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【今日のぼやき】それと、人類月面着陸問題の関連についても少しだけ。
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/498.html
投稿者 エンセン 日時 2004 年 2 月 02 日 17:02:52:ieVyGVASbNhvI
 

 
「人類月面着陸問題」という部分だけを転載しようかと思ったのですが、「真実の期間計算」という内容も面白かったので、全文を転載します。
以下、転載。


「529」 「真実の期間計算」という私が作った理論を再度、説明します。それと「多時点モデル」という先端理論の類似性。それと、人類月面着陸問題の関連についても少しだけ。2004.2.2

副島隆彦です。  今日は、2004年2月2日です。
以下に載せるのは、今から2年半前に私が書いた、今日のぼやきの「176番」の文章の全文です。再掲載です。ここの目次から入れば会員なら読めます。

この文章は、私たちのここの理科系掲示板で、横山君が、参照(リンク先)してくれていたので、つい私が開いて読んでみたら、なかなか重要なことが書いている文章でした。それで、再掲載して皆さんに読んで貰(もら)おうと思ったのです。

転載する際に、この「176」を真ん中から半分に折って、後ろの方から先に載せます。それがここに採録しようとする私の意図に沿うからです。

「人類月面着陸」問題については、私は、追撃します。どうやら、火星に着陸したというNASAの探査機「スピリッツ」もおかしい。3500万キロものかなたにまで行って、そして「大気」(があるそうだ。笑い)に中を激しく落下して軟着陸したそうだが、それであんなに玩具(おもちゃ)のようにきれいな新品の機械なのですか。火星の空が赤かったり青かったり、おかしな発表をNASAは、繰り返しています。そんなにしてまで、連邦議会から予算(資金)を取らないと済まないのですかね。これは、もう暴走だ。巨大組織ほど、暴走すると止まらなくなる。35年前の大嘘(1969年から1972年までのアポロ=飛行士の月面着陸 計画)が出発点となって破局までゆくのでしょう。私は、すべての事態をしっかりと見届けます。

先ほど、理科系掲示板に、NASA肯定派(人類月面着陸有った派)の人たちを、誘って「そんなに言うのなら、私と一緒に、浜松町にある貿易センターの中になる、JAXA(ジャクサ、宇宙航空開発研究機構? 旧NASDA ナスダ)に近いうちに行きましょう」と書きました。彼ら自身が、JAXAの職員だったらお笑いを通り越すでしょう。
その時は、私、副島隆彦からの日本政府に対する行政訴訟(行政訴訟は、その国の国民が出来ます)の提起があるかもしれない、と思ってください。

ぼやきの会員専用ページの「528」で、アルル君が今、『アメリカ大統領選挙を予測する」の(2)を載せたそうです。私の語り下ろしです。私がすぐに手を入れて完成させますから、のんびりでいいかからしっかり読みたい人は、明日までお待ちください。

以下の「176」の中で、「多時点モデル」(inter-temmporal model インターテンポラル・モ(ウ)デル)という現在の理論経済学で最先端の理論についての説明があります。私は、これと同じものを「真実の期間計算」と独自に呼んで、ずっとこの考え方を自分なりの使ってきました。今、読み返すと、私自身にも納得が行きます。私が、人類月面問題に言及し始めた昨年の4月よりもずっと前の話です。

副島隆彦拝

「176」 「真実の期間計算」という理論を説明する 2001.7.25

副島隆彦です。今日は、2001年7月25日です。

(2004年2月2日に、副島隆彦が、この文の後半部を始めの方に持って来て、載せる。だから、書き出しが唐突になるが、我慢して読んでください。)

 ・・・・自然学問の場合は、ある証明は、他の誰かが、まったく異なる場所で、同じ条件で、追試験・追実験 demonstration デモンストレイション して、何度やっても同じ結論になるようなもの、でなければならない。そうでなければ、ある事柄の判定も法則や原理の発見もありえない。

