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「536」 『株式日記』からの転載。「『猿の惑星』の猿たちは、日本人がモデルだった」と暴露したテレビ番組が放映されました。副島隆彦著『アメリカの秘密』内の文章と、よく見比べてみて下さい。2004.3.1
SNSIの須藤よしなおと申します。今日は2004年3月1日です。
以下に転載する文章は、副島隆彦の言論もよく取り上げられる情報サイト『株式日記』からの文章です。
副島隆彦の指示により、各種の文章と共にこちらに転載することになりました。
・『株式日記』URL
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/
2/14(土)にテレビ朝日で放映された「ビートたけしのこんなはずでは 2時間まるごと映画スペシャル」という番組の中で、「『猿の惑星』は日本人がモデル」であった、という説が紹介されていたようです。私は普段テレビを見ないので見逃してしまいましたが、有難いことに『株式日記』で再現してくれています。
ピエール・ブール原作『猿の惑星』も『戦場にかける橋』も、ともに第二次世界大戦時に、東南アジアで日本軍の捕虜になった経験を基に書かれたもの。
ブールはフランスの植民地マレーシアのゴム農園領主として生活していたが、太平洋戦争が勃発、イギリス軍に志願して、生活を奪った憎っき日本軍と闘うも、捕虜となり、収容所生活を経験する。その経験をうまく昇華させたのが『戦場にかける橋』であるが、収容所生活のつらい体験を語るにはそれでは不十分で、日本兵をサルになぞらえたSF『猿の惑星』をそのはけ口とした。(第二次大戦中、日本兵をサルに喩えるのは欧米でごく一般的だった)と、いうことです。
・「ビートたけしのこんなはずでは」公式サイトURL
http://www.tv-asahi.co.jp/konhazu/
「この日本は『猿の惑星』なのだ」という、副島隆彦の年来の、記念碑的な主張をほぼ裏付けるものだ。後ほど、『アメリカの秘密』(メディアワークス刊、副島隆彦著)の中から『猿の惑星』について書かれた箇所を並べて掲載しますので、これを機会によく見比べてみて下さい。
また「日本は『猿の惑星』だ」論について、『株式日記』ではその考え方の原点となる優生学について解説するために、太田述正(おおた のぶまさ)氏のコラムを援用をしています。
この太田述正(おおた のぶまさ)氏のサイトは私は最近になって森田祐之さんから教えて頂いて知りました。大変勉強になる高度なコラムであると思いますが、優生学については副島隆彦の著作でも『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』(講談社刊、副島隆彦著)や『属国日本論を超えて』(五月書房刊、副島隆彦著)などの中でも、より核心に迫って紹介されています。
(転載はじめ:『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』370ページ〜371ページ)
チャールズ・マレーの『ザ・ベル・カーヴ』は、一人ひとりの知能が予め生まれながらに決まっているということを前提にした、優生学(ユージェニックス eugenics)の伝統に立つ思想である。アメリカでは優生学は、ナチス・ドイツの「人種主義」の思想と結びつくと考えられているので、現在は学問研究としてはすっかりおさえこまれて目立たなくなっている。
もともとこの優生学で有名なのはシカゴ大学である。シカゴ大学は、世界中から移民として流れこんできた多くの種族(race)が群れ集まって暮らす大都市シカゴにあって、現在ではマルチ・カルチュラリズム Multiculturalism の本拠地であり、日本人の社会学者などもよく受け容れてれてもらえる大学だが、その背景には、優生学の考え方がほの見える。フェミニズムの研究で有名なフェミニストの女性学者ソニア・シャンクマン Sonia Schankmann は、優生学者を公然と名乗っている。日本のフェミニスト学者たちも、自分の思考をつきつめてソニア・シャンクマンに行きついてほしい。
