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http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040131/mng_____tokuho__000.shtml
発明に二百億円−。青色発光ダイオードの開発者、中村修二教授は、高額な対価を勝ち取った。国内にはほかにも画期的な発明をした開発者たちがいる。個人ではなく、チームプレーを求める日本企業の一員として開発に取り組んだ「報われなかった科学者」たちの、この判決に対する思いとは−。
■「市場規模なら100倍なのに…」
「中村さんで二百億円なら、ぼくは二兆円ですね」
東北大の舛岡富士雄教授(60)は、今回の判決を受けて淡々と言い放った。
舛岡教授は、東芝の研究者だった一九八〇年代に、半導体集積回路(IC)で記憶がずっと保持されるコンピューターのメモリーを開発した。「フラッシュメモリー」と名付けられた記憶装置は、携帯電話やデジタルカメラから家電まで広く普及している。
「単純にマーケットサイズを比べても青色発光ダイオードの百倍になる」と説明する。
だが、舛岡教授がフラッシュメモリーに関する特許で、当時会社から受け取ったのは数万円だった。
「社内規定で、成果はすべて企業に属すことになっている。どこでもそうですが。成果をあげてもあげなくても同じなんです」と振り返る。
舛岡教授は、日本より先に海外で評価された。二〇〇二年六月に、米経済誌「フォーブス」国際版の表紙に取り上げられたのだ。
表紙を飾った日本の科学者は、中村修二教授に次いで二人目だった。見出しは「アンサング・ヒーロー」(称賛されない英雄)だった。
■対価毎年わずか「国産車1台分」
同誌は「フラッシュメモリー市場をインテルなどの米国勢が上位を占めているのに対して、製品を考案した当の日本企業が低迷しているのは、舛岡氏の発明を企業が正当に評価しなかったからだ」などと評した。
こういった批判もあり、東芝から対価が、数年前から毎年振り込まれるようになった。金額は「国産車一台分」(舛岡教授)程度だという。
舛岡教授は「最近、フランスで発行された『電気の歴史』という本で、フラッシュメモリーがぼくの写真とともに掲載されている。日本の技術で紹介されているのは三例だけですが」と説明する。
舛岡教授はしばしば中村教授と比して「訴訟を起こさないのか」と問われることがあるという。舛岡教授は金銭が目的ではなく、「評価」を問題にするだけに、そのたびに「ノーコメント」だと答える。
「中村さんへの判決は、今後の裁判で覆る可能性もあるだけに、慎重に見守る必要がある」としながら「日本の社員研究者にはいい情報だ」と歓迎する。
「日本では、米国のように億円単位の雇用契約を企業と結ぶ技術者はいない。成果をあげた技術者への評価が少なすぎるからだ。今回の判決で、米国並みとは言わないが、社内規定は開発者にとって良い方向に変わって行くはずだ」と話した。
「時代が変わったと思う」
バイオファーム研究所の遠藤章所長(70)はつぶやく。製薬会社で研究員をしていた一九七〇年代に、遠藤所長はカビから血中でコレステロールの合成を阻害する物質を発見、コレステロール低下剤(スタチン)を開発した。
海外でも心臓病の患者の命を守る“世紀の特効薬”と称され、世界中の製薬会社が商品化した。現在、世界で最も売れている薬の一つだ。
八五年に、コレステロールがたまる仕組みを解明した米研究者二人はノーベル賞を受賞した。七八年に遠藤所長は両研究者と連名で、論文を発表している。当時、多くの研究者が、遠藤所長も同時受賞すべきだと信じたほどだ。
遠藤所長は「三十年前のことですから。会社に家族を養ってもらうという意識が当たり前の時代だった」と前置きしながら、今回の裁判に「研究者自身の自覚が強くなった」との思いを抱く。
「日本は『みんなでやった』ということを尊ぶ企業風土がある。米国は逆に、みんなでやったことでも、一人のヒーローを押し出す社会だ。良い悪いではない。研究者の環境は違う」と指摘する。
■海外では隣人が研究者を誇りに
遠藤所長は「研究者の地位が海外と比べると低い。海外では、町の人たちが画期的な成果をあげた研究者を誇りに思い、大事にしてくれる。日本には優秀な技術者はたくさんいるのに、海外で認められるまでほとんど評価はされない」と指摘する。
七九年に製薬会社を退社した後に東京農工大で、学生らの指導をしてきただけに「こうした動きが、国内の研究者らのステータス(社会的地位)を高め、彼らの研究意欲につながれば」と願う。