この近代学問の実行の際の、土台・基礎が、証明 proof である。
日本では、文科系の学者・知識人というのは、この「厳格に条件づけられた一定の範囲の中での証明」ということがわかっていない、という、ことが、今に至って問題なのだ。もうこれ以上、分かり易く書かない。私自身が切実に抱え込んできた問題点を書き留める、という作業の一環に今は、過ぎないからだ。

この「真実の期間計算」は、もとより、会計学の期間計算、という重要な制度枠組みの考えを私が、採用して、それを、政治(学)に当てはめようととして、使っているものだ。期間計算は、一番簡単に言えば、「○○年の1月1日から12月1日までの一年間の期間で、損益を計算し、12月31日時点での、資産と負債と、資本金(内部留保)を確定する」という会計学あるいは、企業会計原則の考え方だ。

近年、この財務諸表(会計帳簿)の実際の運用が、形骸化して空洞化している隙をついて、キャッシュ・フロー会計という、身も蓋(ふた)もない、あからさまな会計理論が出てきた。従来の会計学を打ち倒して学問の廃墟にしてしまいそうな実践理論だ。このキャッシュ・フロー会計というのは、簡単に言うと、「今、あなたの会社には、実際に使える資金は、本当は、どれだけありますか」というものだ。

最近は、どんな大企業でも、いつ倒産(破綻)するか分からないから、どこの会社も、経営陣は、手元に現金を握り締めて、それで、いざと言う時を生き延びようと、必死なのである。銀行から借りている多額の融資金の残高を減らそうともしないで、現金にちかい、いつでも引き出せる当座預金のような資金を手元においている。だから、いくら日銀が、資金を市場に出しても、企業は、現金をを使わないで、溜め込んだままにしている。・・・こんな話も、脇道にそれた。

この、私の提唱する「政治諸問題における、判断の際の、真実の期間計算」は、実は、アメリカ経済学の最近の先端の研究でも使われている。それは、一般に、「多時点モデル」(inter-temmporal model インターテンポラル・モ(ウ)デル)と呼ばれるものだ。

1980年代からの、ハーバード大学系(即ち、グローバリスト系)の若手の学者たちの、研究はほとんど、この「多時点モデル」だ。

始まりは、シカゴ学派の裏切り者と呼ぶべきで、ハーバード大学に移ったロバート・バロー Robert Barro  教授の「リカードウの中立命題(仮説)」だ。この「リカードウ仮説」とは、簡単にいえば、国債(赤字財政)と、増税は、一国の国民経済にとっては、長い目でみれば、結局、同じことだ、と、する理論だ。

国民は、増税(例えば、福祉のための消費税値上げ15%の導入とか)を激しく嫌うので、政府は、どうしても支払わなければならない国家財政を賄うために赤字国債を発行する。その額は、ついに巨額にふくらんで、それで、かえせなくなる。それで、大きなインフレが襲い掛かってきて、結局、国民の貯蓄が、吹き飛ばされて、それで、税金を払ったことと等しくなる。30年、40年の期間の、長い目でみれば、だから、増税と公債(赤字国債)は同じことだ、とする考えである。

果たして、このリカードウ(ケインズに、「マルクスは、リカードウの亜流に過ぎない」と見抜かれた19世紀の初期の経済学者)が、税金・財政赤字の相関理論を、バローの説明したとおりに書いているのか、までは、私は、検証しない。

いろいろ複雑な、私の書いたことの丁度、逆のような論述にして、学問的には、定義するらしい。しかし、どうせ、たかか、極東のはずれの、日本の翻訳経済学者どもが、何百人、「バローによるリカードの公債と増税の中立命題」をああだ、こうだ、と言ってみたって、全部、輸入学問だから、翻訳家か解説者に過ぎない。私は、鼻で笑って、原典に当たるだけだ。

このバローたちの「多時点モデル」という、言ってみれば、私の「期間計算」という考えに非常に似ている方法学(思考枠組み)を使って、アメリカの最先端の大秀才の経済学者たちは、議論しあっている。いつから、いつまでの、何という国のマクロ経済(一国経済)を分析するか、で、分析の道具にこれを使っている。