チャールズ・マレーは『ザ・ベル・カーヴ』の中で、さらに、驚くべきことを書いている。「黒人種は白人種に知能で劣る。しかし白人種よりもアジア人種の方がより優れている。さらにアジア人種よりも、ユダヤ人種の方が優れている」と、IQテストの結果の厳格な統計資料にもとづいて書いている。アメリカの人種差別をめぐる問題は「単なる差別感情のあれこれ」などではなくて、科学(学問)の方法を採用することによってしか議論すべきことではないのである。
(転載おわり:『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』370ページ〜371ページ)
須藤よしなおです。
以下の文章も優生学についての、今度は『属国日本論を超えて』(五月書房刊、副島隆彦著)からの引用ですが、『今日のぼやき・会員専用ページ』の中にも「[111]日本フェミニストのアキラ君に答える 2001.1.17」というタイトルで収録されています。
改めてこちらに転載します。『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』(講談社刊、副島隆彦著)よりも更につっこんで、「優生学」の重要さと怖さについて判りやすく解説した文章です。
(転載はじめ:『属国日本論を超えて』115ページ〜121ページ)
私は、ユージェニックス Ugenics 優生学というのが一番凄い学問だと、卒直に思います。
今の分子生物学(モレキュラー・バイオロジー)も遺伝子工学も、生命工学も全てこの優生学を土台にしている。今は諸般の事情で優生学はアメリカでも押さえ込まれているのだが、一番、先端の課題を背負ったそれぞれの国で一番、頭脳(知能)が高い人間たちは、みんなここに行きつくし、理科系なら既に人材投入されているに決まっている。世界とはそういうものだ。
文科系の馬鹿たちでも、本当に考える力のある者たちは、ここに集まってくる。
<中略>
さて。ユージェニックスにしろ、学問方法(メソドロジー)としては、 social engineering ソシアル・エンジニアリングである。このソシアル・エンジニアリングなるものの怖さを知らないで、「自分は日本の社会科学者だ」などと信じている土人学者たち全員を、私は、激しく、蔑(さげす)んできた。この言葉の意味も重要性も知らずに生きてきた、馬鹿たちの群だ。
自分たち日本人(日本部族)白身が、『菊と刀』で真っ裸にされたのち、ロボトミーに等しい、文明化外科手術、すなわち、ソシアル・エンジニアリングを敗戦後に受けたのだ、と自覚すべきである。
ソシアル・エンジニアリング(社会工学)は、アメリカのリベラル派の学者たちの秘技秘伝であって彼らはこれを肯定する。しかし、シカゴ学派の本物の保守派やアイン・ランド女史のようなリバータリアンは、ソシアル・エンジニアリングの学問を唾棄して否定する。未開の現住民たちに施してはならない文明化外科手術である。それをやられたら、原住民たちは、おかしくなるのだ。だから、敗戦後にこのロボトミーを施された日本部族の若者が金茶髪にして成人式でも暴れるのだ、とみんな分かればいいのに。どうしても、どうしても、敗戦後のアメリカ軍(占領軍、マッカーサー・ニューディーラー)による、日本国民洗脳がその原因だと、認める訳には行かないのか。そうか、どうしてもいやか。
先生の小室直樹だけが、これが、日本人が敗戦期に天皇=神を否定されて起こした「急性アノミー」だと、はっきりと解明した。今の私ほどは、あからさまには書かないが。
ソシアル・エンジニアリングというものは、これほどに恐いものなのだ。それが、ソシオ・バイオロジー(社会生物学)という別の名前も持つのだ。ソシオ・バイオロジーについては、コンラッド・ローレンツについて本書の別のページでも書いた。だから、シカゴ学派で過激派フェミニストの元祖のひとりであるソニア・シャンクマンが、ウルトラ・リベラルであるからこそユージェニックス(優生学)をやり、ソシアル・エンジニアリングを治療・方法・政策学として実践したのだという事実を私たちは確認すべきだ。
