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(回答先: 松下政経塾と「中田人脈」の研究 (4) 投稿者 なるほど 日時 2004 年 2 月 27 日 03:52:49)
2003年7月17日
平 智之(商学部教員)
W 「連合」と松下政経塾・「中田人脈」の関係(承前)
3. 2002年横浜市長選での中田擁立劇と舞台裏
にこやかに微笑む中田宏氏を囲んだ上の「記念写真」は、いつ撮影されたものかはっきりしないが、中田横浜市長誕生から半年たった昨2002年9月に結成された政治団体「ヨコハマから日本を変える会」(ヨコハマ会)の中心メンバーが勢揃いしたものである。今般の佐藤行信市議の事件でヨコハマ会の顧問は辞任するそうだが、中田氏をはさんで、向かって左隣が同会代表の佐藤謙一郎、右隣が岩國哲人の民主党所属の両衆議院議員、後列の右端が石川輝久・神奈川県議(同会幹事)で、その隣から民主党の横浜市議団を分裂させてまで中田候補を2002年3月の市長選挙でかついで当選させた「五人衆」の、菅野義矩、小幡正雄、岡本英子、一人(氏名不詳)置いて、飯沢清人、そして左端が佐藤行信の各市議である。
そのなかで、横浜市長選への経緯をもっともよく書いているのが、岩國衆議院議員である。彼のホームページhttp://www.networking.co.jp/iwakuni/ には、「タレント議員」らしく地方系列新聞2紙とビジネス雑誌への2本の連載エッセーなどが紹介されている。その1本が、彼が名を挙げた島根県出雲市長の縁から寄稿している地元山陰の『日本海新聞』の「一月三舟」(イチゲツサンシュウと読み、行き交う船から見る月の運行がそれぞれ違うように、仏の教えが様々に解釈されるという仏教用語)という「含蓄」のある題名のコラムである。それには、中田市長誕生から約1週間後の2002年4月8日付けで、エラリー・クイーンの名作推理小説の『Yの悲劇』をもじった「Yの喜劇」というタイトルの「中田擁立劇」の内幕を寄稿している。http://www.nnn.co.jp/essay/sansyu/essay0204.html#08 私もその直後に、熱心な中田支持者だった同僚からその寄稿のコピーをもらった記憶があるが、私は最初から中田新市長に「警戒心」を抱いていたので、「喜色満面」の岩國氏の文章を冷ややかに一読して捨ててしまったと思う。しかし、今回、改めて読み返してみると、その経緯がよく分かるので、長文だが中心部分を以下に引用しよう。
ぶ厚い現職のカベに挑む
奇跡が起きた。十二年の現職経験、建設省官僚という経歴、与党三党のみならず、野党の社民党、それに加えて野党最大の民主党の神奈川県連と自治労を含む連合までもが支援するという与野党相乗りの応援体制とくれば、誰も敗北を予想する人はいない。新人の勝ちを予想する世論調査は一社もなかった。そのうえ、対立候補が知名度に欠け、行政、経済のこれという経歴も欠け、大都市の市長としての年齢にも欠け、有力な政党や組織の支援もなく、資金的バックもない、まさに「四欠け、五欠け」候補だから、普通の常識ではまず当選は難しい。
私が横浜市議たちの出馬要請を受けたのは昨年の暮れ、粉雪がちらつく日の午後だった。私は横浜市に縁のある議員、とりわけ以前から横浜改革の熱意を私に語っていた中田宏衆院議員を擁立して多選候補に挑戦すべきだと伝え、私はその意見を終始一貫変えなかった。
もう一つ私が五人の市会議員に伝えたことは、「市政一新、多選反対」が市民の多数意見だというが、それはあなたたちの思いこみかも知れないし、百歩ゆずってもそれは十八区ある横浜市内で、五人の市会議員の選出区の一部の市民の気持ちだけかも知れない。こういう大きな問題は必ず立場立場で意見が違うものだ、自分たちの意見もひょっとしたら間違っているかも知れないという謙虚な気持ちにかえって、まず横浜市内各所でアンケートを実施すること、それを分析してから状勢を判断し、候補者と戦略を決定しようではないかと伝えた。
