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◆ 「目糞鼻糞」のニヒリズムから「五十歩百歩」の倫理へ
■連載も最終回だ。付録CD-ROMには1月30日収録のマル激149回「米英の大量破壊兵
器論争と日本の自衛隊派遣」を収めた。映画監督の森達也氏を迎え、今般のイラク攻撃問
題とメディアの機能との関わりを総括した。最終回に相応しい濃い内容だと思う。
■イラク攻撃の根拠とされた大量破壊兵器を巡り、米国ではCIAのケイ特別顧問が大量
破壊兵器は存在しないと明言、大量破壊兵器捜索の責任者を辞任した。英国では特別調査
委がイラク攻撃に反対したBBCの報道に誇張があったと裁定を下し、トップが辞任した。
■他方、日本では大量破壊兵器の有無を巡るイラク攻撃の大義が問われることもなく、1月
16日に陸自先遣隊編成記念式(事実上の出陣式)が催され、国会で派遣が事後承認された。
番組では、まず日本で起こっていることを検討し、次に英国BBC問題を検討した。
【「流れ」を止める契機はどこに?】
■今般の日本を見るにつけ、丸山真男『超国家主義の論理と心理』を想い出す。「私が舵
を切った」と語る責任者がおらず、誰もが「流れに抗えなかった」と答える責任者不在の
奇妙さを、丸山は問題にした。選択的な既成事実に既成事実が積み上がり、気が付くと…。
■日本のメディアにもある時期までは自衛隊派遣への異論が溢れた。が気が付くと、日本
のメディアだけが大量破壊兵器問題をスキップ。サマワの族長らが自衛隊派遣に何を期待
するか、自衛隊は何をなすべきなのかを報じている。既成事実に既成事実が積み上がる…。
■丸山が批判した共同体主義もあろうが、どこかに流れを止める契機はないか。確かに勝
ち馬に乗るほうが儲かるとの損得勘定は重大だ。マルチメディア化によるパイ細分化で既
存メディアの生き残りが危うくなり、損得勘定に一層シビアにならざるを得ない状況だ。
■資本の寡占化の下で勝ち馬に乗る動きは米国も同じだ。違いは日本がパイの全体を記者
クラブ加盟16社が分け合うのに対し、米国はパイの9割を大資本が寡占化しても残り1割
を巡って弱小メディアが凌ぎを削る点。「残り1割」が時間が経つにつれて逆バネとなる。
■同じマスヒステリーでも、日本は逆バネのなさがハンディキャップとなる。典型が北朝
鮮への制裁法。制裁法は「伝家の宝刀」。抜けば最後、効力を失う。まず制裁法案を通す
かどうか。次に制裁法を適用するかどうか。二段階で北朝鮮との交渉チャンスが生じる。
■だが交渉も何のその、早々と制裁法案を通してしまった。第一段階でこの「早漏」ぶり。
世論に押されて第二段階でも「早漏」し、戦略的コミュニケーションに失敗しよう──と
いった議論がなされる「残り1割」のメディアがないのだ。これでは逆バネも糞もない。
■番組では繰り返し記者クラブ制度、宅配制度、集中排除原則の不徹底を問題にしてきた。
もうお分かりだろう。市場を機能させないことで既得権益を温存する不公正もさることな
がら、かかる制度が温存される限り「残り1割」が機能することは永久にあり得ないのだ。
【一筋縄でいかない世界に耐える】
■丸山が問題にした「流れに抗えない」現象。本当に誰も誘導する者のいないスタンピー
ドか。むろん権益便乗勢力もあろう。権益ゆえに火に油を注ぐ勢力もあろう。しかしコア
は善意の付和雷同勢力であり、特に流れを既定前提とつつ最適化を図る政治家・官僚だ。
■だが問題は一筋縄でいかぬ。私は確かに対米追従を批判するが、実は問題は簡単でない。
「一身独立して一国をなせ」ば直ちに天皇制が問題化する。米国は長年の間接統治を通じ、
戦前からの国体継続(象徴天皇制)と民主制が両立するかのごとき自明性を作り上げた。
■政治理論では民主制の対立項は独裁制。民主制は君主制と両立可能だ。だがこの可能性
は市民が国王をギロチンにかけたり従わせたりする歴史なくして現実化できない。だから
日本で現に両立するか怪しい。だが怪しさを対米従属の「流れ」が隠蔽した。「流れ」を
遮断すれば、怪しさは端的に顕在化する。我々に「流れ」の遮断に耐えうる民度はあるか。
■一筋縄でいかない事情は、違った形で英米にも見られる。確かにBBC記者は大量破壊
兵器疑惑が英国政府による誇張なのを明らかにする記事で、情報源を誇張(リサーチャー
を政府高官だと記した)、批判を浴びた。お陰で、英国政府による誇張の方は吹き飛んだ。
■どちらの誇張が重大かというバランス問題もある。もっと重大なのは、でっち上げ情報
による何万人もの殺戮を抑止すべくワザと小さな嘘を付くことを、批判できるかだ。確か
にジャーナリズムの自殺行為だが、ジャーナリズムなど世界の相対的な局所に過ぎない。
■清廉潔白たらざる者に批判の資格なしとの立場もあろう。だがこの立場に立てば我々は
米国の「臆面のなさ」を批判できない。先進国で豊かな生活を送っているだけで──シス
テム内を生きているだけで──我々は常に既に「臆面がない」。目糞鼻糞を嗤うの体だ。
■現にかくのごとき論理で居直るのがネオコン的ニヒリスト。洗練潔白主義では太刀打ち
できない。我々は「目糞鼻糞」から「五十歩百歩」へと移行せねばならぬ。五十歩進んだ
後ろめたさを持つ者が百歩進んだ者を咎める振舞いの中にしか、今日の倫理はありえない。