この「多時点モデル」を使って、例の、ハーバードの“神童”ユダヤ人3人組の、ラリー・サマーズ(現。ハーバード大学長)と、ジェフリー・サックスと、ポール・クルーグマンが、全く似たような研究をずっとやって来たのだ。この3人の代表的なグローバリスト経済学者を、世界金融管理の、現場の最高司令官とするエコノ・グローバリストに私たちの日本は、この十年、翻弄され、騙され、激しく痛めつけられ、こんなひどい現状になったのだ。

金融政策 monetary policy と、財政政策 fiscal policy の経済政策 economic policyの両面 で、私たちは、この10年、彼らが次々に繰り出す手にいい様に翻弄され、徹底的に騙された。それを見抜いて、政治家(国民指導者)たちに「このままじゃ、日本は、やられてしまいます」と真剣に提言する経済学者が一人もいなかった。つまり、みんな手先にされて、いいように若いころから操られているのばっかり

だから、やっぱり、みんな手先だ。君は秀才だし、数学も出来るからハーバード大学に留学したまえ、と薦められて、それで、8世紀の遣唐使にくっついて行った留学僧そっくりでアメリカに送り込まれた者たちばっかりだ。

それで、「あの、大学の先生は、サマーズや、サックスと仲がよいそうだから、ひとつ、交渉してきてもらおうか。何とか厳しい要求をかわして、うまく、まとめて来てくれるのでないか」と、日本の政治家たちは、これが、幕末開国期のアメリカのジョン・万次郎利用戦略による、日本強制開国の今日的具体化、だとも気づかずに。全員、うまく、はめられたのだ。ちがうのか。

そうでなければ、この金融敗戦の説明がつかないではないか。一体、日本のどの経済学者が、ここに至る事態で、正確に、「リカードウの税金と公債発行の中立命題」を正確に理解して、対策を立てたか。「金融ビッグ・バン」(金融自由化)という騙しの手口に、まんまと乗せられて、昭和5年(1930年)の浜口雄幸・井上準之介「金解禁」の失策と全く同じ策略にはめられたのだ。そして、金融自由化、どころか、公的資金の70兆円の投入で、大銀行を軒並み国有化して、つまり、現実には、まさしく、自由化の丁度、逆の金融統制体制に、移行した。

今は、国際間の資金の移動の自由化――日本が、こじ開けられたのが、ビッグバン。つまり、それまで、鎖国していた生娘が、強姦されたようなものだ――以降は、開放経済体制(一国封鎖経済ではない)になった。だから、マンデル=フレミングの理論に従えば、国内で、国債を発行して財政赤字を更に積みます、財政政策を、いくらやっても、為替の変動と、資金の海外流出で、効き目がなくなった。

だから、もう一度、金融政策で、お札(紙幣)を日銀に刷り散らかさせるしかない、とわめいている。これが、まともな人間の言う事か。2度騙されて、また、3度目も騙されましょう、それしか、他に手がないのだから、ということだ。
それで、日本は、3年後ぐらいに、襲い掛かってくるハイパー・インフレへの、地獄の坂道をころがりつつある最中だ。

それまでの、これからの2年間は、まだまだ、デフレ経済が続いて、物価もどんどん落ち続けるが賃金も下落を続ける。
失業者が目に見えて増加するだろう。地価も下がり続けるだろう。みんなその日ぐらしの、日雇い労働者感覚にあるだろう。それが、本来の姿であり、日本独特の終身雇用制という、ニューディーラー(元祖グローバリスト)が持ち込んだ、異様な雇用体制が、今、私たちの目の前で、崩壊しつつある。次は、いよいよ公務員のリストラである。それと、77個の特殊法人の民営化(これを、小泉政権の「聖域無き構造改革」という)が始まる。300万人からの大量の失業者を日本のどこの部分が吸収できるのか、誰も分からない。ただ、アメリカのグローバリストは、それを、やれ、と命令口調で、言う。

