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第一章
8つの足跡、あるいは火星人前史
http://web.mita.keio.ac.jp/~tatsumi/html/library_html/study%20room/mars/mars1.htm
「・・・わたしにわかっているのは、じつはこれこそ初期の終わりだ、ということだけさ。石器時代、青銅器時代、鉄器時代と、今後はこういういくつかの時代を一つの大きい名でひとまとめに扱い、この時代に人間は地球上を歩行し、朝は小鳥達の声を聞き、羨望の念から大声をあげた、というようになるだろう。将来はおそらくこの時代を『地上時代』とか、またことによったら『引力時代』と呼ぶようになるかもしれない。何百年もわれわれ人間は引力と戦ってきた。われわれがアミーバや魚だったころは、引力に体を圧しつぶされずに海から出ようとして苦心をした。いったん無事に陸にあがると、今度は、新発明になる脊柱を引力に折られずに直立しようとがんばり、よろめかずに歩き、倒れずに走ろうと努めたものだ。何十億年も引力はわれわれを生息地に押しとどめ、風雲、キャベツ蛾や蝉でわれわれをからかった。だからこそ、今夜は真に偉大なのさ。・・・今夜こそはあの『引力』老人と、その老人という名を聞けばすぐに思い出される時代とが、これを限りに永久に終わるのだ。・・・」(レイ・ブラッドベリ「初期の終わり」,『ウは宇宙のウ』48頁)
a) 火星と地球人類の関係史概略
火星、東洋では「燃える火の星」、西洋ではギリシャ神話から「戦いの神・マルス」と呼ばれる、この惑星は古来から観察の対象として、物語の舞台として、人類の興味をひきつけて離さない星だった。
人類にとって、地球、月、太陽に次いで親しみのある星、火星。どこのどんな宇宙人よりも有名な火星人。
なぜ、火星人なのだろうか? 水星や木星、金星、土星ではなく、なぜ火星なのか?
当然、浮かぶであろう疑問を解くためには、火星と地球人類の歴史的関係を概観すればいい。文献に残っているはるか以前から、星々は人々の観察の対象として見つめ続けられてきたのだろうが、火星が近代から現代にいたる地位、つまり火星人の存在を期待される有名な惑星としての地位を築くきっかけは1877年のことだった。
この年、火星は地球と太陽に大接近し、天文学者にとっては絶好の火星観察期を迎えることとなる。イタリア人天文学者ジョバンニ・スキャパレリは火星の表面の数多くの筋模様を観測。彼はその筋模様を「Canali」(「カナリ」)、とイタリア語で"溝"を意味することばで呼んだ。これがのち、英語の「canal」("運河")と混同され、火星には運河があると言う説を生み出していくのである。
ちなみに、火星の二つの小さな衛星、フォボスとダイモスが発見されるのもこの年だった。
その17年後の1894年、アメリカはボストンのビジネスマン、パーシヴァル・ローウェルは私財を投じて天文台を建設。火星の観察に没頭し、当時、世界最高の性能を誇ったという口径45.7センチの大きな屈折望遠鏡を用いてスキャパレリと同じく火星表面の黒い縞模様を観測する。ローウェルは、これを火星人が砂漠地帯に水を運ぶために作った運河であると、その名も『火星』と題する著書の中で主張し、さらに、運河が交わる場所にはオアシスがあり、そのオアシスが火星人の都市であるとかなり大胆に推測した。
ローウェルの『火星』が発表されたのは、1896年。それと時をほぼ同じくして、H.G.ウェルズによる『宇宙戦争』が発表された。
スキャパレリやローウェルが見た筋模様が何であったかというと、火星の単なる地形であるだとか、水が通った水路の跡だなどと言われている。ただ、自然に出来た水路と運河とでは大きな違いがあるわけで、この筋模様のとらえ方によって、火星人生存説が強い説得力を持つに至ったのであった。
