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竹中平蔵は「平成のポルポト」だ --- 「不良債権処理強行」の即時中止こそが王道だ
2004年2月16日 月曜日
最近、私は「カンボジア戦記」という本を読み返している。
これは「革命」の名の下に多くの国民を死に追いやった
ポル・ポト政権が成立した1975年から、
91年のカンボジア和平成立までをレポートしたものである。
今なぜカンボジアなのかと思われる方もいるだろう。
しかし、今の日本の状況はポル・ポト時代のカンボジアに
あまりに酷似しているのではないだろうか。
そしてポル・ポトの狂気は竹中平蔵にそっくり受け継がれている。
75年に政権についたポル・ポトは「革命遂行」の名の下で
約4年間に数十万とも数百万とも言われる国民を
虐殺、強制労働による過労、栄養失調等で死に追いやっている。
中でも官僚、医師、エンジニアなどの知識階層については、
それだけで「反革命分子」とされ徹底的に抹殺された。
>01年に政権についた竹中平蔵は「構造改革」の名の下で
>約4年間に12万とも13万とも言われる国民を
>重労働による過労、自殺等で死に追いやっている。
>中でも商店、自営業者、などの中小企業階層については、
>それだけで「反構造改革分子」とされ徹底的に抹殺された。
彼の論理の特徴はまず市場原理による資源配分を否定し、
国家が必要な産業(彼の場合は農業)を決定した上で
不要とした産業を潰し、無理やり国民を農業へと移したことだ。
もちろん、農業だけで国民を養っていけるなどというのは妄想にすぎず、
経済はそれでガタガタになり餓死者もでるのだが、
「革命」のためには死者いくら出ても仕方がないとされた。
また、その「革命」を遂行する手段としては、
「反革命分子」を排除することが大切であるとされた。
そして、さらには排除すること自体が自己目的化して、
「革命」に不要とされた人々を殺害し抹殺することが
すなわち「革命」を進めていくことと同義とされていった。
また、「革命」の美名のもとに国民は重労働を強いられたわけだが、
そもそもの経済理論がデタラメな上に
「反革命分子」が次々と抹殺される縮小均衡の中で
国民がどんなに働いても経済が上向くはずもなく、
経済は疲弊し、多くの国民が過労や栄養失調で
次々と命を落としていった。
それでも彼は独善的な「革命」路線を変えることはなかった。
しかし、そもそもそんな彼がなぜ強権を握り得たのであろうか?
彼は「共産主義」という当時流行の思想を標榜し、
「階級敵」を攻撃する手法で大衆のルサンチマンに訴えたこと、
また、シアヌーク殿下という日和見主義だが国民的人気のあるカリスマを
前面に押し立て大衆の反発をかわす作戦をとることで
当初は大衆の支持を得ることに成功してきたのだ。
>しかし、そもそもそんな彼がなぜ強権を握り得たのであろうか?
>彼は「構造改革」という当時流行の思想を標榜し、
>「抵抗勢力」を攻撃する手法で大衆のルサンチマンに訴えたこと、
>また、小泉純一郎という日和見主義だが国民的人気のあるカリスマを
>前面に押し立て大衆の反発をかわす作戦をとることで
>当初は大衆の支持を得ることに成功してきたのだ。
もちろん、彼の正体が明らかになってくるに従い、
国民の支持は次第に彼から離れていった。
しかし、いったん実権を握った者を引きずりおろすのは
そう容易なことではない。
結局、79年のヘン・サムリン政権樹立まで
ポルポト政権は約4年間に及び、
数十万とも数百万とも言われる国民が命を落とし国土は荒廃した。
そしてその後も混乱は続き、日本もPKOで参加した91年の和平まで
延々と内戦が続いていくことになる。
こうして見てくると、今日の竹中の思考・行動パターンは、
ポル・ポトのそれと酷似してることに気付くだろう。
これは明らかに「極左」の系譜である。
決して米国流合理主義の流れにあるものではない。
中国の文化大革命やスターリンによる粛清、
また最近注目を集める北朝鮮に見られるのと同様、
常に左翼のいきつく先にある、ドン詰まりの「極左」である。
この流れがわかれば、若い頃左翼カルトにはまり
未だにその尻尾を引きずり続ける連中が跋扈するマスコミが、