さて、そこで、私、副島隆彦の、この2年間を日本が生き抜く対策を、ひとつだけはっきりさせる。それは、こうなったら、世界帝国アメリカが、先に金融崩壊し、米ドル紙幣と石油のリンクからなる、現在のアメリカ主導の「修正IMF体制=米ドル紙切れ体制=ロックフェラー体制」が瓦解するのを、ひたすら辛抱して待つしかない。そのときが、世界恐慌だから、そのときの混乱期に、日本の活路を見つける。欧州、EU(ユナイテッド・ヨーロッパ!)の知識人政治家たちは、それを密かに狙っている。日本もこれに見習えばよい。

ロックフェラーたちだって、必死なのだ。現状の世界体制が崩れたら、一番困るのは、自分たちだ。自分たちが世界の各地をあこぎに騙して、収奪して蓄えた金融資産が吹っ飛ぶ。そうなれば、彼ら世界の支配者の負けだ。
だから、彼らだって必死なのだ。世界は、今、そのように動いているのだ。

日本では、私だけが、軽々と到達できる、この分析と、近未来予測を超えるものを提出する者が日本国内にいたら、名乗り出てもらおうではないか。私の猿真似で、こそこそと盗んで書いている連中ばっかりではないか。サマーズが研究したのは、この「多時点モデル」を使った、ライフサイクル仮説に基づく国民の貯蓄行動が、必ずしも、リカード・モデルに合致しないで、蓄財したまま、息子に相続させようとする、という分析結論を出した。こんなもので「神童」と呼ばれたのだ。雅子妃のハーバードのご養育管理係であったサックスは、東欧諸国や、南米で、「フリードマンのマネタリスト・ポリシー」をグローバリスト的に悪魔の手法で使って、改革、どころか、経済破綻させ、東欧諸国もロシアも、南米各国も、もっと、貧乏になってしまった。その張本人である。サックスは、70年代の石油ショックが、国民の消費行動にどのように関連して、長期と短期では、その国の経常収支に異なる結果をもたらした、という分析理論で、「神童」だった。『多時点モデル」そのものだ。恣意的に期間を設定して、その条件付けのなかで、厳格そうに結論づけたに過ぎない。

それから、あのポール・クルーグマンだ。彼がハーバード経済学部神童3人組の3番目だ。彼は、例のとおりの金融政策一点張りで、ターゲット・インフレ論の研究家だ。これだって、「多時点モデル」そのものだ。いつからいつまでの、日本の経済状態で、自分の目標・再インフレーション政策は、妥当するというようなことした書かない。クリントンに嫌われて政権入りできなかかった腹いせに、民主党員のくせに、今は、ブッシュ政権の経済アドヴァイザーを買って出ている。しかし、クルーグマンは、正直者で本物の学者だから、自分の魂をブッシュたちに売り渡したくないし、「自分の思った本当のことを言うのが、学者だ」と分かっているので、結局ブッシュ政権からも嫌われた。

 この3人の「ハーバードの神童」は、横並びで、ノーベル経済学賞の受賞競争をしている。日本叩きつぶし計画の功績で、ハーバードの学長になった、サマーズが一番、近いのかもしれない。しかし、である。もし、世界恐慌になってしまったら、この3人の「多時点モデル」の応用理論など、すべて、おじゃんになるだろう。現在、アメリカ理論経済学などというものは、この程度の、食わせ物のにせ学問である。

第二次大戦の南方戦線では、真珠湾攻撃からわずか半年あとのミッドウェー海戦に大敗して、空母を4隻やられたあとの日本軍は、アメリカ軍からは、「七面鳥撃ち」と呼ばれて、全ての海戦と島嶼壱戦で、皆殺しにされたのだ。これを同じ目にいま、日本は遭っているのだ、と、どうして、みんな、気づかないのだろうか。

