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(回答先: 「砂漠の民」は犠牲をしっかり焼きますよ。 投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 10 日 04:34:42)
あっしらさん、どうもです。
『神は天にいるという観念であり犠牲の匂いを喜ぶと考えているので、匂いを立ち上らせるために犠牲をしっかり焼きます。
これは、フェニキア・ユダヤ・イスラムに共通する犠牲形態です。』
ということは、私の考え違いのようですね。しかも「血の滴る」は不浄であると・・・。
では、生け贄とした場合、「焼き殺す」というのは、ユダヤでもアラブでも「聖なる行為」ということになり、対応するのは、モサドとイスラムのテロリストになる。
モサドは「聖なる行為」とはほど遠いと思うので、イスラムのテロリストという印象付けは「焼き殺す」でもアラーの神に献上するという意味では矛盾しないわけですね。
ただ、人質が「生け贄」とした場合、このままではその献上先がとても「聖なる」ものとは言えない。
「聖なるものではないもの」に生け贄を捧げるならば、それは「汚されなければならない」ので、こういうことに厳密な”彼ら”が「焼き殺す」というのは、まだ整合性が私には見えなくなってしまう。
こうなると生け贄という前提が、それほどのことを犯行集団は考えていないということになるのかもしれません。
どのみちこのまま政府が無策でいけば、アルジャジーラのライブで火あぶりなど放送するはずはありませんから、「仕込み」ででも焼死体が「発表」され、「テロの恐怖」が世界中に刻印され、日本が抜き差しならない泥沼にそれこそ「生け贄」として捧げられてしまうでしょう。