この他、大気構成だとか有機物の存在、比較的地球に近い温度変化などといったものもあるのだが、これらは、もっと後々に発見され、火星人生存説の補強剤として、あるいは、生存説を否定するための武器として利用されていくのであった。
19世紀から20世紀にかけて、地球上では巨大な運河の建設が相次いでいた。1869年にはイエズス運河が、1893年にはギリシャのコリント運河が開通、そして1914年には、10年にも及ぶ大工事の末、パナマ運河が完成する。
この時代、人類にとって運河は科学技術文明の偉大なるシンボルだった。したがって、もし、火星全体を縦横に走るような壮大なスケールの運河網があるとすれば、火星には、人間のような、あるいははるかに進んだ文明を持つ、知的高等生物がいるはずだ、と考えられた。
火星観測の第一人者、ローウェルが唱えた運河説は、時代背景とマッチし、人々の好奇心と想像力を刺激して、雪ダルマ式に膨れ上がっていったのだった。
以来、火星と地球人類の関係は、深まっていくばかりだ。バイキングやマリナーといった惑星探査機によって、火星の素顔は次々に明らかになっていき、有人飛行はおろか、寺フォーミングの計画も立てられつつある。日本の大手建設会社、大林組には、宇宙開発プロジェクトの一環として、2057年に火星上に自給自足の居住地"マース・ハビテーション1"を完成させるという構想もあるという。
そして、科学の世界における活躍と並行して、文学の世界においても火星は急激にその登場の回数を増加させていくのである。
b) Mars in America
・・・ぼくは思うのだが、キングコングがこうしてマンハッタン島を暴れまわる場面は、おそらくアメリカが最初に体験した<外敵の侵略>、あるいはもっと日本的な言い方を用いて<本土決戦>そのものの遠いイメージではあるまいか。白人文化がアメリカに根をはって以来、南北戦争を初めとする多数の戦争がアメリカ大陸を血に染めたけれど、これらはみな内戦か、あるいは国家独立のための聖戦に限られていた。その意味からすれば、アメリカは、ある日突然外的に本土を侵略され、手ひどい破壊を受けたという体験を一度も持たなかったのである。おそらく、真珠湾攻撃という唯一の例外を除いては。(荒俣宏『理科系の文学誌』260頁)
荒俣宏氏は、日本におけるゴジラの脅威が本土空襲という現実の追体験という意味を持つのに対して、アメリカにおけるキングコングの脅威が予兆・アポカリプス・黙示録的なものとして成立していると説明する。確かに、侵略することによって成立した白人支配のアメリカは、侵略されたことがない。一度も体験することがなかったことであれば、その危険が迫ってきたときの不安や恐怖が、いっそう大きなものとなるのも当然であろう。
1938年、ハロウィンを翌日に控えた日曜日の夜8時、そのドラマは始まった。
「これはラジオドラマです」という前置きはあったものの、臨時ニュースの形態をとった、火星人による地球襲撃の物語は、噂からデマへ、デマからパニックへと短時間のうちに多くの人々を混乱の渦へ陥れ、ラジオ放送の歴史においても最もショッキングな番組として歴史に残っている。
番組放送中にCBSが、これは単なる芝居であるという断りを4回も入れたにもかかわらず、多くの聴取者はそれをまるで聞いていないか、すでに度を失ってあわてふためき断りの文句を理解できないかで、ラジオ局や警察当局には、問い合わせの電話が殺到、中には「いつごろ世界は終わるのか」という問い合わせもあったという。
ドラマは火星人がバクテリアによって絶滅することによって、パニックはオーソン・ウェルズが謝罪することによって、それぞれ幕を閉じることになる。
このパニック劇は、社会心理学的考察やメディア研究の格好の題材として、これまで繰り返し論じられてきたが、もう一度簡単にまとめなおしておきたい。
どうして社会心理学的考察の格好の題材になり得たかといえば、論ずるにおあつらえむきの社会背景があったからである。