こういう訳で、私の「真実の期間計算」理論の話は、終わりだ。私は,奇を衒(てら)った新奇な議論をここで展開しているのではない。そろそろ、堂に入ってきた、と自分での思うくらいに、自分の理論は一環してきたと、強く感じるようになっている。私が、負けたら、日本が負ける。それぐらいの気力の充実ぶりである。
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(ここからが、「176」の冒頭から前半部です。副島隆彦 記)


 今日は、「真実の期間計算」と言う言葉について説明します。この「真実の期間計算」は、私が勝手に一人で、この20年近く温めて、ぶつぶつといつもつぶやいていた考えです。考え、というよりも、思考のための基礎となる方法学(methodology メソドロジー)の一部、と呼んだ方がよいものです。

「真実の期間計算」という言葉は、おそらく、私以外の日本人は、使わない言葉、だと思います。この言葉の意味を、もっと、はっきりさせると「真実(あるいは、事実)を測定するための期間計算」となります。
もっと、分かり易くすると、「ある事柄(事象、出来事)が、事実あるいは真実であるか、どうかは、その事柄を、どの期間(時間の幅)で見て判断するかに、かかって来る」とする考えです。

私は、時々、雑誌の編集者のような人たちに、仕事でのインターヴューを含めて、つぎのように聞かれます。「副島さんは、これからの中国と日本の関係を、どのように考えますか」とか「今後の、日米関係はどうなると、お考えですか」とか、「アメリカ政治研究の専門家である副島さんに、アメリカがこれからどうなるか、を予測してもらいます」と、質問を投げかけられます。

私は、そのとき、戸惑う、というよりも、又これか、という気持ちになります。どうして、この人たちは、無前提に、無条件に、「今後の日米関係はどうなる」みたいな、大雑把な質問を平気でするのだろう、という反応を私はします。確かに、インターヴュアーとしてみれば、大きく風呂敷を広げて、相手に何でも自由にしゃべらせた方がいいので、こういう質問事項を、10ぐらい準備しておいて、それを、次々に投げかけた方が、便利でしょう。ですから、私が、逆の立場だったら、やっぱりこういう、いい加減な、どんぶり勘定式の質問の仕方をするでしょう。

ここが、日本人のいけないところだ、と、私が書いたら、また、いつもの日本知識人批判になってしまう。今日は、そういうことを書いていられない。

「真実の期間計算」は、「価値判断(value judgement )における、期間計算」と、書き換えてもよい。本当は、その方がよい。「真実(truth )(について)の期間計算」では、あまりに大仰かもしれない。ただ、私は、ひとりでずっと、20年間もひそかに、この思考のためのひとつの判定基準、を採用して来ているので、このまま使う。

このことは、それほど、難しいことを言っているのではない。たとえば、「これから中国はどうなるか」という極めて一般的な質問がある。それに対して、私は、「あなたは、その質問を、今から5年先の予測を、私に聞いているのか。それとも、10年後か、30年後のことか。100年先のことか。それとも、1年後の中国が、軍事大国化を更に推し進めてアメリカとぶつかることのなるとか、あるいは、中国の国営企業群の株式会社化を何とかやり抜いて、形だけでも開放経済体制を守るのか。そういうことを質問してるのですか。だから、この先のどこの未来時点での話をしているのですか」と聞き返すことになる。

これが、「真実の期間計算」だ。他にも、たとえば、これからの日米関係(日米同盟)がどうなるのか、という質問に対しても、全く、同じ回答をしなければならない。「今から3年後の日米の政治・外交関係ですか。それとも10年後の話ですか。それとも、今年の秋に、アメリカの景気が、いよいよ本格的に悪化して、世界的な大不況に突入するのか、という予測か。それとも、今の日本のデフレ・スパイラル経済だけが深刻化して、このまま日本だけが激しく追い詰められて、企業がまずます倒産し、失業者があふれるようになる、ということを、あなたは、聞きたいのか」と、矢継ぎ早に、私のほうから聞き返してしまう。

