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小泉内閣がいう所の「構造改革」の行き詰まりは誰の目にも明白である。
その結果、じわじわと各方面から「ケインズ政策」
すなわち公共事業により需要不足を埋めていくことで、
経済の成長を実現する政策を求める声が広がり始めているようだ。
しかし、私はこの考えには全面的に反対である。
今、需要が足りないのは小泉内閣が「ワザと」やっていることだ。
それさえやめさせれば公共事業ではなく、
国民が自発的に欲しいものを買うことで景気の回復が可能なのに、
なぜ、わざわざ無駄な公共事業に国富をつぎ込まなければならないのか。
銀行が保有する国債の残高が過去最高の93兆円に達したという。
これも先日紹介した月間の為替介入が過去最高の7兆円に達したことと同様、
小泉内閣の狂った経済運営を示す象徴的な数字だ。
日銀はこの1月から日銀当座の残高目標を30〜35兆円にまで引き上げている。
それほどまでに日銀がしゃかりきになって資金を市場に供給しても、
銀行は金融庁の査定を恐れて貸し出し姿勢を慎重にせざるを得ず、
資金を国債に振り向ける以外にないということになっている。
これでは日銀がどんなに頑張っても金融緩和が社会全体に浸透していかない。
97年までは銀行の貸し出し残高は増加していたというデータがある。
つまり「不良債権」の「ある」「なし」自体は信用創造とは何の関係もないのだ。
真の「不良債権問題」とは不良債権の「存在の有無」自体の問題ではなく、
それを無理やり処理させたり、査定を強化したりすることによって、
銀行の貸し出し姿勢を萎縮させ、信用創造機能を毀損しているという問題なのだ。
今、「金融政策」が効かないとよく言われるのは、そうやって、
その波及経路を金融庁がワザと毀損しているからである。
それさえやめれば「金融政策」が大いに効果を上げる可能性は極めて大きい。
そういう情況を理解しないまま、「金融政策」がダメだから
「財政政策」しかないというのは論理の飛躍というほかない。
今の資本主義諸国の景気対策の主流は「金融政策」である。
また、経済資源の市場原理に従った分配という観点においても
「財政政策」より「金融政策」が優れているということも明白だ。
また、日本の危機的な財政状態を考えても、
これ以上の余計な「財政政策」を行う余力があるとも思えない。
「不良債権処理強行」の即時中止により銀行の信用創造機能を回復し、
「金融政策」の効果によって経済再生を図ることこそが真の王道でなのである。
最近、気になるのが小泉内閣の失敗が明白になるにつれて、
「ケインズ政策」のような「大きな政府」型の政策を主張する勢力が
また息を吹き返しつつあるように見えることだ。
しかし、小泉内閣のいう「構造改革」が失敗したのは、
「不良債権処理強行」という意味不明の統制経済的な政策を取り込んでしまった所にある。
「市場重視」、「小さな政府」、「官から民へ」などという
本来の「構造改革」の理念自体に問題があったわけでは全くない。
小泉内閣がそういう理念から外れて暴走したが故に失敗したにも関わらず、
意図的にそれに気がつかないふりをして、
日本を公共事業大国に引き戻そうとする勢力が蠢動している。
理念と行動があまりにも正反対であった小泉内閣の罪は
単にそれによる経済破壊という点だけに留まらず、
「だから改革はダメだ」という不信感を広く残したという点で万死に値すると思う。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwhh1899/index.htm