(転載おわり:『属国日本論を超えて』115ページ〜121ページ)
須藤よしなおです。『アメリカの秘密』(メディアワークス刊、副島隆彦著)から、「猿の惑星」についての一章を、以下に丸ごと転載します。
『アメリカの秘密』(メディアワークス刊、副島隆彦著)は初版は1998年ですから、6年もの年月を経て2004年のたけしのテレビ番組などで、ようやく公共の電波でも流されるようになりました。しかし圧倒的多数の一般民衆が本当の意味で衝撃を受けるのは、もう少し先の話だと思います。
(転載はじめ:『アメリカの秘密』123ページ〜127ページ)
日本という「猿の惑星」に生まれて
猿の惑星/Planet of the Apes/1968
映画『猿の惑星』は、日本文化論として重要である。一言でいえば、日本国あるいは日本社会こそが、この映画で描かれた「猿の惑星」そのものではないのか、というのが私の理解である。
この映画の原題はPlanet of the Apes(プラネット・オブ・ジ・エイプス)である。この原題の中の(エイプ)というのは、高等猿類という意味である。類人猿といってもよい。エイプは四種類いるとされる、ゴリラとオランウータンとチンパンジーとバブーン(ヒヒ)である。高等猿類は、モンキー monkey (下等猿類)と違って人類に近いとされる。欧米の学問では、このエイプがマン(ホモ・サピエンス)に進化したとされるのであって、モンキーが進化したのではない。
アメリカの宇宙船がある惑星に不時着し、乗っていた三人の宇宙飛行士テイラー、ドッジ、ランドンは、猿(エイプ)の支配する世界に放り出される。そこでは、人間(人類)は下等動物扱いされていた。船長のテイラーを演じていたのは、チャールトン・ヘストンである。チャールトン・ヘストンは、昔からハリウッドの映画界では、数少ない保守派の映画俳優として知られる。映画『十戒』 The Ten Commandments (1956)のモーゼ役のイメージが、欧米社会で今でも強烈だからである。
三人は、狼たちによる人間狩りに巻き込まれる。ドッジは殺され、ランドンは捕らえられた挙げ句、脳手術により植物人間にされてしまう。テイラー船長は、捕まった後査問会にかけられ、処分されそうになる。ところが、若いチンパンジーの動物学者シーラ博士夫妻に助けられて、テイラーとジーラたちは、謎に満ちた禁断地区へと赴く。そして、海岸の洞窟の中の地層を調べることによって、ジーラたちは、自分たち猿が最も進化した作物であるとの信念が揺らぎ始める。そこには、人類の文明の痕跡があったのだ。
しかし、追い掛けてきた長老猿ザイアスは、猿が人類から進化したものとは認めない。そして、この若くて優秀な「疑う」ことを知っているジーラや、真実を追及し続けるテイラーたちに向かって言う。「その男の言うことを信じるな」「あまり真実を探らない方が自分の身のためだ」しかしテイラーは、恋人のノヴァとともに馬で海岸沿いを突き進む。そして、二人がやがて見たものは、海岸線に斜めに埋もれて横たわる自由の女神像であった。テイラーは、「ああ、お前達はついにやってしまったのか」と呻き声を上げる。テイラーが見たものは、核戦争で破滅した地球の、二千年後の姿だったのである。
私がこの映画に見たものは、「猿の惑星」に投影されたこの「日本」という社会であった。あの長老猿ザイアスは、今でいえば科学技術庁長官兼最高裁判所長官のような猿である。この老ザルは真実を知っていたのだ。だから、若い猿のジーラに、「なぜ猿が人問から進化したのかを探ってはならない。真実を見るな」と言ったのである。
実は、私自身は、今の日本社会における自分のことを、この若い猿ジーラに喩えている。読者は何を奇妙なことを言っているのか、と
思うだろう。しかし私は、今では本気でこのことを信じている。すなわち、「日本は『猿の惑星』である」と。そして私は、「日本が猿の惑星である」ということに気づいてしまった若い猿なのである。私の人年の悲劇は、20年ほど前のある日に、アメリカ人の友人からそれとなく、このことを教えられた時から始まった。私はそのとき、この真実と共に、難儀な人生を生きていかなければならないと悟った。