私は、もったいぶって、わざと鷹揚(おうよう)に構えて、質問者への回答をはぐらかしたりする人間ではない。本当は、確信をもった答えが無くて、他の評論家の本や新聞記事の中身をそのままなぞるだけ、の無難な受け売りばっかりやっている偽物言論人でもない。私の場合は、つねに、明晰に、明確に、だ。知り得る限りで明確に未来予測もする。だから、私の場合は、勢い、そういうやり取りになる。

これが、事実 facts の将来予測についての、期間計算という考え方である。期間計算は、そのまま、過去の歴史的な事件や事柄にたいする、評価の際の基準となる。「この問題は、歴史(家)の審判を仰がなければならない」という言葉に、この「真実(事実)の期間計算」という考え方が含まれている。

たとえば、「1937年(昭和12年)の12月13日の、日本軍による、中国国民党政府の首都であった南京占領の際の南京大虐殺は、有ったのか、無かったのか、それともその際の掃討戦の際に摘発した死者の数という、程度の問題か」という、例の歴史評価の大問題がある。これも「真実の期間計算」という考え方(方法学、メソドロジー)を組み込まない、と冷酷な判定はできないだろう。

歴史的な事件・出来事を、判定(判断)する、こちら側にいる、私たち人間のほうが、考え方をぐらつかせるから、判断の基準にならない、という問題が、前提 preposition として存在する。人間というのは当てにならない生き物だ。どんな優れた人物でも、10年単位で測定していると、随分と考えが変わってしまっている。それを、30年、40年の、ひとりの知識人の言論活動の全体像、として外側から観察的に見ると、その振幅(ぶれ)の大きさを、勘案しなければ済まない。

日本国内の基準でしかない、右だ、左だ、という基準は、本当は、無意味だ。日本的な基準での右・左というのは、世界全体の政治の枠組みでの右・左とは無関係だからだ。欧米の知識層からみた、日本の右・左、というのは、ソビエト、中国の影響を受けた者たちが左、アメリカの言うことになるべく従おう、というのが右、という事だ。たとえば、今のイランの大統領派の近代化支持勢力が、左で、国内のイスラム教の宗教勢力が右、ということと、似ている。ところが、欧米型の資本主義を支持する者が、本来の右(保守)であり、根本的なイスラム教の立場は、急進的な反米だから、過激な左の立場だ、ということで、右・左の分類基準は、簡単に、逆転する。

それでも一応日本国内で引いてある、政治的な、右・左の区別自体は、私も尊重するし、それしか他に、一番大きな判断基準はないだろうから、実際の現象面では、自分自身を含めて、この日本国内での右(保守派)か、左(リベラル派か)の色分けに従うしかない。人を勝手に決め付けるな、と説く人間が実際には決めつけをやるしかないのだから、どうにもならない。

私は、もうすぐ、マルクス主義(社会主義思想)批判を含んだ、日本の知識人・学者の歴史を批判する本を書くが、その中に、自分が20歳の頃に打ち立てて、ずっとブツブツと独りごちて来た、自分を支えた重要な考えがあり、それを書くつもりだ。これも「真実の期間計算」と似ている。

それは、歴史的な事件をあれこれ解釈し、判断するときに、この場合、歴史とは、河の流れの濁流のようなものである。そして、自分は、その歴史の大河の外側に居て、その河の濁流を安心して眺められる、土手あるいは、堤防の上に居て、そこから、歴史的諸事件を、まるで、人ごとのように、解釈し、価値判断をくだす、という態度は、をやめるべきだ、という考えである。

ここで、価値(values)とは、一番簡単に言えば、「すばらしい」ということ、だ。この価値、というものは、「正しい」ということ、とも違う。がここでは、価値については、論じない。

