現在地 HOME > 掲示板 > 議論16 > 603.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
「カナンの呪い」の大部分は正しいと思う。しかし、最初の部分で、ユダヤ人がパレスチナに入った時点でパレスチナ問題は発生したのだという事を言わない。ユダヤ人自身が「カナンの呪い」から逃れるためには、一言、パレスチナには先住民がいて、自分達は侵略者であったので、宗教的理由からここを神の定めた「約束の地」であるなどと公言し続けるのは、間違いだ、と言う事ではないか?あまりにも恥知らずである。ユダヤは最初の住人ではない。実際はもっと別の場所にいた。そして、「約束の地」というのもそこにヒントがあるのではないか?パレスチナにばかりこだわっていても、決して幸せにはなれない。自分達の信じる神などというものがいかに侵略的に異民族の地に侵入したかについて、何の反省もないというのは、ちょっとあんまりじゃないか?しかし、欧米の歴史というのは、徹頭徹尾が「カナンの呪い」を利用した体制強化だったのだ。「カナンの呪い」は99%は正しいだろうが。
ところで、普通、自分の陰口を叩かれると傷つくが、フリーメーソン・イルミナチ・ユダヤのおどろおどろしいイメージは彼ら自身が利用していると思う。
インドを見れば、アーリア自体にも元々ユダヤと同様の寄生性があると考える。セムは問題だが、アーリアは美しく純粋。おれは嘘だろう。フランス革命前は良かったのか?清教徒革命前は?新大陸発見前は?ルネサンス前は?アーリア自体の寄生性を認めぬからヒトラーの悲劇が起きたのではないか?ユダヤを掘り下げた本は多くても、アーリアの掘り下げた本は少ないと思うが、アーリアが侵入しなければインドの先住民はカーストに苦しまずに済んだのだ。もっとセムだけでなく、アーリアにも深い考察が必要だと思う。文化的にも思考回路もかなり近いものを持っているように思う。