「日本は猿の惑星である」と私が書いて、それに反感を覚えない日本人はいないだろう。この私の発言は、日本の知識・言論業界では今のところほとんど無視されている。私白身も、自分のこの仮説(ハイポセティカル・セオリー)が、活字となって日本社会に流布されるなどとは、かつて信じられなかった。どうやら、時代の方が私に接近して来たようだ。普通、人間は自分にとって耳障りな考えには耳を傾けないものである。それはそれで、仕方がない。
ほとんどの日本人は、自分たちが欧米社会と肩を並べている、立派な先進国に暮らしていると思い込んでいる。しかし、彼ら欧米近代社会の方はちっともそんなことは思っていない。それは、向こうで暮らしてしばらくすれば分かることだ。技術(テクノロジー)の類は、今やおそらく日本の方が上かもしれない。それは、日本の理科系の科学技術ザル、いや失礼、科学技術者(エンジニアあるいはテクニシャン)たちがズバ抜けた応用科学(applied science アプライド・サイエンス)の能力を持っており、工業製品においてはすべてを欧米から泥棒して、さらにそれらを改良して最良の製品にしたからである。しかし、それだけのことである。日本は近代(モダン)でもなければ民主政体(デモクラシー)でもない。「猿の惑星」である。
日本にもたしかに優れた文学(人文 humanities ヒューマニティーズ)はある。『源氏物語』や『枕草子』や『徒然草』がある。しかし、だからといって優れた民族だということにはならない。アイヌの『ユーカラ』やインドの『ラーマーヤナ』やギリシアの『オデッセイ』のように、どんな部族社会にも、文学(人文)は、民族叙事詩や民間伝承の形で、必ずある。それらはすべて、優劣つけ難い。
だから、日本にも初等学問あるいは下級学問としての人文(ヒューマニティーズ)はある、しかし、日本には未だ木物の学問(サイエンス)はない。日本にも高等教育機関としての大学制度はあるが、こんなものは偽物(ニセモノ)の嘘八百の張りボテの擬似制度である。日本の文科系知識人のはとんどは、国際水準から見ればアホである。断じて日本には近代学問などない。
再度書くが、確かに文学はある。文学とは、強いて訳せば下等学問であり、初級学問である。西欧近代が生んだ学問(サイエンス)は、未だ日本にもたらされていない。すべて輸入したと思い込んでいるのは、おめでたい猿の知識人たちである。
読者は、自分の民族をこれほどけなして何の意味があるのかと疑問に思われるだろう。だが、学問(サイエンス)とは実は、“冷酷な法則性の発見”ということである。古文書の解釈やただの文学鑑賞、あるいは自分勝手な思いつきの類を、活字文章にして書き連ねて学問だと思い込んでいる「猿の知識人たち」の所業が、私には馬鹿らしくて仕方がない。しかし、私もその猿の仲間の一匹だから、この現実はいかんともしがたい。
時々、外国体験の長い優秀な日本人が、「日本人は向こうでは猿扱いされているのだ」と憤怒に駆られて突発的にわめくことがある。私の知人の外交官に一人そういう人がいる。幼い頃から外国生活が長かったので、バイリンガルであり、日本語は家庭で両親から習った。この人の憤怒を、被害妄想(パーセキューション・マニアック)であり、異常な自虐意識であり、環境のために性格が歪んでしまった人間であると片づけることは簡単である。しかし私は、より大きな真実の方しか信じない。と同時に、もう被害妄想に捕らわれて嘆き悲しむということもやめた。私は冷酷に事実しか見ない。事実だけを信じ、かつ疑わしいことを疑い続ける。この人生態度においては、一切妥協しない。
こういう態度だと、今の日本では物書きの同業者たちから嫌われ、一種の業界追放の状態に追いやられる。しかし、そんなことは気にしない。この「村の寄り合い」の談合社会では、真実を□にすると村八分に遭う。実際、村八分に遭っていじめられた人々のことを、貴重な資料として私は集めてもいる。今更その人々を可哀想だと言ってみても、始まらない。
