独占のあまり知られていない一面についても触
れ、「良心的な医者が足の痛みを直すための特別の靴を患者に勧めるにも、医師
会の許可が必要とされる」と述べている。医師会がどのようにしてこの 「矯正
靴」を独占したかは定かではない。一九六一年七月七日、タイム誌は、米国医師
会誌(1AMA)が発行部数一八万部で、一年間に一六〇〇万ドルの収入があり、
「刊行物広告収入の大半は主に製薬会社と医療機器メーカーの広告掲載料」 で
あると報じた
。
米国医師会の規約には、この組織は「医療技術と医療科学の発展を推進し、国
民の健康を改善するために」設立された、と書かれれている。
しかしながら米国医師会の歴史は、この目標とは正反対の活動に満ちていた。
(中略)
●続々と認定された危険な医薬品
フィッシュペインは医師会の正式な代表者であった期間中に、危険で恐ろしい
医薬品を数多く認定した。
人体に有害であるとの試験結果が出ていたにもかかわらず、悪名高いダイエッ
ト薬のジニトロフェノール [やせ薬として用いられた染料] の認定を急がせ
た。
また69@@@医学研究所の特許をもとにメルク社が製造したトリパルサミド
は、「ヒ素」を含む危険な薬であった。梅毒の症状を抑えるために使用されたが、
その後開発者のポール・エリック自身が、この薬のせいで視神経が萎縮して失明
する恐れがあることを発見してこの薬を放棄した。
しかしエリックが警告しても、米国医師会やメルク社、69@@@医学研究所は
受入れず、この薬を販売し続けた。
タイム誌の一九三七年七月二十一日号の表紙をモリス・フィッシュペインの顔
が飾った。しかしその写真は、すぐにも医者に罹った方がよさそうなフィッシュ
ペインの状態を、きわめてあからさまに写し出したものだった。タイム誌はその
年のはじめに、彼がベル麻痺[末梢性顔面神経麻痺]を患っていると報じていた。
顔面の右側はたれ下がり、明らかに健康状態が悪化していた。
フィッシュペインが犯した過ちのうち、われわれをもっとも危険にさらしたの
は、一九四一年にスルファチアゾール [肺炎などに使われた抗菌薬]を認定し
たことである。一九四一年一月二十五日にフィッシュペインは、ウインスロップ
・ドラッグ社製のスルファチアゾールが「米国医師会の製薬化学評議会により非
薬局方の新薬として会の公式リストへの登録を認められた」と発表した。ウイン
スロップ社は国際的医薬品カルテル、IGファルベン社の子会社であった。
スルファチアゾールを含む新薬は、FDA (食品医薬品局) のJ・J・ダレッ
ト博士によっても認可されたが、彼を指名してこの重要なポストにつけたのは、
ほかならぬ69@@@だった。一九四〇年の十二月までに、一錠に五グレーン
[約〇二二二四g] のスルファチアゾールを含む鎮静催眠剤ルミナールが四〇
万錠も売られた。しかし、安全な量は一錠当たり一グレーンまでだった。ルミナー
ルを飲んだ人々は、二度と目を覚ますことはなかった。
米国医師会は、九三七年、ジエチレングリコールを溶媒にしたスルファニルア
ミドのきわめて毒性の強い調合薬を認定した。しかし心臓病に「効果がある」と
宣伝されたこの調合薬は、患者の白血球の減少を引き起こし、多数の死者を出し
た。
フィッシュペインが去ってからかなり経つ現在でも、米国医師会は潜在的な危
険をもつ医薬品の販売を許可し続けている。
一九八五年に米国医師会誌の冬季号は、二〇〇ミリグラムのカプセル入り錠剤ス
プロール(スプロフエン)の特集広告を掲載した。これは一九八五年十二月にFD
Aが認可した鎮痛剤で、ジョンソン&ジョンソン社の子会社マクニール社が製造
していた。一九八六年二月十三日、この薬が急性腎障害を引き起こしたという最
初の報告を会社が受け取ったが、この年の十二月二日にFDAの関節炎諮問委貞会
は、スプロールを「鎮痛剤の代用品」として販売の継続を認めたのである。
しかし、この薬はすでにデンマーク、ギリシア、アイルランド、イタリア、英
国で製造禁止になっていたため、マクニール社は一九八七年の五月十五日によう
やく製造を中止した。
フィッシュペインの在任中でもっと非難されるべき出来事は、永年ヨーロッパ
