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と、本題に入る前に、「そういえば、加藤紘一氏とのトークバトルはどうなってるん
ですか?」という問いあわせが、最近、いくつかありました。私も前の書き込みで「年
明けにもやるで!」と言った手前、その発言との整合性をまとめるため、その経緯をち
ょっとここで説明いたしますと、昨年の暮れに、ある人を介して、「新宿ロフト・プラ
スワンで、加藤紘一さんを招いてトークライブをやろうと思ってるですけど、古川さん
に司会をお願いできませんでしょうか」と、オファーがあったのです。
私的には全然、問題がないどころか、こういうイベントはガンガンやっていく必要性
を感じていたので、二つ返事でオッケーしました。
で、「じゃあ、とりあえず、最低限、加藤さんと古川さんは出席して、それに他の国
会議員を絡めていったらどうでしょうか」と打ち返しがあったんで、「そのへんの人選
はすべて主催者側にお任せします。私的にはマルハム以外であればOKで(笑)、でき
れば、自民、民主あたりのイキのいい若手を引っ張り出せばオモロクなるでしょう」と
だけ言っておきました。
んで、主催者のロフト・プラスワンの平野悠席亭も「加藤さんなら観客の動員が見込
める」ということで、チョーやる気マンマンであるとのことでしたので、トントン拍子
に話は進み、「ということですので、2月か3月にスケジュールを入れます」というこ
とで、私も首を長くして連絡をずうーっと待っていたのですが、なぜかその後、プッツ
リと音沙汰がないのです。
伝え聞くところでは、加藤氏側が「予算委審議もあって、スケジュールの調整が取り
にくい」と言ってきているらしいですが、つい最近、イラクへの自衛隊派遣国会承認を
めぐる衆院本会議での採決で、加藤氏の他にも古賀誠やカメ(=亀井静香)が欠席して、
党の方針に“造反”しました。
それ自体は、国会議員というより、ひとりの人間として良識ある行動を取ったまでの
ことで、「やはり、さすが」だとの見識をいっそう深めましたが、ところが、あの終わ
ってる自眠党内では「ここで、造反議員を処分をしないと示しがつかない」と、また、
例によって「加藤紘一イジメ」をしようと手ぐすねを引いて待ってる輩が、ウンカのご
とく滞っているのだそうです(笑)。
で、あの福田康夫も入れると、本会議を欠席した“造反議員”は4人ですが、中でも
加藤氏は「加藤政局で一度楯突いてるのに、今回は復党して間もないのに、また、造反
するとはケシカラン」と、相変わらず、バカ丸出しの自民党執行部(=小泉、アベ)は
特に加藤氏だけは重い処分をチラつかせる一方で、「ここでヘンに追い込んだら、本
気で牙を剥いて、ヤブヘビにもなりかねない」とビビる意見もあるとのことです。
まあ、永田町内でも、とりわけ、世間の常識、良識とは乖離しまくっているアソコの
党がどうあろうと、基本的には私の知ったことではないのですが(笑)、しかし、とり
あえず、看板の上では「自由」であり「民主的」あろうと標榜しているはずの政党が、
どこぞやの大カルト結社がコントロールする党を牛耳っておられる、さるエラい大セン
セイのように、極めて陰湿かつ姑息で、ファッショ的な手法を使おうをしているのは、
何ともオモロイです。
私的には、真の「リアル・リベラル新党」の結成のためには、ここはぜひ、「加藤紘
一処分」を「政局」に使わせてもらいたいくらいで、「飛んで火に入る夏の虫ならぬ、
立春の虫」とばかりに、ここは一番重い「除名」でもケッコーだと思っています(#そ
うでもせんと、ああいう優柔不断系のオッサンの重い腰を上げさせるのは大変だしな)。
ここで彼がスジを通しまくったことにより、あの自眠党から、懲戒処分を受けるとい
うのは、要するに「勲章」以外の何物でもないのです。そこが、説明不十分で墓穴を掘
った民主党の古賀潤一郎のケースとは、大違いなのです。ちょっと時代がかった言葉で
すが、「造反有理」とは、まさにこのことです。
という状況もあって、とりあえず、加藤紘一氏とのトークバトルはペンディング状態
となっていますが、私はいつでもOKですので、加藤氏はこのオファーを必ずや受けて
くれると信じています(笑)。
ま、そんなにあせらなくても、どうせ、政局を根底からひっくり返す大イベントを夏
に控えていますので、トークバトルもそれに合わせるぐらいでもちょうどいいと私は思
っていますが。
さて、閑話休題ということで、タイトルにあるテーマに入ってきますが、米英による
イラクへの武力行使の動きが高まってから、ちょうど1年になります。日本も含めて、
その間の変化というのは、何とも急激で、あれから1年経って、日本が自衛隊をイラク
に派兵していることなど、去年の今頃に想像しえた人がどこにいたでしょうか?