この映画『猿の惑星』は、日本社会のおめでたさ、愚かしさを、見事なまでにあぶり出して見せる。だから、映画『猿の惑星』は素晴らしいのだ(続編以下は見なくてもよい。第一作だけが素晴らしいのである)。
(転載おわり:『アメリカの秘密』123ページ〜127ページ)
須藤よしなおです。最後に、太田述正(おおた のぶまさ)氏のコラムを援用した『株式日記』を、以下に転載致します。
太田氏はマッカーサーの頑迷に言及しつつも、「マッカーサーたちは、ニューディーラーと呼ばれる隠れ共産主義者たちだった」と書くまでの理解には至っていません。
政治思想上の理解・解説をやらせては、まだまだ副島隆彦ほど簡潔に要点だけを伝えることの出来る人間は居ない、ということでしょう。
(転載はじめ:『株式日記』2004年2月15日より)
大東亜戦争は人種解放戦争であった
「猿の惑星」のサルは日本兵である
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◆ア 戦争の背景 太田述正コラム#221(2004.1.3)
「<先の大戦>の原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列国の承認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。・・かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がった時に、之を抑へることは容易な業ではない。」(昭和天皇の1946年の発言。「昭和天皇独白録」文春文庫24〜25頁)、「米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行ひ大東亜隷属化の野望を逞しうし遂には大東亜の安定を根底より覆さんとせり・・大東亜戦争の原因茲に存す・・大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す・・大東亜各国は相互に其の伝統を尊重し各民族の創造性を伸張し大東亜の文化を昂揚す・・大東亜各国は万邦との交誼を篤うし人種差別を撤廃し普く文化を交流し進んで資源を開放し以て世界の進運に貢献す」(1943年11月、東京における(日満支印比泰ビルマ七カ国首脳による)大東亜会議で採択された大東亜宣言より。http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/tyosamit.html(1月2日アクセス)、「実は東亜の他民族の協力を得ることが出来なかったことが今回の敗戦の原因であったと考えて居る。」(東条英機の「遺言」。松本健一「大川周明−百年の日本とアジア−」(作品社1986年)367頁より孫引き)
以上が同時代人たる日本人の言(大東亜宣言もそう解してよかろう)ですが、若干外国人の言動等もご紹介しておきましょう。 「<先の>大戦中、米国民であるはずの日系人12万人が、家や財産を没収され、強制収用所に送られている。しかし、同じ敵性国民であった、ドイツ系、イタリア系アメリカ人が、強制収用所に送られる事は無かった。」(武田氏のサイト。http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/jhistd/jhist4_6.htm(1月3日アクセス))、「インドネシアは、<戦後再植民地化のためにやってきた>3万人のイギリス軍と15万人のオランダ軍による連合軍と、4年間に渡る死闘を繰り広げ<1949年に独立を勝ち取っ>ている。・・インドネシア人と共に戦った日本兵が約2000人もおり、この半数以上がインドネシア独立の為に戦死している。・・住民80万人以上が犠牲となった。」(前掲武田氏のサイト)、「抑圧されたアジア解放の聖なる誓いに身を捧げた魂よ!安らかなれ――あなた達の啓示を私は常に護持する」(原爆慰霊碑の文言、「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」を見て憤激、慨嘆した東京裁判のパル・インド人判事が1952年に書き記した文章。