で患者の命を救ってきたスルファニルアミドの認定を拒否したことである。その
理由は、この薬の製造元のメーカーがフィッシュペインの満足するような取りは
からいをしなかったためであるが、おかげでおびただしい数の米国人が敗血症で
死んでいった。
しかし、ルーズヴエルト大統領の家族のひとりが突然この病気に罹り、主治医
に頼んでスルファニルアミドを特別に入手させるにおよんで、フィッシュペイン
もようやく折れ、その後すぐに米国医師会理事会はこの薬を「認定」せざるをえ
なくなった。
一九三五年と三六年に医師会は、強心剤ジギトールを認定し雑誌に広告を載せた。
しかし、ちょうどそのころ、政府諸機関はこの薬が人体に有害な物質であるとし
て、州間取引の積み荷を押収し、廃棄処分を申し渡していた。さらにまた、エル
ゴツト・アセブティック [無菌麦角]も認定され、その広告が医師会誌で大々
的に取り上げられたが、これも同じころ連邦政府諸機関により、混ぜ物と不当表
示の容疑で積み荷の押収・廃棄処分が行なわれた。
●危険な薬漬けの「すばらしき新世界」
米国でもっとも悪名高い二人のニセ医者、シモンズとフィッシュペインの支配
によって全米にまたがる巨大な医療支配機構が完成し、これが今日すべての米国
市民の健康に重大な脅威を与えている。膨大な医療費 医薬品の価格が独占的に
決められていることが、医療費の急激な上昇の要因である。
一九六二年には国民総生産の四・五%であった米国の国民年間医療費は、一九七
六年には九五〇億ドルと国民総生産の八・四%に及んだ [一九九一年には七五
〇〇億ドルで、国内総生産の二二%]。一九五五年から七五年までの物価指数上
昇率は七四%であったが、医療費の上昇率は三〇〇%であった。
X線撮影
個人開業医のロバート・S・メンデルスン博士の計算によると、米国で行なわれ
ている]線撮影の三〇%、年間約三億件は医学的には何の必要もないという。政
府の専門家も、もし不必要な]線撮影を三分の一でも減らせば、年間に一〇〇〇
人のガン患者の命が救われると報告している(中略)
に関して責任を負うべき米国ガン協会ACS AmericanCancer SOCietyは、この事実
を無視し続けている。
現在の年間死者数から予測すると、]線が遺伝子に与える影響のために、将来は
米国全体で年間三万人の死者が出るだろうといわれている。
睡眠薬・精神安定剤一九七六年に米国で医師が処方した睡眠薬は一〇億錠にのぼ
り、約二七〇〇万件の処方のうちおよそ二万五〇〇〇人が副作用のために救急治
療室へ運ばれ、さらに約一五〇〇人が救急治療室で精神安定剤のために死亡した。
被害者の九〇%は女性であった。
一九八七年までに処方された精神安定剤の累計は五〇億錠に達する。
このうちもっとも悪名高いヴアリアムは、ホフマン・ラ・ロッシュ社に毎年五億
ドルの利益をもたらした。まるでオルダス・ハックスレーの小説rすばらしき新
世界』The Bra諾New WO@dに登場する神酒ソーマ (聖酒)のようである。
つまり「完璧な薬、麻薬、ここちよい幻覚剤」というわけだ。
アスピリン
英国での研究によると、アスピリン [解熱性鎮痛薬] は胎児障害、胎児死亡、
分娩障害、新生児の内出血をひき起こすということである。一方、米国では最近、
アスピリンの売り上げを伸ばすために、アスピリンを一日一錠飲むと男性は心臓
発作の予防になることが研究で「証明された」と宣伝する全国キャンペーンが、
展開されている。
けれどもちょっと考えてみると、このような習慣を身につけるよりも、とりあ
えずかかりつけの医師に相談した方が賢明であることがわかる。しかしこのキャ
ンペーンに影響を受け、さっそく恐ろしい心臓発作を予防しようとアスピリンを
毎日一錠ずつ飲み始める男性が、いったいどれほどいるのであろうか。彼らはア
スピリンの服用による副作用、すなわち消化管内出血をおこす可能性などは知ら
されないのである。
アスピリンが心臓発作を予防するといわれるのは、血液を薄くする作用のため
である。少し疑わしいがアスピリンには解熱作用があるともいわれている。しか
