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脱北在日帰国者と石丸次郎さんの報告を聞く
市場化、食糧難、難民流出
一月三十一日、労働スクエア東京で「北朝鮮社会の変化と脱北者の現状」の報告会がアジア・ライターズ・クラブ主催で行われた。中朝国境で取材を続ける石丸次郎さん(ジャーナリスト)は「北朝鮮で、去年の春に商行為が合法化され、猛烈な勢いで市場が増殖している。その一方で、依然として食糧難や難民流出は続いている」ことを報告した(別掲)。
次に、〇一年に脱北して日本に帰国した韓正植(ハン・ジョンシク)さんに石丸さんが「北朝鮮の生活や脱北について」インタビューした。最後、北朝鮮難民救援基金の加藤博さんが、北朝鮮難民を助けるために行動していた野口孝行さんが逮捕された状況を報告し、北朝鮮難民と野口さんの救出を訴えた。 (M)
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在日帰国者・韓正植(ハン・ジョンシク)さんの証言
北朝鮮での生活はどうだったか、なぜ脱北したか
韓さんは、一九五〇年代に関東地方で在日三世として生まれ、一九六〇年代に両親とともに北朝鮮に帰国。一流企業の管理部門の労働者として働き、〇一年に妻子を残し脱北し日本に帰ってきた。
――脱北の動機は?
最初に、私がなぜ証言しようと思ったかを話したい。それは北朝鮮難民救援基金の野口孝行さんが逮捕されたのを知って衝撃を受けた。いままで、日本の方々が助けてくれるなんて、想像もできなかった。野口さんの命をかけての救援活動に敬意を表し、勇気を出して証言をしたい。
脱出の動機は、生活に何も展望がなかったからだ。生き残りをかけて、子どもたちを助けるために、中国あるいは日本へ行って稼ぎたかった。
――食糧難はいつ頃からか。
三歳の息子が配給がないために衰弱死したのが八九年だ。一月から三月まで配給がなくなった。五月にじゃがいも、七月にとうもろこしが採れるようになってようやく少し手に入れた。食糧難はだんだん拡大し、九五年にはピョンヤンにも及んだ。
――日常的にどれくらい食べていたのか?
おとなで仕事している人は一日七百グラム。一九六八年から、国が単位組織に配給をするがその一部を国家に返すことが奨励され、実際には決められた通り配給されなかった。八〇年代になると五百三十グラムになった。
おかずは醤油・味噌・野菜だ。それを配給制で配っていたが七〇年代に入って、返済金の代わりにソ連に送らなければなくなり、足りなくなった。隠れてやっていた農地から採れた野菜をヤミに流す市場が姿を現わした。キムチに使うトウガラシが配給できなくなり、市場で買わざるをえなくなった。
――九〇年代に入って最も悪かったのはいつか?
九四年七月に金日成が亡くなって三年間は国が機能しなかった。パニックが起こり、無秩序になりすべての人が略奪をした。地域の権力者が強盗し、農村にあった倉庫の食糧はあっという間になくなった。警察官も本人だけの配給があったが、家族の分はなかった。軍隊でも十八歳くらいの若者は完全に栄養失調になった。軍隊が略奪・強盗に走った。
私は、とうもろこしが五キログラムしかなくなった時点で子どもなどに食べさせるために食べるのをやめたら意識がなくなった。友達に助けられて、一週間後に意識が戻った。子どもたちや老人が毎日死んでいった。駅などでは足の踏み場がないほど死体があった。北朝鮮の社会が崩れてしまうのではないかと思った。新しい社会が来るのではないかと期待もした。
――ソ連・東欧の崩壊を知ってどうだったか?
北朝鮮が変わると思った。北朝鮮は生産が拡大したことがなかった。七〇年代までは、ソ連・中国・東欧の援助があった。七〇年代半ばから十五年間日本からのおカネがけっこう入った。北朝鮮は過去、まともな経済運営をしたことがなく常に失敗していた。ソ連の崩壊が起きて、なんとかなってほしい、なると思っていた。韓国の発展の情報が入って、「あれだ」と思った。
韓国社会の情報は、在日朝鮮人がマンボンギョン号によって北朝鮮を訪れることによってもたらされた。八〇年代になると、韓国のテレビを隠れて見るようになった。三八度線の近い所では、韓国からの宣伝用風船によっていろんな物が届いた。麻薬と同じで、韓国の情報を一度知ってしまうと止められなくなってしまう。韓国の造船が世界のトップレベルだとか、北朝鮮より韓国が千倍も豊かだということをみんな知っていた。
金日成は「白米・肉の味噌汁、絹の服、瓦屋の家を人民に与える」と約束した。しかし、それは実現したことがない。北朝鮮はウソつきだ。権力者の市場独占になっている。民衆はみんな「お前たちは構わないでくれ。自由に商売をさせてくれ」と思っている。実は権力を握っている者も自由経済を要求している。
――金正日のことを敬愛する将軍様などと宣伝しているが実際はどう思っていたのか?