松本前掲377頁から孫引き)、「日本人・・は他の東洋人と似たりよったりです。東洋人は勝利者に追従し、敗者を軽蔑する傾向があります。・・・非常に孤立した、たちおくれた<日本>国民・・仮にアングロ・サクソンが科学・芸術・神学・文化の点で45歳だとすれば、ドイツ人もそれと同程度に成熟しています。しかし・・現代文明の基準ではかれば、われわれが45歳であるのに対して、かれらは12歳の少年のようなものでしょう。」(1951年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会におけるマッカーサーの証言。津野海太郎「物語・日本人の占領」(平凡社)235〜236頁から孫引き)
以上から、戦争の背景は欧米による有色民族の支配と抑圧であったと断言していいでしょう。 先の大戦の結果、日本が欧米列強の植民地支配を突き崩し、植民地原住民を武装させたこと等を通じ、アジアの植民地原住民達は自立心と自立の手段を付与され、戦後東アジアの植民地は解放され、やがて西アジアやアフリカの植民地も解放されるに至るのですから、この観点からは、先の大戦の勝利者は日本であったことは明白です。(日本も台湾や朝鮮半島等で原住民の支配と抑圧をしていたのではないか、との論点については、コラム#197、201、219参照)。 それにつけても、まるで分かっちゃいないマッカーサーの頭の固さには唖然とするばかりです。(これはマッカーサーだけの問題ではありません。有色人種差別は米国の原罪であることを、近々コラムに書きます。)(後略)
(私のコメント)
昨日のテレビ朝日の「たけしのこんなはずでは」で様々な映画のエピソードを取り上げていましたが、「猿の惑星の真実」として猿のモデルは日本兵であることを指摘していました。この事は原作者のピエール・ブール氏の経歴を見れば分かるとおり、大東亜戦争中の体験を下に描いたものです。それは、いままで猿と人間の中間種と見ていたアジア人に支配されると言う、白人の衝撃を小説にしたものだ。
1月24日の日記においても「大東亜戦争は植民地解放と人種差別撤廃に貢献した」を書きましたが、ヘレン・ミアーズ女史のみならず、フランス人の作家のピエール・ブール氏も、観点は違いますが、直接植民地を支配していた体験からも、大東亜戦争が植民地と人種差別による戦争であったことが述べられている。
ピーエール・ブール氏だけが特別人種差別的だったのかというとそうではない。これが欧米白人達の標準的認識であり、猿の仲間であるアジア人を植民地支配することは当然の事として見ていたのだ。しかしこれは歴史に詳しい人から見れば馬鹿げた論理であり、16世紀頃までの世界を見れば中東や東洋のほうが文化的にも栄えた先進国であり、ヨーロッパ人こそ野蛮人であった。
白人達がなぜ有色人種を猿に近いと看做すようになったのかは不明ですが、少なくともヨーロッパ人は歴史的に東洋人と交流があり、かつてはアラブ人たちから文化を学んだ。しかしアメリカ人は先住民族を滅ぼし建国した歴史を持つので、白人こそ最も優れた人種であるとする優生学を生み出した。太田述正氏は次のようにアメリカの優生学を指摘している。
◆(3)優生学 太田述正コラム#257(2004.2.12)
ブラックの指摘を要約すると以下の通りです。
20世紀に入って間もなく米国に優生学が生まれ、優生学者達は、社会的価値のない人間は断種、隔離、更には安楽死の対象とすべきである、と主張し始めた(A)。これは、今にして思えば、人種差別主義者がひねり出した疑似科学に他ならなかった(C)。 やがて優生学は、米国の著名な大学、研究所、財団で研究されるようになる。当時の米国の知性を象徴する大統領のウッドロー・ウイルソン、女性運動家のマーガレット・サンガーや最高裁判事のオリバー・ウェンデル・ホームズらもその熱心な賛同者だった。そして優生学は、米農務省、国務省を始めとする連邦各省や各州で実践に移されるようになり、連邦最高裁の判決にも影響を及ぼすに至った(例えば「オザワ判決」(コラム#254))。