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(回答先: 「臓器移植」 投稿者 れれれ 日時 2004 年 4 月 29 日 00:49:27)
蚊の有名な、れれれのおぢさん?ですか・・始めまして。 お〜でかけで〜すか。
>臓器移植しか助かる道がないとあきらめないで、
>漢方とか呼吸法とかいろいろな方法を
>試してみたほうがいいんじゃないかなと自分は思います。
…残念ながら、移植以外に(死から逃れる)道は無い患者さん達が、数多く苦しんでいます。
れれれさんも、例えば、腎臓の疾病で、透析治療されている人の話は聞いたことがあるかと思います。 幼少期より透析をしていて、小学生の低学年にしか見えない実際は20歳の人・・心身の成長も出来ずに、水や食べ物を(本当に辛い)厳しく制限され、それを受け入れるしか術がない人や、自身では身動きひとつ出来ない、透析治療用のベッドに皆で身体を持って移される際に、簡単に(脆くも)足骨・腰骨を骨折してしまい、苦痛のあまり医師に対し、「たのむから殺してくれ!」と懇願しても現在の医療体制では受け入れてもらえず、自殺すら出来ない人に、結果は、心身に地獄のような苦痛を与える「拷問」となっている現実。
しかし、これで苦しんでいるのは、決して患者本人のみではなく、家族・周囲が更に不幸な苦痛のどん底へと繋がっているのです。 詳細は述べるつもりはありませんが、「死」に直面した時、平然とそれを受け入れることは困難です。 日頃、「私は大丈夫、おとなしく受け入れます」などと言っている輩が、泣き、叫び、(親の)責任だ!と我を忘れ、取り乱している姿も また、しかたのないことなのです。 透析しても、病状は進行続け悪化するだけです。進行のスピードを減速させているに過ぎません。 一縷の望み…移植を縋るおもいで待っている人達は数多くいるのです。
確実に云える事は、「今日」より「明日」が確実に悪化し続ける事に、希望を持つことの困難さです。 このような状況下で苦しむ本人や家族に対し、安易に「頑張って下さい」等の言葉は
人として(大人として)とても言えません。
前にも書きましたが、人は希望が無くしては生きていけません。 現在は死にたいほどにどん底でも、明日・来月・来年…将来に対し善い事がある、今より善くなる・・と思えるからこそ、希望を持ち生きてゆけるのです。些細なことでもよいのです。 話は逸れますが、パレスチナやイラクの人々は、この将来に対する「希望」が無いのです。 あるのは「絶望」です。 それ故、子供や女性までもが、「人間爆弾」として、自ら死へと進むのです。
臓器移植の良し悪し以前の、私の個人的な「感想文」です。 れれれさんも、お近くに腎臓透析施設(病院)があれば、30分でも病棟を覗いて見てください。 一般に露出している、活字や映像だけの世界ではなく、「現場」がどのような状態なのか、いつ自分や自分の周囲の人達が当事者となるかわからないことをふまえて、実際に見て頂きたい。 多分、れれれさんにとり、貴重な経験になる筈です。 人の痛みを知ることは、とても重要と思います。