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「フランケ=グリクシュの報告(アウシュヴィッツについての親衛隊報告)」について
http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/1036.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2003 年 12 月 25 日 00:27:52:SjhUwzSd1dsNg
で紹介した
http://clinamen.ff.tku.ac.jp/Holocaust/SS_Report.html
アウシュヴィッツについての親衛隊報告
のなかの「この部屋には、三つの大きな柱があり」という記述がどうにも気になっていた。なぜ「3」なのか?
親衛隊長の報告としては極めて瑣末な事柄である。施設によって異なるはずの数字だ。こんな数字を報告書に書いても意味がない。
しかし、ユダヤ教徒が行う生贄の儀式としては宗教的に重要な数字なのではないか?
こんなのを見つけた。
* 「アブラハムは…イサク(息子)を…燔祭としてささげる」の「燔祭」が「ホロコースト」。新共同訳聖書創世記22の「焼き尽くす献げ物」。
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http://66.102.7.104/search?q=cache:VhjEj3977eMJ:www.page.sannet.ne.jp/kkawana/Genrikouron/Ato/1syouaburahamukatei.pdf+%E5%85%B1%E5%90%8C+%E7%87%94%E7%A5%AD&hl=ja&ie=UTF-8
http://www.page.sannet.ne.jp/kkawana/Genrikouron/Ato/1syouaburahamukatei.pdf
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それでは、アブラハムが象徴献祭としてささげた鳩と羊と雌牛とは、果たして何を象徴したのだろうか。この三つの象徴的な供え物は、三段階の成長過程を通じて完成する天宙を象徴するのである。
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アブラハムはこのようにイサクを再び神の側に分立させるための新たな摂理路程を出発するために、モリヤ山上で彼を燔祭としてささげるまで、三日期間を費やした。ゆえに、この三日期間は、その後も引き続いて新しい摂理路程を出発するとき、サタン分立に必要な期間となったのである。
ヤコブもハランからその家族を率いて、家庭的カナン復帰路程を出発するとき、サタン分立の三日期間があった(創三十一・20?22)。
モーセも、エジプトからイスラエル民族を率いて民族的カナン復帰路程を出発するとき、サタン分立の三日期間を過ぎたのちに、紅海に向かって出発した(出エ八・27?29)。
イエスも霊的な世界的カナン復帰路程を出発するとき、サタン分立の墓中の三日期間があった。
また、ヨシュアを中心とするイスラエル民族がカナン復帰するときにも、本陣に先だって彼らを導く契約の箱が、サタン分立の三日路程を進んだのである(ヨシュア三・1?6)。
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それとは別に、「死体の髪は切り取られ、専門家(ユダヤ人)の手で、歯(金歯)が抜き取られる。…この仕事はユダヤ人囚人によってなされる」のなかの「専門家(ユダヤ人)」って、何の専門家なのだろうか? というのも疑問だった。
以下の記事によると「祭司」のことになりそうだ。祭司を役割をドイツ人にやられては困るということだろう。
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http://www2.justnet.ne.jp/~higutisu/levi.htm
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《奉納者が・・・屠る》牛を臨在の幕屋の入り口で屠殺するのは、献げる者の仕事であった。《屠る》(シャーハト)は、元来「喉」に関係があり、動物の喉を切って殺したのである。
しかし、《血》の処理をするのは祭司の仕事であった。《血》は《祭壇の四つの側面に注ぎかけ》ねばならなかったが、それは血は生き物の命であるゆえに(一七・一〇−一四)、祭壇に注ぎかけることによって命の創造者に返すことが意図されたのである。
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