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(回答先: ぷち熟女のヴィジョン 投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 4 月 10 日 03:15:47)
横レス失礼します。通常私はひたすらROMに徹しているのですが、ぷち熟女さんには「秘教スレ」のご縁を感じましたので、書きこませていただきます。
このヴィジョンは実際にぷち熟女さんがご覧になったものなのですか?
というのは、まったく同じようなヴィジョンを私も「見た」ことがあるのです。このヴィジョンが単なるぷち熟女さんの創作なのか、それとも何らかの意識状態の中で実際に体験されたものなのか興味を惹かれます。私の場合、これを「見た」のは某国の南の島で幻覚性のキノコを口にしたときでしたが。
ぷち熟女さん:
「自身の上下左右と言わず、気の遠くなるような無限大の闇が広がっているような感覚に襲われます。
闇は、しかし完全な闇ではなく、
それぞれがある色彩の輝きを持った不定形の小片のような浮遊物に満ちているのが見えます。
それを見渡したところは、玉虫色の螺鈿が塵芥となって浮かんだ漆黒の闇みたいなんですね。」
これを当時私は「揺曳する無数の虹のかけら」と表現しました。稲妻形をした無数の虹が微細な振動を続けながら漆黒の闇の中で生起している、それを根源宇宙として私は「見た」のです。自分の意識は透徹しており、感覚器官の全てが無限の闇にすみずみまで溶け込んでいます。まさにぷち熟女さんの提示するイメージと同一のものを私は見たと思えます。
ただ、私の場合ぷち熟女さんと違っていたのは、孤独や不安を感じなかったことです。それとはまったく逆に、私は宇宙万物そのものと一体化していました。自分と他人の境界線が完全に溶けて、結局は同じものの違った現われに過ぎないというのが直覚されるのです。言い換えれば、全てのものが自分である。理屈でなくそれが単にわかるのです。これを法悦境と言うのでしょうか。ある種の宗教的体験ですね。昨日会った人たちを誰彼となく抱擁したい衝動に駆られ、そのうちに自分という感覚さえなくなってひたすら自分が宇宙であることを愉しむ、そういう感覚になりました。この感覚は驚くほどに強くはっきりとしており、今日までこれより強度の勝る体験を私はしたことがありません。なにしろ肉体という夾雑物を介さない直接体験なのですから。
で、唐突に愛について私は考えます。もしも愛を違った言葉で言い換えるとしたらぷち熟女さんはどんな言葉を選びますか?上記のような体験をした私は、一体感という言葉を選びたい。しかし、愛というのは人間のあらゆる営為の中でも最も表現の多様性を許されたものだという気がします。10人の人がいれば10通り、いやそれより遥かに多くの愛情表現があるでしょう。そんなにも多様な愛を定義しようとする者は、畢竟自分自身を定義することになってしまう。結構コワイ問いなのではないかと思います。男の愛と女の愛が一致すべきだなんてのも幻想だろうし、結局「そこに在るがままに在る」のを認めるしかないような気がします。
しかし、私事になりますが、現在の日常生活で私にとっての愛である一体感を感ずる機会が皆無なのはちょっと個人的に淋しい話ではあります。それはそれで「在るがまま」の一つの表れなんでしょうか。
やっぱり私には昼休み板の方が向いているかもしれません。
これからも鋭い投稿で私たちを楽しませてください。それではごきげんよう。