竹中に傾倒する流れも理解できる。
例えて言えば、彼らがイタコとなってポル・ポトの亡霊を
現代の日本に呼び覚ましてしまったといえるだろう。
しかし、「極左」路線で幸福になった国はないということは
歴史が証明している。
それは所詮カルトでしかなく、いずれ必ず破綻に至り、
常に国民に大きなツケだけを残しているという歴史から学ぶべきだ。
「極左」カルトに変質してしまった「構造改革」は捨て去る以外にない。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwhh1899/page163.htm
小泉内閣がいう所の「構造改革」の行き詰まりは誰の目にも明白である。
その結果、じわじわと各方面から「ケインズ政策」
すなわち公共事業により需要不足を埋めていくことで、
経済の成長を実現する政策を求める声が広がり始めているようだ。
しかし、私はこの考えには全面的に反対である。
今、需要が足りないのは小泉内閣が「ワザと」やっていることだ。
それさえやめさせれば公共事業ではなく、
国民が自発的に欲しいものを買うことで景気の回復が可能なのに、
なぜ、わざわざ無駄な公共事業に国富をつぎ込まなければならないのか。
銀行が保有する国債の残高が過去最高の93兆円に達したという。
これも先日紹介した月間の為替介入が過去最高の7兆円に達したことと同様、
小泉内閣の狂った経済運営を示す象徴的な数字だ。
日銀はこの1月から日銀当座の残高目標を30〜35兆円にまで引き上げている。
それほどまでに日銀がしゃかりきになって資金を市場に供給しても、
銀行は金融庁の査定を恐れて貸し出し姿勢を慎重にせざるを得ず、
資金を国債に振り向ける以外にないということになっている。
これでは日銀がどんなに頑張っても金融緩和が社会全体に浸透していかない。
97年までは銀行の貸し出し残高は増加していたというデータがある。
つまり「不良債権」の「ある」「なし」自体は信用創造とは何の関係もないのだ。
真の「不良債権問題」とは不良債権の「存在の有無」自体の問題ではなく、
それを無理やり処理させたり、査定を強化したりすることによって、
銀行の貸し出し姿勢を萎縮させ、信用創造機能を毀損しているという問題なのだ。
今、「金融政策」が効かないとよく言われるのは、そうやって、
その波及経路を金融庁がワザと毀損しているからである。
それさえやめれば「金融政策」が大いに効果を上げる可能性は極めて大きい。
そういう情況を理解しないまま、「金融政策」がダメだから
「財政政策」しかないというのは論理の飛躍というほかない。
今の資本主義諸国の景気対策の主流は「金融政策」である。
また、経済資源の市場原理に従った分配という観点においても
「財政政策」より「金融政策」が優れているということも明白だ。
また、日本の危機的な財政状態を考えても、
これ以上の余計な「財政政策」を行う余力があるとも思えない。
「不良債権処理強行」の即時中止により銀行の信用創造機能を回復し、
「金融政策」の効果によって経済再生を図ることこそが真の王道でなのである。
最近、気になるのが小泉内閣の失敗が明白になるにつれて、
「ケインズ政策」のような「大きな政府」型の政策を主張する勢力が
また息を吹き返しつつあるように見えることだ。
しかし、小泉内閣のいう「構造改革」が失敗したのは、
「不良債権処理強行」という意味不明の統制経済的な政策を取り込んでしまった所にある。
「市場重視」、「小さな政府」、「官から民へ」などという
本来の「構造改革」の理念自体に問題があったわけでは全くない。
小泉内閣がそういう理念から外れて暴走したが故に失敗したにも関わらず、
意図的にそれに気がつかないふりをして、
日本を公共事業大国に引き戻そうとする勢力が蠢動している。
理念と行動があまりにも正反対であった小泉内閣の罪は
単にそれによる経済破壊という点だけに留まらず、
「だから改革はダメだ」という不信感を広く残したという点で万死に値すると思う。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwhh1899/index.htm
(私のコメント)