私は七〇年代半ばまでは忠誠心に燃えていて、そっくりそのまま信じていた。もともとの北朝鮮の人は金正日を偉大なる将軍様と言うが、それを自分の利益になるように利用していた。将軍様と話す人が将軍様になってしまう。すべての幹部が将軍になって、自分の利益を追求するのだ。
みんなすごく知りたがっていたが金正日の家系のことはタブーであり最大の秘密だ。後継者問題で、金正男のことは知らない。
――在日帰国者の状況はどうだったか?
北朝鮮に帰国して、最初がっかりした。こんなにまでひどいとは思ってもみなかった。思った所に行かれない、いきなり田舎に行かされた。それでも、その田舎で一番良い住宅が与えられた。チョンリマ運動が行われおり、共産主義的生活という雰囲気だった。
帰国者に一定の優遇措置はとられたが、当時の日本と比べても生活はひどいものだった。各家には風呂はなく、十万人の都市で銭湯がひとつぐらいだった。ピョンヤンのアパートでも二階までしか水がこなかった。お風呂もなかった。外に出ると、子どもがぞろぞろついてくる。自分の履いているゴム靴などがめずらしかったからだ。私たち帰国者の方が生活レベルが高かったから、ヤッカミがあった。植民地時代の反日感情が爆発するようだった。日本から持っていったランドセルや靴がとられた。
六〇年代後半からしめつけが厳しくなった。国家保衛部が成績を上げるために、帰国者をねらった。七〇年代に入り、総連の幹部・商工者などが買える外貨ショップが作られた。これを利用する帰国者がターゲットにされ、政治犯化されて、おカネを奪われた。私の知り合いは、戦前の日本共産党時代に日本の警察に逮捕され、転向しただろうと言って逮捕された。
――脱北者のことはいつ頃知ったか?
九五〜九六年頃、中国の親戚を訪ねて行ったり着たりしている人を知った。そこで、北朝鮮は中国の五分の一ぐらいの経済状態だということを知った。北朝鮮の人は外国を怖がっている。飢え死にそこそこでは動かない。死ぬのを覚悟でしか動かない。
――北朝鮮経済制裁法案についてはどう思うか?
非常に残念だと思う。在日は日本と北朝鮮とのパイプ役だ。帰国者の四〇%はエリートになっている。帰国者の命は日本の家族・親戚が握っている。帰国者の存在価値がなくなってしまう。(発言要旨、文責編集部)
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石丸次郎さんの報告から
ヤミ市場統制の失敗と自由市場の復活、貧富の差と高まる不満
私は一九九三年から現在まで、北朝鮮に何が起こっているか知るために、中朝国境に三十回取材に行った。経済が破綻し、九五年から九八年に三百万人にものぼる餓死者が出た。
脱北者は九七年〜九九年がピークだった。越境し行ったり来たりした人はおそらく二百万人ぐらいで、中国に難民化している人は五万人から十万人ではないか。脱北者に変化が起きている。最初は飢餓からの脱出だったが、最近は「発展の可能性のない体制がいやだ。自由が欲しい」という理由になっている。
人々は移動が制限されているにもかかわらず、国中を移動して食べ物を得るためにさまよった。国家的統制は崩壊し、ヤミ経済がまんえんした。
〇二年七月に、北朝鮮政府は「経済管理改善措置」と呼ばれる新経済政策を導入した。ヤミ市場を強制的に廃止し、すべての物の値段を再度設定して、個人の商売をあらためて禁じ、国定商店でのみ販売・購入するようにした。国家が物流をコントロールしようというもくろみだ。
そのために、旧ヤミ市の実勢価格に合わせて公定価格を引き上げ、それに合わせて規定賃金も引き上げた。また各企業にも成果主義を導入し、労働意欲の刺激策とした。一部に競争原理を導入しつつ、国家統制経済システムの復活をめざした。
しかし、国家が物資を供給できないにもかかわらず「ヤミ市場」を廃止したため、物流が滞って超インフレをまねいた。政府が約束していた給料も配給も全く出ない。国際社会からの食糧支援の急減もあって、〇三年に入ってから一部では餓死者が発生するようになったようだ。この経済政策は大失敗した。北朝鮮政府は一年経たずに、昨年四月から市場を公式に復活させ、国民の商行為を認めざるを得なくなった。北朝鮮の民衆はこれを大歓迎している。
昨年の九月に中朝国境に取材に行ってきた。北朝鮮北東部の恵山(ヘサン)市(人口25万)に潜入したビデオを見て驚いた。物があふれている市場―資本主義社会の姿があった。中国からの密貿易で国内で生産できない物が入っている。地元の人が買うというより、全国から買いつけにきている。恵山の一部の人々の生活レベルはピョンヤンより高くなったという。
金持ちは豊かになっている。貧富の差が広がっている。貧しい人、弱い人はみんな死んでいき、強いものだけが生き残った。人々の間には不満が高まっている。思想、情報、移動、経済活動の徹底的な国家統制・管理が、北朝鮮特有の独裁体制を支えてきたが、ヤミ経済を追認し、市場経済的な要素を取り入れざるを得なくなった。労働党支配の五十年の歴史に変化が起きている。これが支配体制をぐらつかせ、崩壊のキッカケになるか判断は難しい。(発言要旨、文責編集部)
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