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(回答先: 小泉が首相だろうが個人だろうが、どこへ参拝しょうとまったく自由である。自由でなければならない。 投稿者 ブッシュ小泉 日時 2004 年 1 月 04 日 16:28:31)
多くのメディアや政治家やゴミや自称知識階級あたりは靖国神社の事になるといつも、
中国韓国北朝鮮あるいは一部東南アジアの「激昂した反日心情」の程度ばかりを繰り返すことで視聴者読者に不愉快な反応を喚起するとか、
その対比要素として「日本軍の過去の残虐ぶり」を列挙しておしまい、といった、
そんな皮層的解説に終始する傾向に見えて仕方がないのです。
『物事が1つ。
物事が1つ。
1つ と、 一つ。
どちらも同じ程度(の様にしか自分には認識できない)。
だから、お・あ・い・こ?
どっちもどっちだ?』
そのような安易な「簡略個数化」発想は、この件に関してはやはり不適当ではないか。
中国側主張における政治論理的要素としては、たとえば、
『東京裁判の結果がたとえどれほど一方的で不公正だと思おうが、
敗戦国たる日本は、判決を受けざるを得ない義務を負う。
しかし日本政府内閣総理大臣の立場にある者が、A級戦犯を否定する意図のもと合祀してある
準「国策」神社で拝むということは、
日本国として無条件降伏の事実および莫大な人的物的毀損責任を認めない、との意図か?
それでは中国が対日賠償請求権を放棄して現在に到るその日中関係の大前提が、
悉く覆ることになりかねない』
といった、日中両国の外交関係における条約(契約)上の原則問題ではないのかな。
難しい理屈ではなかろう。
また、日本が戦争賠償を支払った東南アジアの国々に対しては敗戦国としてどのような「立場」を明示したのかは知らないが、
工業化を一気に推進したかった大韓民国との国交正常化に際しては、日本側からは賠償ではなく曖昧な協力金支払の形にして済ませてしまったという…
それが目下停滞中の日朝交渉でも影を投げかけているとも見える。
もっとも、もし日本国および国民として「植民地支配は悪である」との論理科学的認識のもと真心を込めて土下座し、周辺諸国とあらゆる面で全面和解に到ってしまうとなれば、
植民地支配を絶対に謝罪せず、これからも心底謝罪する気がない「あの」王家の権威に泥を塗りかねないだろうし、地球儀のように加害者/被害者の立場を上下ひっくり返して見れば今まさに進行中の、IT植民地化世界むむむ支配もまた悪であると日本政府は認めたも同然になってしまうのではないか。
絶対正義視するかのような国際主義機構への屈服隷属の機運、国家主権放棄に向けた憲法改正、司法制度、日本にとり最大の非関税障壁であるはずの為替の市場原理主義化には触れようとはしないWTOおよびその過渡的FTA、等々…これら「地球標準化」のあらゆる仕掛けは、日本も例外ではあり得ない植民地化支配目的を隠した狡猾な罠か?
と日本国民は疑問を持ち始めるようなことは、当然、『絶対に避けねばならない』。
で、この件でいつも思うのは、(あっしらさんの書き込みとも重なりますが)
『東京裁判においてもっとも主要な影響力を行使した当の米国は、A級戦犯合祀も含めて何故、何のために黙認しているか?』
です。
盗日凶会は、「天皇復帰」と称して、天皇家を盗日凶会の支配対象として、
靖国神社へ参拝するのではないのかね?
「ポツダム宣言こそが無効である!日本は、いまだ断じて降伏してはいない!」
と騒げるもんなら騒いでみましょうね。