年が明けて一月から小幡、菅野、岡本、佐藤、飯沢の五人は毎朝、毎夕、市内の駅頭に立った。横浜市に住んでいる私の秘書や他の国会議員の秘書たちが私に伝えるから、どの議員がどの駅に立っていたか、何を訴え、市民のビラの受け取り方がどうだったか、毎日手にとるようによく分った。
そして、問題が起きた。
「アンケートの乱」
「政令市の市長候補推薦は県連ではなく、党本部が行う」という民主党の規制に違反して、民主党神奈川県連は県内の国会議員、県会議員、市会議員の八割を超える多数意見だからと、推薦資格もないままに多選現職候補推薦を発表し、党本部がそれを否認するという騒ぎが続いていた。例えて言えば、出場資格のない選手が多選賛成リレーに押しかけ出場するようなものだ。
県連の反乱、暴走に異議をはさみ、「多選禁止」という党の原則に忠実でありたいという五人の市議のはじめたアンケート運動を、県連は組織の和を乱す反党的行為として批判し、五人をテロリスト呼ばわりするものさえ出てくる始末。民意を問う行為を批判するようでは、もはや民主的な党とは言えない。民主党市議団の離団勧告を受け入れ、冬空の下、五人は新会派を結成した。いわゆる「アンケートの乱」である。
一月二十五日に発表されたアンケート結果を見て、市長選をめぐって戦われているのが民主主義そのものであることをはじめて知った市民が多かった。電話、ファクス、Eメールが私の自宅や議員会館の事務所にも来るようになった。
横浜が燃えだした。誰かを擁立しなければならない。告示日まで時間は一カ月余り。何度も話し合いを続ける中で、中田宏代議士が国会議員のバッジをはずし、立ち上がることを遂に決断した。自由党も民主党、公明党と同じように四選反対の党。義を見てせざるは勇なきなり、自由党は組織をあげて中田宏支持を発表した。神奈川女性ネットも参戦した。
民主党神奈川県連はこれに対抗するかのように、「民主党のいまがわかる」月刊民主の号外版を発行して高秀多選候補の応援を積極化した。「民主党がわかる」どころか、ますますわからない混乱が広がった。
民主党本部は「混乱を広げないために」と称して、民主党国会議員はどちらの応援にも出かけないようにという文書を二度にわたって出した。政党が議員の政治活動を制限するという前代未聞の文書。そのねらいが混乱収拾というよりも、党方針の多選禁止の目的を放棄し、不作為の作為、すなわち、現職の有利な状勢を黙認し、ほう助することにしかならないことは、選挙をまじめに二、三回経験したものならすぐわかることだ。
それでは民主党が多選アシスト・パーティーになってしまう。
これに先だって、岩國氏は同コラムに同年2月11日に「横浜の乱」http://www.nnn.co.jp/essay/sansyu/essay0202.html#11、3月25日に「Yの悲劇」 http://www.nnn.co.jp/essay/sansyu/essay0203.html#25 という2つの高秀秀信市長の「多選市政」を痛烈に批判するエッセーを寄稿しているが、その勝利報告が「Yの喜劇」となったのである。これらは岩國氏と掲載両紙の各ホームページを別にすれば、山陰と大阪の新聞読者の目に触れるだけで対象の横浜市民はまず読めないのに、岩國氏のこの力の入れようはいささか滑稽の観さえある。
もっとも、全国向けには、月刊誌『実業界』上に「凛として日本」という連載エッセーがあるが、これは岩國氏のホームページでも本文は閲覧不可能である。しかし、同志の石川県議のホームページに、同誌2002年6月号に掲載された「横浜の票流 政党は漂流」と題するエッセーが転載されている。http://www.t-ishikawa.com/sityou-iwakuni.htm
