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マドンナさんレスありがとうございました。
私が言いたいことはこの社会をこのように動かせということではありません。労働の売り買いの無い社会とは手っ取り早くいいますと。労働共有型社会ということになります。つまり家族関係を見てみますとそこでは家族全体の労働が家族全体で共有されているといえます。親は子の労働を当てにして子を育てるのではなく愛情というかたちの中で子を育てていく。
人間の進化は猿からだといわれていますが、その中で人間に向かって進化してきた類人猿は数多くではなく、最初はほんの小さな家族単位だといえます。やがてその関係は家族関係の延長線上にある親族関係で構成された社会を形成してきたといえます。それが400万年とか500万年とかいわれておりますが、当然その社会では人間の労働が他者に利用されること無く。全体的な共有の元におかれていたと言い切れます。また話が戻りますが私自身はこのような社会を志向しているということは無責任に聞こえますが強制するつもりは無いということです。私が言えることはこのような社会があり(考古学的)そして時間の経過と共に現在の社会になってきたのだという種明かしを小さな知識ですがやっていこうとしていることです。このような社会を作るということではプルードンや、エンデなどが提唱したシステム、またはトフラーが予見したようなシステム(一連の)でもいいと思っております。どのような社会が、それは一人ひとりの人が考えるものであり強制できるものではありませんと考えております。ただ基本となるのは人が費地を使って利潤を得るという行為、つまり他者の剰余労働の私有化、簡単に言えば、労働の売り買いという行為が人間緒社会から無くなれば戦争も無く、失業も無い社会が理想ではなく実現できるということです。
ここで一つの分を引用しておきます。
楢篠賢司著 (人が人を使って利潤を得ても良いという権利、人はそれを誰に貰ったのか」文芸社出版。179ページ。「古い時代の社会主義社会を考える時、人はごく自然に、原始共産主義に関するマルクス主義的歴史理論を思い浮かべるであろう。ところが、初期シュメールの都市国家は、我々が今日考えている社会主義とは全くかけ離れた存在なのである。シュメールの社会主義は、マルクス主義の歴史家が言っているような、先史時代の財産を持たない集団が作る原始共産主義でもなければ、階級のない社会でもなかった。
シュメール人の階級なき状態は、その最も先史時代には存在した。しかし都市の発達と共に、今日の人民民主主義のような官僚国家が生まれてきた。それは人々が私有財産を持たず、土地所有権が神すなわち神殿管理者の手にゆだれられていた限りにおいては、社会主義的な相貌を呈していた。
そのような都市国家にあっては祭司は年の守護神として共同体とその住民に直接かかわ利あっていた神を代理する人間と自らを見做していたのだ。その際、祭司として土地を管理すると同時に神々の前に現れる者と、その他全ての市民との関係は、紛糾を呼ばずにはいなかったであろう。
そうした祭司の地位強化に対する要望、いな必要性は、やがて祭司官僚階層を生むこととなった。その際初期の間はなお、私有財産を持たないという一般的な状態は保たれた。経済的にすべての市民は平等であった。祭司の地位は単に代理的な意味しか持たなかった。どのくらいこうしたっ状態が続いたのか、わからない。だが文字誕生の時点つまり紀元前4千年紀から3千年紀への変わり目頃には、初期の資料に見られるように、すでにそうした時代は過ぎ去っていたし、ほとんど忘れられてさえいた。
たぶん、祭司は初期の純粋に代理的な地位に満足できなくなったのであろう。彼らは神殿の財産から私有財産を引き出し、やがて大土地所有者になった。こうして所有者または特権保持者としての地位は、人々の強い服従の念があって初めて、共同体において維持することができものである。これは」多くの場合、多大の犠牲を払った上で購いえたもののようである。『シュメール文明ーー古代メソポタミアの源流』ヘルムート・ウーリッヒ著 戸叶勝也訳 佑学社
「5000年前の社会主義」いう見出しの付いたこの文は当時の社会を完璧なかたちで言い表していると考えられる。ただこの文にある「シュメール人の階級なき状態は、初期の先史時代には存在したというように、余剰生産物が公的所有物として、全体の管理下におかれていた時代ではそのことが正しい。ではマルクスが間違っていたのかということになる。マルクスが私有財産の始まりを不平等の始まりだととらえたとき。この社会を描くことができなくなった。なぜなら個人的には財産としての土地所有、他、もろもろ私有財産としては、個人としては日常的な私物以外、物の所有がなかったからであり、全体の労働で得た余剰生産物は神殿管理者の手にゆだねられていたからである。だが本来神殿管理者の手にゆだねられていた公的所有物は、全体の労働で得た物であり、全体の合意なくしては動かせないものである。しかし神殿管理者は人間の合意よりも、神との合意を尊重したのである。それは自身への問いかけですむからである。
以上の引用は楢篠賢司氏の文からである。氏は不平等の始まりは全体の労働で得た公的所有物を、神との合意のもと一部の人間が私的に流用したことから始まってきたのだということをその著書の中で説明している。
以上ですがいかがでしょうか