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旧正月の連休期間、帰郷活動をした政治家たちが伝えた民心は「生活していくことさえ難しい」というものだったという。
「生活していくことが難しい話ばかりだった」、「会う人ごとに死にたくなる程だと話すほど旧正月の景気は悪かった」、「やはり経済回復に対する関心が最も大きかった」、「これからは政治家同士の争いはやめて生活苦に喘ぐ庶民の現実を振り返るべき」という意見が与野党の政治たちが伝えた旧正月の民心だ。
いつでも庶民の最大の関心事は生活に関連のある経済の問題だが、消費と景気の萎縮が1年以上続き、庶民が感じている苦しさは「死にそうな程」という悲鳴をあげる程度だということだ。
農村地域区のある議員は「都市に就職して農村に戻ってくる若者が多かった」とし、「皆、会社で首になった人たち」と話した。このような若者たちとその家族の挫折感は言葉で説明することはできないだろう。
輸出をしている大企業など一部の好況と経済指標上の反転の兆しとは裏腹に、国民の生活の底辺は依然、冷たい風の中に放置されているのだ。
庶民の生活苦と青年失業は、結局政治が解決すべき問題だ。経済の突破口をどこに置き、どのようにそこに力を傾け、そこから発生する“活性の風”をどのように国民の生活の底辺に満遍なく広げていくのかということこそ、現在世界各国の政治が悩んでいる核心的問題だ。
韓国の政治は大きな変化の時期を通過している。しかし現在のように「生活していくことが難しい」という国民の訴えが「都会と農家」、「東と西」にかかわらず、全国各地に広がらないようにするのが政治の使命だという事実は変わらない。その使命を尽くすことができなければ、変化や改革も空念仏であるだけだ。
選挙をひかえ政界が攻防を繰り広げることは充分にあり得ることだ。問題はその内容だ。「死にたくなる程」という国民の悲鳴を聞いたにもかかわらず、国民の生活苦をめぐる与野党間の攻防はどこを見ても見当たらない。これでは「ひどすぎる」という言葉が出ざるを得ない。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/01/24/20040124000039.html