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2004.03.02
Web posted at: 18:44 JST
- CNN
ベルギー・アルロン――8歳から19歳の少女6人が誘拐され虐待され、4人が死体となって発見されるという悲惨な事件の公判が1日、厳戒態勢の中、ベルギー南部の当地で始まった。1996年に発覚したこの事件は、司法当局の不手際を糾弾する大規模な市民デモや、閣僚更迭にまで発展し、ベルギーだけでなく世界中を震かんさせた。またその後の捜査で、児童ポルノや児童性愛の地下ネットワークの存在も取りざたされるようになり、その余震はいまだに続いている。
少女らの誘拐、暴行、殺害などの罪で起訴されているマルク・デュトルー被告(47)は、市民の報復を警戒して防弾チョッキをつけられ、新たに設けられた防弾ガラス付きの被告席に座った。市民感情の暴発を警戒して、ルクセンブルク国境に近いアルロン市内には警官数百人が配備されている。
事件発覚から7年半かかってやっと迎えたこの日の初公判では、人定質問と陪審員の選任など手続きのみが行われた。デュトルー被告は名前を名乗り、無職だと淡々と述べた。陪審員選任の手続きの間、居眠りをはじめたデュトルー被告について裁判官が弁護団に注意する場面もあった。
事件が発覚した1996年8月、警察は南部シャルルロワにあるデュトルー被告宅の庭から、捜索願が出されていた行方不明の少女2人の遺体を発見。さらに、共犯とされる男性の家から餓死した少女2人の遺体を発見したほか、デュトルー被告宅から6日前から監禁されていた12歳と14歳の少女2人を救出した。子供たちへの性的暴行を記録した大量のビデオテープも見つかった。
デュトルー被告の逮捕後、当局のあらゆる失態が暴露された。同被告は1986年に少女5人を誘拐・強姦したとして逮捕され、89年に有罪となったが、実刑13年の刑期を模範囚だからとして短縮され、92年に釈放されていた。また自宅地下に子供を監禁しているとの通報を受けた警察が95年に同被告を訪れたものの、少女たちの悲鳴を耳にしていながら地下を捜査しなかったことが発覚。96年には30万人を超える市民がブリュッセルで、司法当局の不手際を糾弾してデモ行進したが、98年には移送中の同被告が警官の銃を奪って逃走し、3時間後にやっと再逮捕されるという大失態が起きた。これによって内相と法相が更迭されただけでなく、翌99年の総選挙で与党が敗北する一因になったとも言われている。
デュトルー被告の罪状認否は3日の予定。同被告はこれまでの調べに対し、少女6人の誘拐・監禁につては認めているが、殺害は否認。一方、餓死した少女たちの近くに埋められていた協力者とみられる男性の殺害については、認めるものと見られている。
餓死した少女2人は、デュトルー被告が1995年に車両盗難の罪で服役した4カ月の間に、元妻から食事を与えられずに餓死したとされている。
これまでの調べに対してデュトルー被告は、自分は主犯ではなく、大きな児童性愛ネットワークの一部に過ぎないと主張。公判直前には、地元テレビ局あての手紙で、共犯として起訴されている元弁護士ミシェル・ニフール被告(62)が、この犯罪組織により深く関わっており、さらにベルギーの司法当局関係者もこの組織に関与しているとの主張を展開した。
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200403020011.html