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(回答先: 船井農場からの飛び火 連載「何が起きた(5)」【京都新聞】 投稿者 処方箋 日時 2004 年 3 月 23 日 17:25:00)
同じころ、兵庫県姫路市の浅田農産本社は静まり返っていた。窓ガラスはカーテンで閉ざされ、玄関は鍵がかけられていた。2階にこもる浅田肇会長は、夕方になって記者の前に姿を現した。
「鶏が死ぬのがちょっと多かったので、22日夜解剖した。とさかの腫れなどインフルエンザの兆候はなく、腸が腫れていたからクロストジウムと思った」。腸炎を引き起こす細菌の名前を、会長は何度も口にした。
鶏の大量死が始まったのは2月20日とされる。その3日前の17日、浅田農産の幹部から愛知県の飼料会社の研究所に電話があったと研究所の獣医は証言した。「ちょっとようけ鶏が死んでるんや」との電話。「鶏を解剖したら、腸がソーセージのように腫れている」。症状を聞いた獣医は「腸炎かもしれない。しばらく様子をみてほしい」と伝えた。
獣医は、のちに鳥インフルエンザで鶏が大量死したことを知り、悔やんだ。「どうしてもう1度連絡してくれなかったのか。1000羽も腸炎で死ぬなんてありえない」
4日夜、浅田社長が府の聴取を受けていた。「腸炎と信じ込んでいた」と語ったという。7日の記者会見で、鳥インフルエンザを疑った時期に質問が及ぶと、社長と会長は口をつぐんた。「この場では差し控える」
▽会長の自殺
3日夜、同じ丹波町の高田養鶏場で感染が確認された。本社前で記者から一報を聞いて、浅田会長は崩れるようにしゃがみ込んだ。「頭の中が真っ白だ」。7日の会見では「世間にご迷惑をおかけし、深く、深く謝罪します」と頭を下げていた。その翌朝、会長が妻と一緒に、本社敷地で自殺しているのが見つかった。
事後処理を任された弁護士は「『楽になりたかったんだろうな』と言って、社長は何度も声をつまらせていた」と話した。浅田会長、社長はすべてを語ったのか。疑問は残ったままだ。(おわり)
写真=自殺の前日、記者会見に臨んだた浅田会長(手前)と、うつむいて答える浅田社長(3月7日、兵庫県姫路市・浅田農産本社)