内容的には両方とも大同小異だが、私が気になったのは、「Yの喜劇」の方でも「自治労を含む連合」が各政党とともに、高秀市長を支援したと書いている部分である。労組では自治労だけの名指し批判は、「横浜の票流 政党は漂流」の方ではもっと激烈となり、「選挙期間中の各政党や自治労の相次ぐスキャンダルにも触発され、自民党を中心とする強固な相乗り政党と自治労は逆に『悪の枢軸』のイメージに転落して行った」とまで岩國氏は書いているのである。ちなみに引用文中の「スキャンダル」とは、自民党の方の田中真紀子外相の更迭や、鈴木宗男、加藤紘一、社民党の辻元清美らの各衆議院議員が関係した一連の事件、そして自治労元委員長ら幹部の脱税や公金流用などの事件を指したものであろう。ところが、本連載の(3)の冒頭でも触れたように、全国的傾向とは異って横浜市役所では、市従組合が従来加盟していた自治労が連合に参加するのに伴い、全労連・自治労連に上部団体の変更を行なった10年余り前に、いわゆる「第二組合」として自治労横浜が市従から独立したので、むしろ自治労は少数派である。さらに神奈川県庁の県職労も全労連・自治労連に加盟しており、横浜市と県庁では自治労は他の地方に比べて組織力、影響力が劣るからである。
この点が腑に落ちなかったのだが、岩國氏が口を極めて非難している民主党の神奈川県連の立場から、市長選の内幕を書いたある論者の記事を発見したが、それを読むとこの「謎」が解けるので、以下に引用しよう。
■横浜市総支部協議会
民主党県連は川崎市長選の混迷にこりてか早々と横浜市長選挙対策に取り組んだ。県連幹事長は斉藤参議院議員。7月の選挙で再選を果たし議員として油の乗りきった時期だ。自治労出身で私の古い友人でもある。
川崎の場合は党市議団と県連が意思疎通を欠いたとの反省から、11月にまず党の組織を立ち上げた。その名も民主党横浜市総支部協議会。衆議院選挙区で横浜市をエリアとする八総支部の幹事長がメンバーとなった。
横浜市議4、神奈川県議3、元神奈川県議1の都合8人、それに県連からオブザーバーが参加する。
私もメンバーとなり、団長は安藤横浜市議。NTT労組自治体議員団の全国幹事でもあるから読者の中にはご存知の方も多いだろう。6期当選のベテランで民主党横浜市議会議員団(21人・当時)の団長も務める。
1回目の会合ではまず高秀秀信現市長の実績評価から始めようということになり、評価の是非は事情を最も知る立場にある市議会議員団に委嘱した。
この時例の本部常任幹事会決定が話題になった。「協議会が党組織として発足した以上中央常任幹事会の決定をどうするのか。現市長推薦となった場合条件をクリアできるのか」とみんなが心配した。県連からは「別の条項で(推薦決定は)県連の推薦が前提条件になっている。本部の関係者には理解してもらっている」との発言があり、それならということで散会した。
協議会では数回の協議を重ねた後、年明けの1月6日市会議員団の「3期12年の高秀市長の市政運営には大綱誤りがなかった。政策評価は合格点」との報告を受け、高秀市長の推薦を県連に答申した。
連合は既に高秀市長の推薦を決定していたこともあり、県連執行部は異論なく推薦の決定を本部に申請した。ただ巷では高秀市長の四選に反対するいくつかの市民グループが、新人候補の擁立に向けて派手な動きを見せていた。県連と本部の動きは省略するが結論は「4選まかりならん」。2月になり5人の市議が団を脱退し、民主党横浜みらい市議会議員団を結成し新たな候補の擁立に動いた。
党本部の公式見解は「誰も推薦しない」。県連は「高秀現市長推薦」。ことの次第は以上のとおり。横浜市選出の民主党県議レベルでは高秀派8人、中田派1人、中立4人。
以上は、まだ市長選結果が出ていない時点で、NTT労組(旧全電通)が中心の単産の機関誌『情報労連リポート』2002年3月号に、関口正俊・神奈川県議(当時)が連載していた「労働組合の社会学」というエッセーの1つとして掲載されたものである。
http://www.joho.or.jp/kankoubu/report/refresh/syakai/syakai_62.html 関口県議は横浜市栄区選出なので、高秀候補擁立の地元民主党の検討会議のメンバーとして、その「内幕」を書いた貴重な証言である。http://www.east-hq.ntt-union.or.jp/paper/seisou/seisou_030111.html(ちなみに、関口氏は県議の前は上記の労組関係の学校の講師を務め、アメリカに移民してAFL〔アメリカ労働総同盟〕の組合運動を日本に移植しようとした先駆者、高野房太郎の研究で知られるが、今春の県議選で惜敗して上記の連載もそれで終了してしまった。)