その意味では、まさに「永田町と男女の仲は一寸先は闇」だということを痛感します
が、そうしたありふれたフレーズを突き破り、それから(というより、例の9・11以
降からずうーっとですが)私の頭の中から離れないのが、「アメリカとは何か」という
ギモンです。
結論的には、その答えはまだ見つかっておらず、「わからない」というのが正直なと
ころなのですが、まあ、今回もそのわからないなりに、自分なりの答えを見つけるべく
いくばくかの考察を進めていきたいと思います。
アメリカを軸にした、昨年3月20日の開戦後の流れをざーっと振り返っておきます
と、わずか半月あまりでバクダッドは陥落したものの、じつはそれが「終わりなき泥沼
(=アリ地獄)」の始まりで、昨年8月にはバクダッドの国連事務所が攻撃を受ける一
方、米兵に対するイラク人たちのレジスタンスは止まることを知りません。
ペンタゴンが今年1月2日に発表したところでは、米兵の死者の総数は478人で、
うち、ブッシュの“勝利宣言”後に命を落としたのが、何と340人に達しています。
その間、フセインの身柄を拘束した(=昨年12月13日)こともあって、それまで
やや反戦に傾きかけていたアメリカ国内の世論も、また大きく元に戻ってしまった感も
ありますが、最近になって、アメリカによるイラクの大量破壊兵器捜索を指揮したデビ
ット・ケイ中央情報局特別顧問が「大量破壊兵器の大量備蓄はなかった」と明言して、
その職を辞しました。そこで、政権内部からこうした綻びが出てきていることの意味は
非常に大きいといえると思います。
今回、アメリカがイラクに戦争を仕掛けた論拠の大本とは、02年9月20日に正式
に表明した「ブッシュ・ドクトリン」にあります(もっとも、これはネオコンの連中が
シンクタンクで言っていたことをそのまま取り込んだだけにすぎませんが)。
それは、経済成長で台頭してきている中国を念頭に置いたうえで、「ソ連崩壊後、圧
倒的な優位に立った米国にいかなる国家も追いつくことは許されない」ということをモ
ットーに、「大量破壊兵器の入手、使用を認めるテロ組織の撲滅」の旗印のもと、「そ
うした脅威を取り除くため、そのような大量破壊兵器を持つ敵に対しては、自国(=ア
メリカ合衆国)の自衛のため、先制単独攻撃も辞さない」としています。
そもそも、「冷戦終結後、一人勝ち状況にあるアメリカの存在を脅かすのは許せない」
と、「ナンバー2以下の存在は認めない」として、「アメリカになびかない国はナン
ボでも叩く」というリクツそのものが私のアタマでは到底、理解できませんが、そこの
部分は1万歩譲るとして、「大量破壊兵器を持っているというだけで、米軍は他国の領
土に侵入して、軍事攻撃を行うことができる」というのも、じつに無茶苦茶な論理です
なぜなら、地球上で最も多くの大量破壊兵器を持っているのが、他ならぬアメリカで
かつてイラクが保有していた大量破壊兵器においても、例のイラン・イラク戦争で、
アメリカに楯突いたイラン・シーア派のイスラム原理主義の波及をくい止めるために、
その防波堤としてイラクのフセインにテコ入れしていったのが、そのアメリカだったわ
けですから、火種を自分で作っておいて、それに放水しようとする「マッチ・ポンプ」
