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(回答先: 反ユダヤ主義的だとADLが非難しているメル・ギブソンの映画「キリストの受難」 投稿者 Sちゃん 日時 2004 年 1 月 26 日 00:38:34)
Sちゃん。 こんにちは。
反ヤダヤ主義関係の話は知識が乏しいので、よく理解していませんが、
この英文は奇妙なことを書いてるんじゃないかなあ?
私の福音書の理解が浅いから分からないのかな?
(We were saddened and pained to find that "The Passion of the Christ" continues its unambiguous portrayal of Jews as being responsible for the death of Jesus. )
ギブソンの「受難劇」でユダヤ人にキリスト受難の責任をかぶせているということですね。
(Gibson's film reinforces the notion that the Jewish authorities and the Jewish mob are the ones ultimately responsible for the Crucifixion.)
ギブソンの映画では、パリサイ派とユダヤ人群衆が十字架に責任をかぶせていると。
(In the film, the Jews and a group of sadistic Roman soldiers are the only ones portrayed as evil. The Jews make blood-thirsty calls for Jesus' death on a continuous basis, and by the end, the group of Roman soldiers feels compassion, whereas the Jews never feel compassion for Jesus and his suffering. )
ユダヤ人とローマ兵が悪人として描かれている。
ユダ人はイエスの処刑を繰り返し求めた。
ローマ兵の一部はイエスに同情するが、ユダヤ人群衆は決して同情しなかったと。
この言い方だと、福音書そのままじゃない?
変だなあ。
本当に上に書いた理由に立つのであれば、
ギブソンの映画ではなく、
「福音書」を批判するべきでしょう。
もしもこういう理由でギブソンの受難劇が駄目なら、
ヨハン・セバスチャン・バッハの「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」
ハインリッヒ・シュッツの「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ルカ受難曲」
全部だめだね。
私の考えでは、
福音書は、
パリサイ派が群衆を洗脳、煽動し、
パリサイ批判者であり、本来は群衆の救済者であったはずのイエスを、その当の群衆の手によって殺害させた
そういう恐ろしい謀略の物語。
だからイエスは、パリサイ派は徹底的に批判するが、
イエスを殺せと怒り狂う群衆に対しては、
決して怒っていない。
人間であることの深い悲しみと哀れみを感じておられた。
そこが福音書の見どころ(西洋の「逆」勧進帳)。
群衆が荒れ狂えば荒れ狂うほど、
イエスは静かとなり、
群衆の憎しみが激しくなるほど、
イエスの群衆への愛は深くなり、輝く。
バッハもシュッツもそれをよくわかって作曲しています。
人の子と神の子への深い共感があります。
群衆がイエスに同情なんかしたら、
福音書は直ちに崩壊します。
それに群衆はともかく、パリサイ派を免罪したら、福音書は崩壊すると思う。
確かに一般大衆向けの映画で、
当時のユダヤ人群衆を醜く描くことは、
問題があるかもしれません。
描き方に配慮が必要だとは思う。
マタイによる福音書の一節「我と我が子孫に呪いがふりかかってもよい」
を根拠に虐殺を正当化するようなことは、
福音書の精神と違う(と思う)。
それはむしろ、煽動に踊らされ、正気を失ってイエスを十字架にかけた群衆と同じことをしている(と思う)。
映画での描き方が不適切で煽動になっては困るという危惧なら、それなりに分かるような気もしますが。
(それ以前に映画には不適切な題材みたいて気もします。
バッハやシュッツの描いたイエスを愛する私にとって、
映画はとんでもない冒涜としか思えません。
おおまるでクリスチャンみたいなことを書いてるね。 私)