引用文中の冒頭にある、「川崎市長選の混迷」とは一昨年2001年10月の同選挙で、当時の高橋清市長の高齢多選問題をめぐって、相乗り与党の結束が乱れ分裂選挙となり、結局、当時の松沢成文、中田宏の両衆議院議員が率先して擁立した阿部孝夫氏が新市長に当選した一件である。関口氏によれば、民主党県連でその半年後に控えた横浜市長選の対策を陣頭指揮したのが、当時の県連幹事長の齋藤勁(つよし)参議院議員であったという。齋藤氏は、苦学しながら横浜市職員として勤務し、自治労時代の市従組合の中執から市議2期を務め、旧社会党の自治体議員組織の全国幹部となり、神奈川県選出の参議院議員に当選して民主党に移って現在2期目の、自治労出身の「たたき上げ」の大物である。http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/profile/418.htm したがって、岩國氏の目には、高秀氏を推す齊藤氏らの勢力が「自治労主導」と映り、特定単産を名指しで攻撃する論法となったものと思われる。また、今も県連会長はもう1人の参議院議員、藁科満治(わらしなみつはる)氏が務めるが、彼は旧社会党系の電機労連委員長とその上部の中立労連議長を経て社会党比例名簿1位で初当選し、その後民主党に移籍した大物として齋藤氏と同様である。 http://www.warashina.gr.jp/profile.html したがって、民主党の副代表を務める岩國氏としては、旧社会党系の労組出身者が握る神奈川県連の「高秀推薦」の決定を覆すべく奮闘したが、結局「誰も推薦せず」という同党中央の日和見的な決定となったと思われる。
かくて、岩國氏のエッセーどおりの展開となり、中田市長の当選後1年余りは民主党県連は分裂状況にあったが、今春の統一地方選挙での松沢県知事誕生などを経て、その「修復」をめざす動きが出てきたようである。さる5月25日に民主党県連は、2003年度の定期大会を開催したが、『読売新聞』神奈川版、翌26日付けは以下のように報じている。
民主党県連は二十五日、横浜市内のホテルで定期大会を開き、新執行部の選出や活動方針を決めた。
新執行部人事では、代表に藁科満治参院議員(71)を再任。幹事長には、松沢知事擁立に中心的な役割を果たした水戸将史県議(40)が選出された。
大会ではこのほか、県連に「会派対策委員会」を設け、民主党系会派が分裂している県議団と横浜市議団で、会派の統合を進めていくことが決められた。
一方、民主党所属で横浜市議の佐藤行信容疑者(48)が、四月の横浜市議選をめぐり公選法違反容疑で逮捕されたことについて、藁科代表は、「まことに遺憾。事実だとすれば、党のイメージ悪化や総選挙にも影響する、ゆゆしき問題。役員会で調査し、厳正に対処したい」と述べた。
すなわち、藁科代表は留任したものの幹事長だった齋藤氏は副代表に祭り上げられ、松沢氏と同じ松下政経塾出身の勝又恒一郎県議らと組織した「明日の知事を考える県政刷新の会」の代表を務めた水戸将史県議 http://club1.s-direct.com/users/kickoff/profile/profile.htm が後任の幹事長に抜擢されたのである。また、副代表の1人から、前出の旧同盟・民社系の大物、田中慶秋衆議院議員が藁科代表の「代行」に据えられた。しかし、田中氏も直接の後輩の小幡市議らとは一線を画していた模様であり、それが最後の藁科代表の佐藤容疑者(当時)への厳しい言葉となっていると考えられる。
以上の中田・松沢勢力との関係修復の動きは、横浜市長選で中央・地方とも一致して高秀氏を推した連合の方でも急速に進行しているようであるが、それが連合神奈川の「亀裂」を招きかねない情勢である。それを次回は指摘して最終回としよう(続く)。
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/030717taira.doc