(C) 優生学者の中からは、長期にわたって米優生学会会長を勤めたレオン・ホイットニーらのように、北欧人種(Nordic race)が人類の中で優生学的に最も優れた人種であり、この北欧人種がユダヤ人、黒人、スラブ人等、青い目とブロンドの髪を持たない人種との通婚によって汚染されつつあると唱える者も出てきた。(A) 米国で優生学の考え方が登場した頃から、数多ある国々の中で、いち早くこれに注目し、最もその動向を熱心に追いかけた国がドイツだった。ミュンヘン一揆に失敗して1924年に投獄された(オーストリア出身の)ドイツ人、アドルフ・ヒットラーは、獄中で米国の優生学者の著作に読みふける。(1930年代の初めにヒットラーはホイットニーに、熱烈なファンレターを寄せている。)ヒットラーは1927年に出版した著書「我が闘争」の中で、米国の優生学とその米国での実践状況に何度も言及している。例えば、米国のNational Origins Act(「出身国別割当移民法」、或いは「排日移民法」。1924年)(コラム#254)について、米国では優生学の考え方の下で「特定の人種を帰化の対象から除外した」ことに敬意を持って言及している。(A) 優生学的安楽死の手段として考え出されたものの一つがガスによる安楽死であり、この論議の副産物が、1921年にネバダ州が初めて採用し、後に多くの州に普及したガス室による死刑執行制度だった(A)。また、米国で少なくとも6万人もの人々が各地の州法に基づき強制断種手術を施された(B)。 1933年にヒットラーが独裁権を握ると、優生学はドイツで大規模かつ徹底的に実行に移されて行く。強制断種手術は大々的に実施され、その先に待っていたのはガス室によるユダヤ人のホロコーストであり、ジプシーの抹殺であり、東欧の蹂躙だった。(B)(以上の典拠:Edwin Black, War Against the Weak・・Eugenics and America's Campaign to Create a Master Race, Pub Group West, 2003
A:http://www.guardian.co.uk/g2/story/0,3604,1142027,00.html(2月6日アクセス)からの孫引き、B:http://www.waragainsttheweak.com/intro.php(2月10日アクセス。同書の序文)、C:http://www.waragainsttheweak.com/(2月10日アクセス。著者による同書の紹介)
(私のコメント)
このようにナチスドイツのヒトラーの人種隔離政策のお手本はアメリカから学んでおり、アメリカこそ人種差別の総本山であった。このような事はイラク戦争におけるアラブ人に対する偏見にも現れており、アメリカ国内におけるアラブ系に対する差別的扱いにも垣間見られる。このような危険な状況が続いていけば、アラブ人やユダヤ人やその他の有色人種への迫害に繋がりかねないが、もはやアメリカは白人は少数派であり、WASPは19%に過ぎない。
このようなアメリカにおける人種差別に大きな転機となったのが大東亜戦争であり、陸軍では黒人は士官になれず、海軍では戦闘員にすらなれなかった。日本人の方はそうは見ていなくともアメリカや連合国側のプロパガンダはサルとの戦争と看做していた。2003年4月9日の日記でジョン・W・ダワー教授の「容赦なき戦争」を紹介しましたが、人種戦争の観点から書かれたもので参考になる。
ほとんどの日本人は現代のアメリカしか知らず、過去のアメリカがいかに人種差別的であったかを知る人は少ないが、それが日米の戦争の原因になったことを理解することが出来にくい原因だ。広島や長崎になぜ核爆弾が用いられたのかや、当時の国際法に違反していないにもかかわらず東京裁判で有罪にされA級戦犯として処刑されたのかを見ても、帝国への反乱者に対する処刑と同じ発想だったのだ。
(転載おわり:『株式日記』2004年2月15日より)
須藤よしなお 拝
2004/03/01(Mon) No.01
http://snsi-j.org/boyakif/diary.cgi