マルクス主義(左翼思想)について、大きく4点ぐらいに分けて、扱うつもりだが、まず、この「歴史という濁流の外側にいる自分」を認めるな、という指摘が重要である。自分こそは、河の流れの中にあって、流されながら翻弄されている存在にすぎないのでありから、物理学(自然学問)的な、意味での、観測者の安定した立場、など無い、ということだ。

無限遠点に同化出来て、ネグリジブル(無視してもいいほど)な定点と言うものを、文科系の学問は、どうしても獲得できない、ということだ。

このことが、政治的および事件の歴史的判定、事柄判定において、大事だと私は、考えている。つまり、マルクス主義者は、歴史の流の中に呑み込まれるようにして、もがいている、自分、という観測態度をとらなかった。だから、理想社会の建設(至福の千年王国論)という宗教運動に、自らがなっていった。自分はいつも、土手の上から、下界の出来事を観察している無前提に正しい存在(客観的観測者)という虚構を前提に置いて、世界を解釈しようとする。ところが、そのような虚構は、勝手に自分が信じ込んだ虚構だから、現実の自分たちは、哀れに追い詰められてゆく、実社会の敗残者の群れなのだ。実情としての自分は、ドブの中をはまってもがき苦しんでいるだけのちっぽけな生活者であるに過ぎない。

そして、当然、彼らには、「真実の期間計算」という考えは無い。この期間で考えれば、それは、うまくいっており、正義(正しい)行動、ということになる。ところが、それを、100年の期間に置き換えると、とたんに、失敗した計画に基づく失敗の実例、であり、すばらしい行動であった、どころか、倫理 erhics 的 にも悪(悪いこと)でもある、ということになる。これらは、期間計算の問題だ。

1930年代からの日本国の、大東亜共栄圏構想(八紘一宇)の行動が、東アジア圏への被害妄想的な、自暴自棄的な行動であったか、あるいは、早々と「民主化」(デモクラタイゼイション)を達成したアジアの強国が自然に選んだ道であり、悪ではなくて、 正義 justice にもかなっていた、と判断することもできる。それは、100年間という歴史時間を前提(条件)にすれば十分に成り立つことだ。日本人で、「日本の戦争中の国家犯罪」に、激しく、反発し、反論しようとする人たちは、ここの期間計算で、自分たちの立場を守ろうとしている。これは十分に根拠のあることだ。だから、問題は、「真実の期間計算」ということになる。私は、今、何も新奇なことを言おうとしているのではない。

日本的な左(リベラル派)に対して、生来の保守派(保守的態度の生き方)は、「自分は、この世の中に生かされている存在だ」という謙虚さから始めようとする。「自分は、世の中(社会)に生かされている」という謙虚さが、保守派を強くするし、目の前の現実にしっかり対応しようとする現実主義(リアリズム)の人生態度を選ばせる。だから、1991年の12月のソビエト・ロシアの崩壊によって、決定的に、ひとまず保守派が勝って、左翼勢力が世界的に敗北し退潮した。

このような歴史的な判定の問題、即ち、過去の出来事をめぐる判断の問題は、これ以上は、ありふれた議論だからもうやらない。将来あるいは、未来、近未来についての、「真実の予測についての期間計算」という方法学についても表面だけは説明した。これは、小室直樹先生の初期の重要な本である『超常識の方法』で力説したまさしく、学問(サイエンス)の基礎・土台となるメソドロジーの問題である。

近代学問(サイエンス)においては、条件づけられないものは、存在しないのと、同じだ、という大命題である。ある事柄は、それを、どこからどこまでの、どの領域で、どの時間の幅の中で観察、証明されることである、とする、仮説構成理論(ハイポセシス)ということである。地球が丸い(球体)であるか否かさえ、厳密には、いまだに、球体論は仮説である、という。なぜなら、私の目の前で、地上は限りなく平板であるからだ。人間 man が、 高等猿類 ape エイプ から進化したものであるか否かも、仮説のままなのだという。 

(ここから、冒頭に載せた後半部に続く)

副島隆彦拝


2001/07/25(Wed) No.01


2004/02/02(Mon) No.01


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