とは、まさにこのことです(そして、イランがホメイニによるイスラム革命に走った原
因も、アメリカが後押ししたパーレビー王朝が腐敗しまくったところにあるわけですか
ら)。
こうして、「大量破壊兵器を持っている国はケシカラン」と戦争を仕掛ける論理その
ものが、既に破綻しているのですが(笑)、そこからさらに100万歩譲って、「その
大量破壊兵器がないのに、戦争を仕掛けていいのか」ということが問われているのが、
一連の「イラク戦争の大義」の問題であるわけです。
こうしたイラクにおかる「大量破壊兵器保有」の問題は、既に開戦前に、国連兵器査
察官を務めたスコット・リッターが次のように証言しています(引用は『世界』03年
4月号より)。
「過去において、イラクが大量破壊兵器を保有していたのは間違いないが、91年か
ら98年において、国連の兵器査察官として携わった任務のなかで、イラクの武装解除
に関して、大きな成果を上げることができた。具体的に言えば、イラクの大量破壊兵器
の90〜95%が、査察官によって検証可能な形で廃棄されている。残りの5〜10%
が最終的にどうなっているかだが、94年から98年まで、兵器査察官たちが軍備管理
史上最も厳しい現地査察監視システムと抜き打ち査察によって、イラクの工業インフラ
全体に網を被せながら、一度も違反活動の継続を裏付けるものが検知されず、イラクが
その種の活動を再開しようとしている証拠も見つからなかったことは、多少の安心材料
になる。つまり、もし、イラクが現在、大量破壊兵器を保有しているとしたら、98年
以降に製造基盤を再建する必要があったということになるが、そのような疑いを裏付け
る確かな根拠は誰もつかんでいない。もちろん、説明のつかない残りの5〜10%は懸
念材料だが、初歩的な調査をすれば、その不安を和らげることはできる」
ここで100歩譲って、もし万が一、「イラクの大量破壊兵器の5〜10%」が開戦
の時点で残っていたとしたところで、「それを大量破壊兵器の保有」とみなして、武力
攻撃の論拠にもなりえるとは思いませんが、実際、フセインの長女の夫で、湾岸戦争の
際、大量破壊兵器開発の責任だったカメル元中将(95年に亡命)が「大量破壊兵器の
うち、化学兵器は湾岸戦争後に破壊した。生物兵器も国連の査察後、すべて廃棄した」
と明言しています。
そこで、大量破壊兵器捜索の指揮を命じられたケイ特別顧問は、このカメル証言を裏
付ける形で「生物・化学兵器は国連査察とイラクの独自対応で廃棄され、90年代半ば
以降、大規模な備蓄はなかった」と、調査結果を報告しているのです。
もちろん、アメリカのイラクへの軍事侵攻が、無辜の民を無差別に殺戮しているとい
う「人道に反する罪」であるのは言うまでもありませんが、「フセイン政権は大量破壊
兵器を保有している」という“大義名分”すら、木っ端微塵に砕け散ってしまったので
す。そうしたアメリカの言いなりになって、「人道復興支援」という大ウソのもと、実
質的には軍隊そのものである自衛隊をイラクに送り込んでいる小泉純一郎、池田大作と
いう、この国の「オモテ、ウラの総理大臣」とは、いったい、いかなる存在なのでしょ
うか?