よく「失われた十年」と言われますが、97年ごろまでは金融機関もまだ機能しており、単なる大型不況と見られていた。銀行が抱える不良債権は今までにない巨額なものでしたが、信用創造機能は失われてはいなかった。ところが1997年を境に銀行は株式などの資産を処分し始め、株価はさらに暴落を続け、大型の銀行倒産が現実化していった。
橋本内閣のビックバン政策がこれまでの護送船団方式から、弱肉強食政策に変わったからだ。なのに不良債権の額と銀行の貸出額とには関連性がないにもかかわらず、不良債権処理が強行されるようになったのだろうか。それは不良債権が銀行経営の癌であるとして、不良債権処理を最優先とする政策が決定されたからだ。
私はリチャード・クー氏の主張するように、不良債権は時間をかけて解消させていく方針を支持してきました。もしどうしても早期に不良債権を解消させるのなら、不良債権を公的資金で買い取る方法を提案してきた。しかしこれらの方法は構造改革推進論者により葬り去られ、金融庁による銀行が持つ不良債権の厳格査定により、日本の銀行は次々と潰され外資に売られていった。
竹中金融大臣はまだ日本の銀行を潰し足りず、メガバンクの処分を考えているようだ。そのモデルともいえるのが韓国であり、一連の構造改革支持論者も韓国を見習えといっている。そういえば自衛隊のイラク派遣と言い、韓国の3000人の軍隊派遣と言い、最近は驚くほど韓国と日本の政治構造が似てきている。二つの国を背後で操っているのが同じアメリカだからだ。国会における竹中大臣の答弁はそれを裏づけしているが、以下の通りです。
◆不良債権処理 背景に米経済戦略 2002年11月8日(金)「しんぶん赤旗」
小泉内閣の「不良債権処理の加速策」の背景に、米金融資本の利益を代弁した米政府の経済戦略がある――。日本共産党の大門実紀史議員は七日の参院財政金融委員会で、「加速策」の強行は日本経済と財政の崩壊につながると批判し、撤回を求めました。
大門氏は、日本政府が「不良債権処理」の具体策をすすめるたびごとに日米首脳会談での対米公約があったことを指摘。さらに竹中平蔵経済財政担当相が九月の内閣改造で金融相を兼務することになり、「不良債権処理の加速策」に市場が反発、株価が大幅下落した際に、米大統領経済諮問委員会(CEA)のハバード委員長が「竹中大臣が進める方針を支持する」と表明。「加速策」に日本の大手銀行が反発したときにも、竹中支持を改めて表明したことを指摘。「竹中大臣の金融相の兼任はアメリカの強い期待があったのではないか」と強調しました。
さらに大門氏は、竹中氏が「学ぶべきだ」としている韓国での「不良債権処理策」を紹介。韓国では、主要銀行九つのうち七行が国有化され、六行が米国の大手投資銀行などの外資に売り渡されています。しかもその際に使われた公的資金は、韓国のGDP(国内総生産)の三割の百五十五兆ウオン。
「韓国のどこを学ぶのか」と大門氏が迫ったのに対し、竹中氏は「公的資金が必要になった場合は、速やかに投入して処理したことなど学ぶべきことはある」と答えました。
大門氏は「これでは経済はクラッシュ(崩壊)する。財政もパンクになる。日本の金融までガタガタにされて、最後に得をするのは外資しかない」と強調しました。
(私のコメント)
最近の経済政策に関しては私と共産党とは驚くほどよく似ている。韓国では大銀行9行のうち7行が国有化され、その内の6行が外資に売却されました。小泉・竹中内閣が企んでいるには日本の韓国化であり、ブッシュ政権を後ろ盾にしたアメリカの植民地化の推進である。最近はドルの買い支えをして1年で20兆円もの円をアメリカに献上した。
しかしこのような政策はアメリカにとっても良い戦略と言えるだろうか。アメリカがこのように露骨な経済侵略を行った場合、日本の反米感情は韓国のように激しくなり、ノ・ムヒョン大統領のような反米政権を生み出すだろう。私はその意味で警告しているのですが、小泉・竹中内閣は不良債権処理を強行しようとしている。
アメリカもハバード委員長をクビにして小泉・竹中内閣に「あまりやりすぎるな」と警告しているのですが、小泉首相はそれに気がつかないようだ。もっともブッシュ大統領自身が再選に覚束なくなり小泉内閣を道連れにして失脚するのでしょう。