しとくに肺炎の初期の発熱を抑え、肺炎の症状をわからなくしてしまうために医
師が肺炎であることを見逃してしまう危険性がある。
アスピリンは胃の中で消化されるのに普通二〇分かかる。これはコップ一杯の
水[八オンス=約二三六・八CC] で飲んだ場合である。オレンジジュースで飲
んだ場合は、アスピリンはオレンジジュースに溶けないため、効果が著しく減少
することはあまり知られていない。
三〇〇〇種以上もの効かない薬
一九八〇年九月に食品医薬品局FDAは、三〇〇〇種以上の医薬品を効果が証明さ
れていないとして販売を禁止すると発表した。ということは、その前年一年間だ
けで「証明されていない」薬に一〇億ドル以上もの金を支払ったことになる。
これらの薬の多くは米国医師会に「認定」されたものであった。
そもそも発端は、一九六二年に食品医薬品法の修正条項として、一九六四年ま
でにすべての医薬品について効能を証明する資料の提出を義務づける法案が議会
を通過したことにある。しかし製薬会社各社は、この修正条項に従わせようとす
る政府のあらゆる圧力に反対した。そしてFDAにはたらきかけ、約一六年後の一
九八〇年に、効能が証明できない薬の販売禁止令を出させたのである。ふつう市
場に出回る医薬品の販売継続期間は、平均一五年である。
つまり、製薬会社は効能書提出の引き延ばし作戦によって、そうしたインチキ薬
品が本来市場で儲ける利益のすべてを吸い取ることに成功したのだ!
●医療情報統制協議会CCHIによる恐るべき組織犯罪行為
さて次に紹介するのは、米国史上もっとも驚くべき組織犯罪行為の記録であ
る。さきほど述べたように一九六l一に議会は、製薬会社に医薬品の効能の証明
を義務づける厳しい規制法案を可決した(このような法律を守ることは多くの場
合不可能だった。なぜなら、これらの医薬品にはもともと効能がなかったからで
ある)。
困った製薬会社に対して米国医師会や広告業界の仲間たちは、「小競り合い」
をすればよいというアドバイスを与えた。これは、製薬会社が自分で作った医薬
品の効果を証明できないという事実から注意をそらすために、牽制作戦に出ろと
いう意味だった。
この作戦は 「ニセ医療撲滅戦争」と呼ばれた。法律が施行されて二、三カ月
後、米国医師会の理事会は 「ニセ医療対策委員会」という新しい委員会を創設
した。そして一九六三年十一月二日には医師会の正式な下部組織となった。
この委員会の元来の目的は、全米のカイロプラクティック療法師をすべて撲滅
することにあった。当時、カイロプラクティック療法師は全米第二の規模の医療
組織だった。
まもなく委員会はさらなる「生け贅」を求めて触手を伸ばし、「医療情報統制
協議会CCHIJCOrdinating COnference On Hea−th @@@iOnを設立した。この下
部組織はニューヨークに本部のある製薬広告協議会という団体が発案したもので
あった。
しかし、その製薬広告協議会なるものは、グレー医療広告社の社長の机上にだけ
存在する団体であり、さらに同社はニューヨークの有名な「グレー広告社」 の
一〇〇%子会社だった。
医療情報統制協議会は表面上は単なる助言団体にすぎなかったが、医師会に
所属しない民間治療家に対する総力戟を米国全土でまもなく開始した。
攻撃のターゲットは通常、「非営利」 の米国医師会が選びだし、米国ガン協会
ACSや関節炎財団といった慈善財団がこれに協力した。この二つの団体は、民間
治療家が患者の命を救っているのにこの団体はどちらも患者を殺している、とい
う非難をいつも受けていることがおもしろくなかったのである。
これら組織犯罪集団は、連邦取引委員会や郵政省、FDA、公衆衛生局と連携す
ることで、連邦政府の警察権力をフルに活用した。
これらの政府機関に対して慈善財団は、全国の何も知らない何百人もの治療家
に警察権力を行使するよう強く要求した。この事件は政府機関が今までに関与し
たもっとも大規模で計画的かつ残忍な謀略であった。
その結果、多くの市民が「もっとビタミンを摂取しましょう」などと勧める無
害な健康法を書いた小冊子を販売したり時には無料配布しただけで、逮捕された
のである!
