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ついに見たあの「ラストサムライ」
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投稿者 戦争屋は嫌いだ 日時 2004 年 1 月 10 日 11:00:50:d/vusjnSYDx0.
 

ラストサムライ(The Last Samurai)

英国では今日封切りであった。はっきりいって論考に値しないような駄作であったが、せっかく見たのでもったいないから一応感想を記しておきたい。

冒頭から30分程は「この映画は史実に基づいているのかな」と思わせるが、途中から完全なインチキ映画であることが判明する。

先住民(native American)虐殺の心理的トラウマからアル中状態にあった騎兵隊の退役大尉、ネイサン・オルグレン(トム・クルーズ)が、兵器産業から顧客(日本の官軍)への付加価値サービス(軍事教練担当)係として反乱軍鎮圧に参加させられ、西郷隆盛と思しきカツモトなる反乱軍首領(渡辺謙:確か大分以前に白血病で死にかけた俳優だと思うが、無事回復したようで何よりだ)の本拠地で捕囚の身となり、アル中脱却を機に最後は何と武士道に帰依してしまうという話である。「変な外人」のはしりといえよう。

ただしカツモトの手勢はほとんど16世紀の野武士集団といった風体で、武器は弓矢と槍と刀だけである。この総勢500人の旧式な軍勢で、大砲やガトリングガンで武装したミカドの軍隊と合戦したというのである。おまけに明治維新後の話だというのにカツモトを襲う暗殺者は何と忍者軍団である。一見歴史映画風だが、実は歴史のつまみ食いによる、全く無責任なフィクションである。こういう映画を作るならまず冒頭で、「これは史実とは全く無関係なフィクション、というかファンタジーです。」とでも断り書きを入れるべきである。こんな映画で日本の歴史を垣間見た気になる観客が出てくるのではないかと心配になる。なにしろこのカツモトなる武士は日本の山奥に籠もっているくせにとんでもなく達者な英語を操り、やたらと西洋風のマナーで表情豊かに話すのである。(とはいえ渡辺謙はなかなかの熱演で、英国人の評価も高くクルーズは事実上渡辺に食われた形となった。)

傑作だったのは冒頭の場面でBilly Connolly(英国随一の喜劇俳優)が出てきて、お得意のグラスゴー訛り(Glaswegian)丸出しでトム・クルーズをリクルートする三下軍人の役を演じていることである。観客もみんな「なんでまたあいつがこんな所に!」といって苦笑していたが、この三下は冒頭20分を過ぎた時点であえなく戦死して消える。Connollyも超売れっ子だからこんな映画にいつまでもつきあっていられなかったのだろう。

ズウィックなる米国人監督は日本通との触れ込みである。確かに外国人の映画監督が日本を描く際に、しばしば中国との区別もろくについていないことが多いのに比べれば大分ましであることは間違いないし、カツモトの根拠地たる山村の描写は、なかなか美的センスに富んでおり、日本の風土・文化に対する相当の憧れ・敬意のようなものは感じられる。

ただし気になったのはやはり主君、というか偉大な大義のために戦い命を捧げることは美徳だ、という価値観の押しつけである。これがサムライの道(武士道)として描かれているのである。「おいちょっと待ってよ。」と言いたくなる。一般的な武士道の解釈はさておいて勝手を言わせてもらうなら、本当のサムライとは、禄高が目当てで主君のために戦う尊大ぶった武家のことではなく、収穫をことごとく野武士集団(brigand) に収奪されて、どん底の生活にあえぐ農民に同情して、事実上無償で立ち上がった「七人の侍(黒澤明監督)」のような人々のことをいうのである。

思えば「七人の侍」は秀逸な作品であった。脚本の出来が全く違っていた。映画は一に脚本、二に脚本だとつくづく思う。(むろん総合芸術たる映画を創造する者は、脚本が書けて、というか少なくとも吟味する能力があって、かつ美術(映像)と音楽にも長じている必要があるわけだが。)すべてのセリフが全体的なストーリーの流れの中で意味を持ち、一つとして無駄がない。一方ラストサムライの登場人物の言動・行動には自然な流れがまるで感じられないが、これはひとえに脚本家の無能によるものである。特に終盤の展開は最悪で、明治天皇(昭和天皇にそっくりの役者だ)、オオムラ(これは当時の死の商人として悪名高い大倉財閥をもじったものか?:閣僚にして武器商人で、戦場では指揮官まで務め、何と日本人の兵隊に英語で命令を発するのである!)らの登場人物の言動・行動がすっきりとロジカルに納得できないまま推移する。武士道を形式的に美化することが最優先されていることからくる弊害である。ようするにカッコをつけすぎているのである。

反乱軍の幹部を演じる真田広之などもなかなかの好演でそれなりにカッコよく撮れてはいたが、黒沢映画における三船敏郎とは比べるべくもない。さらにカツモトの義理の妹を演じるコユキなる女優も、決して悪くはないが、原節子、八千草薫、香川京子、河内桃子といった昔の本格派日本女優と比べると、「小便臭い」というかやはり気品・貫禄といった点でランクが違うね、といった感じである。(懐古趣味に過ぎるかな)

ところで最近見た映画にあのラッセル・クロウが主演するMaster and Commander(邦題は不明)とThe Lord of the Rings III (Return of the King)がある。前者はかなりの傑作で海戦の場面など桁外れの迫力であったが、やはり戦争を美化しているものと見るべきで、各紙の評価でも「我々の先達がどのような苦労をして大英帝国を維持したか、若い世代にとっては教訓となろう。」といった評価が多かったし、後者も「異質な集団とは所詮理解しあうことは不可能であり、戦うしかない場合は血を流すことを恐れるべきではない。」というメッセージが明らかであった。(ここでの異質な集団はやはりイスラム教徒を想定しているように思えてならない。)

このような各種戦意高揚映画の流行は、今日の映画資本が軒並みユダヤ系財閥の系列にあることを考えれば、やはり何か特定の意思が背後にあると考える方が自然である。カツモトの配下の武士集団をはじめとして、ラストサムライで描かれる日本人の勇ましいことといったら、「古来勇敢な武人の集団だった日本人の子孫が今は一体何ていうザマだ、しっかりしろ!」というようなメッセージ、に加えて「だからイラクにいって命を惜しまずにしっかり戦いなさいね。」なんていうおぞましい激励さえ聞こえてきそうだな、というのが正直な印象である。この辺は阿修羅でも既に指摘されているところではあるが。

この映画の中で見るべきところは既に触れたように昔の日本の山村の描写における美的センス、と渡辺謙の演技、殺陣(これは結構迫力があった)、とそれから敢えて言うなら、アメリカ先住民の虐殺を認めている点、それから明治維新の背後に死の商人の暗躍があったことの率直な描写くらいか。
(戦争屋映画評点:D(A〜Eの5段階評価))

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