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各位
このアンケートは、ぷち熟女さんとあっしらさんのやり取りを受け、
私が勝手に提案しているんですが、「経済や政治」と「愛やエロス」を
(「議論」板の同一スレもしくはその発展スレ上で)同列に論じてはどうか、
という発議に対する各位の賛否を求めるものです。
OKか否かと、そう答えた理由を簡単にお教え願えればと思いますので、
ご協力お願いします。
参照記事:
ぷち熟女さん(http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/964.html)
あっしらさん(http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/973.html)
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私なりに、このようなことを言い出した理由を説明します。
ぷち熟女さん:
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「雑談板でのやり取りでもそうなんですが:
あっしら様の書かれる言葉の意味や、それらの言葉から読み取れる概念の理解に
努めても、きっとそこから更に二度、三度と詰めの質問をしていかなければ
どうにも分からないだろうなあ、と思うところが多いですね。
雑談板でだって、理詰めでもうこれ以上説明のしていただきようがない、というところまで
行き着いても、本当のことを申し上げると、まだどんよりしたところのある事柄は残っています。
これは、普段あっしら様が政治・社会・経済問題について書いておられる時には感じないこと
なんですの。長壁さまやマドオンナさまが受け付けないところがあたくしにはオーケーなのは、
そこがかかわっているのだろう、と思います。
そういう問題についてあっしら様のおっしゃりたいことには共感できるわけです。
でも、雑談板でのやり取りや、こちらのスレになってくると、俄然苦しくなります。」
(中略)
念のため申し上げておきますが、ここでの論議は勿論、雑談板のやり取りでも、
別に何もプライバシーにかかわるような話を出さなければ理解が深まらないと思っているわけ
ではありません。
あっしら様がこんなスレでさえ、他の人なら感情で反応するところにも頑なに理屈だけで
お応えになろうとされるところを何かしらある種の壁か殻といったようなものなのかしらんと
勝手に認知しているだけの話かも知れません。
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あっしらさん:
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ぷち熟女さんを苦しくさせてしまっている原因は、第一義的には表現の稚拙によるものだと
思っていますが、言い訳を少々させていただきます。
まず、居直りとも言える言い訳になりますが(笑)、「恋愛論」や「自己愛」などのテーマは、
読者が苦しんだり反発を感じると思いながら意図的に書いています。
その苦しみが不快であったり耐え難いひとに、それを説き続ける気持ちはありません。
「なんのために?」ということになりますが、「近代」という現実を生きるなかで自分が培ってきた
考え方を一度は疑って欲しいと思っているからです。
(中略)
「自己愛」のスレッドをお読みいただけばわかっていただけると思っていますが、感じ方や
考え方を「自己愛」説であれこれ説明するのは愚の骨頂だとちゃんとわかっています。
それでも敢えてそのようなことを言い出すのは、自己を含む現実を感じ考える主体は
ある価値観に拘束されており、それが“彼ら”にとって都合がいいものになっているという考えが
あるからです。
逆説的に言えば、言わなくてもいい「自己愛」なんかを持ち出すことが、私の被拘束性の
証なのです。(そのような被拘束性を除去するのが心地よくなることでもあります)
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ここにはある種「永遠のすれ違い」があるようです。
お二方を代表選手のように扱うのもどうかと思いますが、「すれ違い」の好適なサンプルと
考え(お二方申し訳ない)、勝手に俎上にのせてしまいます。
この「すれ違い」を「永遠」にしないために、私なりに努力しているわけで・・・・・
ぷち熟女さんは、あっしらさんの意図「『近代』という現実を生きるなかで自分が培ってきた
考え方を一度は疑って欲しい」を、完全に理解されていると思います。でなければ、
「そういう(注: 政治・経済・社会)問題についてあっしら様のおっしゃりたいことには
共感できるわけです」とは仰らないでしょう。
換言すれば、「近代の制度的思考」が、「“彼ら”にとって都合がいいものになっている」
可能性をあっしらさんが危惧し、一部の「心情と論理がズタズタになっている人」の自戒を
求め、愛ある厳しい鞭をふるっていることは、私を含めて多くの人が理解している、
あるいは好感を持って迎えていると思います(私は「偽悪的」と表現しました)。
問題の肝は、にもかかわらず、なぜ、ぷち熟女さんが「どんよりしたところ」とか、
「俄然苦しくなります」と表明せざるを得ないのかという点です。
私が思うには、いみじくもあっしらさん自身が「被拘束性」と仰られているように、
あっしらさんが「制度的思考」を疑ってほしいと言って使用する、その当のことばが
「近代の制度的なことばづかい」に「拘束」されているからではないでしょうか?
ことばづかいはバカにできません。私はあっしらさんがそのことで苦役を背負い込み、
損していると感じます。それはめぐりめぐって「場」の雰囲気をつくりあげ、「議論」板全体の
損につながっていく恐れがあります。
なぜ、普段着で「制度的思考」をえぐらないのでしょう?
叱られている側が「硬直」していると思うのであれば、なぜ、それをやわすような、
あるいはときほぐすようなことばを選ばないのでしょうか?
あっしらさんの行き過ぎた配慮・構えが、どこかですみちゃんさんが仰っていた
「自問自答してるのかな?」という問いを招くのはごく自然なことだと思います。
「あたま」は所詮「からだ」の一部です。
あっしらさんの中にも「女」は入っており、そこを封印して「男」は成り立たず、
「人間」は完成しません。
ここはプチ熟女さんの親切な問いかけに普段着のことばで答えるのが「筋」では
ないでしょうか?(こういう意味で「筋」を通さないことが、プチ熟女さんにとって「不実」なんだと
思います。)
そこで提案なのですが、「利潤なき経済社会」や「非イスラムのセム系価値観」を語るのと
同じ場に、ぷち熟女さん(あるいは、興味のあるほかの女性陣)をお招きし、彼女らと同じ土俵で
彼女らに得心のいくことばづかいで議論してみてはいかがでしょうか?
「男」のまといがちな「自我の殻」、
「男」が逃げ込みやすい「議論は議論」、
あるいは「利口の壁」、
これらを粉砕し、「女」の入った完全な「男」とならなければ、向こう側へは飛躍できないでしょう。
(ホントは、Mさんが仰っているように「水行」でもやれば一発なのかもしれませんが。)
あっしらさん、どうか「下山」してきてください。
「被拘束性を除去する」するには、いったん降りてくるしかありません。
追伸:
私はあっしらさんのスタイルにケチをつけているわけではありません。
これまでどおりのスレ展開もOKです。
ただ、くだけた雰囲気でまじめに論じる場の必要性を感じるだけのことです。