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この世界には、いろいろな考え方の人がいる。
それぞれ対立する考え方があり、議論し火花を散らす。
だが、平行線をたどり解決することはまったく無い。
ありえないことであり、議論するだけ無駄である。
ムスリムにキリストの考えを押し付けることは不可能だし、逆もまたしかりである。
ネコに犬と結婚しろと言ってるようなものである。
考えを押し付けられた時に、怒りの爆弾は爆発する。
私たちには考えることが必要だ。
自分の常識だと思い込んでいる勝手な意見を押し付けていないかどうかをだ。
むしろ、自分がどうなのかを見るべきである。
人の事は自分の事を棚に上げて、いくらでも言えるのだ。
それは、要するに子供なのである。
例にとるならば、
イラク派兵に賛成する評論家は、先んじてイラクに自費にて復興支援にむかうべきである。
原子力は安全で必要というのなら、隣に住んで安全を証明してやるべきである。
今の日本人はなっていないという人は、自分が率先して手本を示すべきである。
今の警察がダメだというのなら、自分が警察に入って良い手本を見せればいいではないか。
今の子供はすぐキレルというが、自分はそんなに懐が深いのか?
大体の人は、そんなことは考えない。
自分が関係ない、自分は正義だと思うからこそ、言いたい放題いえるのである。
そして、それは何も解決をもたらさないだろう。
自分がやれることは何なのか?
自分が相手の立場であったなら、どう思うのか?
どうサポートしてやれるのか?
その辺りを、もう少し考えてみることが私たちにとって、
とても大事なことだと思う。
誇れる自分になるのはとても難しいことだ。