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(回答先: この国は狂っている. 投稿者 まさちゃん 日時 2004 年 4 月 07 日 20:05:44)
全くその通りですね・・・。
>ここ数年,年間3万人の自殺者(交通事故による死亡者の3倍!)が出ているが,
>そのかなりの割合を経済苦から中高年者が占めていることも容易に予想できる
>(なんと,30代40代の死亡原因は,癌を抑えて,自殺が1位!).
・・・これ、実は・・ここ最近の、数年間は発表していない筈ですよ。 既に数年前のデーターでの発表だけ、新たな数字を何故発表しないのか・・一寸考える必要があります。
よく、人間何をやっても食っていける云々・・だから自殺するべきでは無い・・との言葉を聞きます。 一見正論でしょう。 しかし、強い人ばかりではないのです。 また、逆境や眠れぬ不安な日々を知ることなく無菌培養された輩こそ危険なのです。 家を持たないストリートやマンホールチルドレンのような状態は、日本以外の出来事では無くなっています。 日本もまた、家をもたないと云うよりも、家から追い出されてしまい、その後のフォローなんぞの全く無い現実があるのです。 ホームレス(路上生活者)にも、縄張りや争いがあるのは当然です。 また、住居が無いからアルバイトすら採用されない・・自力だけで復活することの出来る環境が無いだけではなく、先ず周囲のホームレスに対する見方や接し方・・人として認めない、風景の一部として・・この程度の感覚で扱かわれる恐ろしい現実。
世間から、人間失格の烙印をきっちり捺されて、平穏な精神状態でいられる人は少ないのです。
現代の日本において、何やっても食っていける「人種」は、少ない。 或る日突然家を追い出されたその結果、現実はホームレスの死は多く、この人たちの死亡数は たぶん発表していない筈。
「死」に対して、この「死」を意識することは、真摯な姿勢にて深く考えなければならない重要な事であるのだが、現代の日本は「死」を隠す。 「死体」に接することが極端に少ない人達は、確実に皆平等に、自分にも訪れる「死」に対する事から目を背け、他人事としか思わない。 バーチャルな世会で、確実に迫っている自分の終末を認識できない。 「死」を当たり前に認識するために、「死体」に接しなければならない。 轢死してミンチ状になれば、人でも犬でも同じということを、自分の目で確かめる・・「死」に対する姿勢が変わる筈。 首吊り死やどざえもん等、様々な死の状態を目で確かめる。 目をそむけない。 皆さんも(私も)時間が無いと云うことを肌で感ずることが出来れば、五感に感ずるもの全ての意味が違ってくる筈。
勿論、価値観も。
私も、現代のさもしく、デオドラントな世界に、まさちゃん同様違和感を強く感じます。
足ることを知り、自分の身は自分で守る 自分のために人生を終えるように、安易に群れることをせず、不良親父から糞爺へとなりたいもんですね。