販売業者は郵政省や司法省、FDAから販売禁止命令を受けた。また主に薬草を
原料にしたさまざまな膏薬、民間治療薬を売っていた業者は、高い罰金を科せら
れたり刑務所に入れられたりした。彼らのほとんどは貧しい年寄りであったが、
手持ちの在庫品はすべて 「危険な薬」として没収あるいは処分された。けれど
もこれらの薬のうち人体に障害を与えたり、まして死に至らしめたと報告された
ものなど、なにひとつなかったのである。
製薬会社はこのような戦略の一方で、腎障害や肝障害、致死のようなさまざ
まな副作用をもつ自分たちの医薬品を販売し続けていた。しかしこれらの製薬会
社の方は、民間治療家と同じ理由で医薬品の販売を禁止されたことは一度もなかっ
た。
その後、いくつかの危険な医薬品が米国で販売禁止になると、多くの製薬会
社はその薬を南米やアジアなど海外に輸出した。そして今日でも販売されている。
たとえばシンテックス社[パナマ国籍の製薬会社] は、海外市場にステロイ
ド剤のダンピング輸出を始めたとき、それまで二〜三ドルだった株価が四〇〇ド
ルに跳ね上がっている。
医師会と製薬会社がとくに集中的に攻撃したのは、果物から抽出される抗ガ
ン物質「レアトリル」@aetri@eの製造販売業者であった。ガンで儲けている製
薬会社は、抗ガン剤から莫大な利益を得ていたため、これと競合するいかなる商
品に対しても極度に神経を尖らせ、ライバルを脅迫するために「手入れ」をする
よう政府機関に依頼した。
政府職員による襲撃は、たいてい夜中に行なわれた。連邦捜査官は武装した
特別狙撃隊SWATと共に店に押し入って、年老いた婦人を逮捕し、薬草茶の在庫を
押収した。こういった主婦や定年退職者の多くは、わずかばかりのビタミン剤や
健康食品を隣近所や友人に儲けなしで販売していた。彼らには、製薬トラストの
単なる操り人形にすぎない政府機関の一群を相手に、裁判で争うだけの資金もな
かった。たいていの場合、被害者は持家やコツコツ貯めてきた貯金など差し押さ
え可能な全財産を失ったが、このような結果になったのは、彼らが医療独占体制
を脅かしたためである。
この一件は実は、ある大富豪が自分の儲けになる事業を守るためもっとも露骨
に警察権力を利用した事件であった。被害者のほとんどは、自分たちを抹殺した
のが69@@@独占体制であることに今日でも気づいていない。
郵政省次官のシドニー・W・ビショップは、一九六三年の「第二回全米ニセ医
療対策会議」でこう誇らしげに述べた。
「私はとくに食品医薬品局と連邦取引委員会および郵政省がすばらしい取り
決めを結び、情報交換で協力関係を維持できたことを誇りに思っている。そのお
かげで犯罪者を刑事訴追にまで持ち込めたのだ」
これは「こセ医療撲滅戦争」での勝利を祝っての発言であった。
その後「医療情報統制協議会」は、医療独占体制を形成する主要な製薬会社で
あるレダリ一社、ホフマンエフ・ロッシュ社などの企業から全面的な資金援助を
受けていたことが明らかになった。
一九六四年から七四年まで、彼らは政治権力を利用した全面戦争を継続し、健
康食品や健康に関するアドバイスを提供した者は誰でも捜査し抹殺した。目的は
もちろん、大手製薬会社の競争相手を一掃することにあった。