このようになりふり構わぬ戦争に突き進むアメリカという国の深層において、ロッキ
ード・マーティンやボーイングといった軍需産業という「死の商人」の“利権”、さら
にはその背後で糸を引くモルガンやロックフェラーといった国際金融資本の存在はとも
かく、では、なぜ、あの9・11をきっかけに、アメリカが何かのタガ外れたように、
一挙に保守化し、「有事体制」に突き進んでいっているのかが、私には今でもよくわか
らないのです。
そこで、最近、フランスの人口学者、エマニュエル・トッドが『帝国以後――アメリ
カ・システムの崩壊』(藤原書店)という本の中で、「帝国支配を強めるアメリカのホ
ンネにあるものとは、じつは彼らの『弱さの裏返し』なのだ」という、興味深い仮説を
立てています。
昨今流布している「ネオ・アメリカ帝国主義論」とは、そのアメリカの圧倒的軍事力
さらには市場経済をバックという「強さ」でもって、世界征服を狙っているんだという
古代ローマ帝国をも引き合いに出した古典的なロジックですが、トッドはそれとはまっ
たく逆に、アメリカのその巨額な貿易赤字などに着目し、そこから「アフガンやイラク
のような弱小国への軍事攻勢は、米国経済の弱さを多い隠すもので、非軍事的な問題
を軍事で解決しようとしている。他国は米国なしでもやれるのに、米国は不可欠だと
見せつけたいのだ」と分析しています(2月4日付け毎日新聞夕刊でのインタビュー)
そして、日本に対しても、アメリカとの関係について、こう述べています。
「日本が唯一頼りにする国家(=アメリカ)がもはや安定した社会を有していないと
いうことを認識すべきだ。最優先の課題の一つは、欧州と日本との間に直接のリンクを
設けることだろう」
これは「9・11」の同時多発テロの衝撃が、アメリカ国民の心のいちばん深い部分
にどのような傷をつけ、その痛みが彼らをどのような方向に向かわせようとしているの
か、というところともつながってくるのですが、このトッドの指摘した「弱さの裏返し」
とも重なると思うのですが、『プレイボーイ』日本版の02年6月号で、ピューリツァー
賞も受賞したアメリカの作家、ノーマン・メイラーがインタビューで次のように語ってい
たのが、印象に残っています。
――数字では(死者の数は)少数でしたが、(同時多発テロの)インパクトは信じら
れないほどでした。
「そう、こうなるとこの国は、なぜ、こうも動揺したかのかという問いにもつながる。
この国がスーパーパワーであることは疑問の余地がない。ところが、この地球上でも
っともパワーある者の心を備えていない。たとえば、街でいちばんの大男、背丈は2メ
ートル、100キロを超える体重で筋肉モリモリの巨漢を想像してみよう。彼は天才で
はないが、強烈なエゴを持つ。いつも凄いとか強いと言われていないと気がすまない。
そう言われないと不安になってくる」
でもって、メイラーはインタビューの最後で、「実際、9月11日以降、アメリカの
自由は失われましたか?」との問いに対して、「そうだ。疑問の余地なく失われた。問
題は、これから将来にかけて、どれだけの自由がもっともっと失われていくかという点
にある。現在、この国を動かしているあの人々にとって、自由はどれほど大切だろうか?
彼らの頭に、自由を守らなければならないという考えが浮かぶとは思えない。テロと共
存できずに秩序を求めれば、最後に来るのはファシズムなのだよ」という言葉で締めく
くっています。
トッドの見方には反して、「アメリカがスーパーパワーであることには疑問の余地が
ない」とメイラーが言い切ってる点は、じつにアメリカ的(というより、アメリカその
もの)だと思いますが、でも、結局、両者が言わんとしていることは、本質的には同じ
ことなのではないかと私は思います。
考えてみれば、アメリカの歴史を繙いたときに、建国以来、あの真珠湾攻撃を除けば
(もっとも、これは本土ではなく、ハワイでしたから)、本土が外敵によるあれほど大
がかりな武力攻撃を受けたことは、なかったわけです。
確かに、ベトナム戦争に首を突っ込んで、遠いインドシナの地で多くの戦死者を出し
ましたが、誤解を恐れれずに言えば、それは「民間人」ではなく、「軍人」でした。そ
れでも、オリバー・ストーンの『プラトーン』に象徴されるように、「アメリカ人が被
った傷痕」というのは、確かに深いものではあったにせよ、その広がり方においては限
定的なものだったのかもしれません。
で、おそらく、スーパーパワーという巨漢が内部に抱え持つ「エゴ」の正体とは、お
そらく、「資本主義という宿痾」ではないのか、という気がするのですが、ベトナム戦
争の傷痕が消えていくという時期と、そうした冷戦の終結から始まる「アメリカ発のグ
ローバルスタンダードの時代」とが、ほぼ重なる形で90年代にやってきました。
ただ、あのITバブルに浮かれまくっていた景気のよさも、クリントンからブッシュ
へと政権交代したころを境に、一気に下落に向かい、そうしたデフェンシィブな草の根
のアメリカ国民の感情とも、密接につなかがっているような気がします。
一国の歴史であれ、ひとりの人間であれ、「敗北」という体験の中には、必ずそこに
傷と屈辱を伴います。私も含めて、人間というのは、その本来もっている防衛本能とい
うことから、できることなら傷つきたくはない。傷つくということには、必ずそこに痛
みを伴うからです。
しかし、思うのですが、本当の強さというのは、そうした腕力やカネの力を誇示する
ことではなくて、人間が根源的に孤独であり、弱い存在であることを自覚したうえで、
そうした痛みに耐える行為を通じて、「こんな思いをするのは、私(たち)だけで十分
であり、こんな苦労や屈辱は後世の世代に味あわせてはならない」という思いからでは
ないでしょうか。それゆえに、かの兼好法師が『徒然草』の中で、「友とするに悪き者」
の中に、敢えて「病なく身強き人」を挙げているような気がします。
話を元に戻しますと、小泉純一郎は、開戦時に「大量破壊兵器の廃棄を目的とした米
英軍の軍事行動を支持する」ということ言いました。
もちろん、イラクにそんなもんは最初からないのはわかり切っていたのですが、これ
だけ明々白々なウソが白日のもとに晒されているのにもかかわわず、まだ、「(イラク
が大量破壊兵器を)いま持ってるとも、持ってないとも断定できない」と居直り、陸上
自衛隊の本隊を、戦地であるイラクのサマワに送り込もうというのですから、こんなこ
とを言うのも「何をいまさら」ですが、「語るに落ちている」とはこのことです。
民主党の古賀潤一郎の学歴詐称疑惑がヤリ玉に挙げられましたが、同じ「ジュンイチ
ロウ」でも、古賀のウソと小泉のそれとでは、「天地のほどの差」があります。「クソ
とミソ」とを混同してはならない。
そこで、「小泉純一郎」と「池田大作」という「オモテ、ウラの総理大臣」が今後、
“改心”でもして、今までの政策を180度転換してくれれば、それもいいですが、そ
れは太陽が西から昇るがごとく、ありえない。
んでもって、連中が率先して、「一連の自衛隊のイラク派兵の責任を取って自ら下野
する」という潔さを持っているのならともかく、連中は文字通り、死ぬまでその「政権
与党の座」にしがみつきますから、それは「主権者の命」に従って、引きずり下ろすし
かない。それが、「命を変えること」、すなわち、「革命」であり、現行の政治システ
ムにおいては、選挙という手段しか、それを実現する方法がないのです。
確かに、今後、民主党を主軸とする政権に交代したところで、現状が好転する可能性
は低いと思います。
しかし、そのことによって、自衛隊員をイラクから連れ戻し、ブッシュとの付き合い
で出さなければならない“復興支援費用”という名の「上納金」の額が、ゼロにならな
いまでも、その十分の一か、せめて半減でもできれば、「自・公」が存続している状況
より、「マシになった」とはいえると思います。
その場合、このまま放っておいても、自然に自・公が政権から下りてくれるというこ
とは、繰り返しますが、絶対にありえません。そうであるのなら、我々の手で引きずり
下ろすしかないです。だからこそ、私は加藤紘一に「加藤政局の第二幕を仕掛けろ」と
ハッパをかける所以なのです。
http://furukawatoshiaki.at.infoseek.co.jp/article/2004/254.html