当時のアメリカを覆っていたのは、大恐慌の余波と第二次世界大戦への恐怖だった。この年の3月、ナチス・ドイツがオーストリアを併合。同じく10月1日にはチェコスロバキアへ侵入する。人々の頭には、世界恐慌の残像とナチスによる侵略、破壊、死、そして世界の破滅というイメージが漂っていた。そんな脅威の一象徴がナチス・ヒトラーであり、あるときには火星人であったのだろう。
火星人が世界の破滅をもたらすような脅威の象徴として機能するためには、火星がある程度未知で不思議な存在でなければならない。世界初の人工衛星打ち上げをおよそ20年後に控えた時代は、そんな条件も満たしていた。
時代は変わる。50年の歳月を経て、科学技術は驚異的な進歩を見せ、火星とアメリカの関係を形づくるものは確実に変わった。
1989年7月22日、アポロ11号による人類初の月面着陸の20周年を祝う記念式典で、当時のブッシュ大統領はアポロ宇宙船に乗り込んだ3人の宇宙飛行士を前に高らかに呼びかけた。
「我々は再び、あの『夢』にもどろう。未来に向かって旅立とう。人類を乗せて『火星』へ。」
月面着陸から20年、アメリカは新たな挑戦を宣言したのである。SEI(率先した宇宙開発構想)と名づけられたこの提案は、21世紀初頭までのアメリカ宇宙政策の方針を宣言したものだ。90年代の残り10年間に総力を結集して最初の重要なステップとなる宇宙ステーション"フリーダム"を建設し、次なる21世紀初頭には再び月にもどり、長期滞在可能の月面基地を造る。そして、2010年には火星有人宇宙船を飛ばそうとする計画である。
ブッシュ大統領はさらに1990年5月、テキサス農工大学で講演をし、
「アポロ月面着陸の50周年にあたる2019年までに、火星に星条旗を立てる」
と、宣言した。この期間指定の宣言に、アメリカの宇宙関連企業、研究者はもちろん、世界中の関係者が奮い立ち、ここ4〜5年あまりの間に具体的な火星探査のシナリオ、火星宇宙船の設計、画期的なロケットエンジンの開発、と多種多様な分野で火星有人飛行の実現に向けての研究開発熱が一気に高まった。政権が変わり、経済的・政治的諸問題から宇宙開発予算削減の声もないわけではない。が、もはや火星を目指す流れを止めることはできそうもない。
人類を火星へと駆り立てるものは、いったい何か?
主語を人類ではなく、アメリカとすれば、わかりやすい図式が見えてくるかもしれない。
26年前、人類史上最大のプロジェクトとされた"アポロ計画"の目的は国家威信の高揚だったと言われている。アポロ計画より大衆にアピールし、国民の士気を高めるものであったならば、高速大陸横断鉄道の建設でも、核融合計画の推進でも、ガン特効薬の開発でも、エイズの撲滅でもよかった、というような言葉も聞く。
ともあれ、結果として、当時のケネディ政府の思惑は見事に実を結び、250億ドルという莫大な予算をつぎ込んだアポロ計画の成功により、アメリカは名実ともに世界一であることを世界に認識させた。
また、巨額の投資の見返りは名声だけではなかった。ロケットに関する研究は工業技術に、宇宙での省エネルギー対策はソーラーシステムに、無重力状態での生命体の研究は医学に、というように様々な分野に大きな発展をもたらしたのだ。
その上、ある計量経済学試算によれば、アポロにおける1ドルの支出は、アメリカの他の経済分野にたいし、5ドルないし7ドル分の利益をもたらすことになったともいう。
国家の名声を高めるとともに、科学技術を発展させ、さらに経済効果とくれば、こんなにオイシイ事業はない。しかも、火星なら将来的な人口の飽和だとか、資源の枯渇といった問題も、もしかしたら和らげてくれるかもしれない。当面の"ニュー・フロンティア"として、火星はうってつけの場所だった。
といよりも、現時点において物質的な意味で、ニュー・フロンティアたりえるものは、深海底や惑星くらいしか残っておらず、技術的に可能な中で、水星や金星が地表温度が高すぎて着陸できないとくれば、火星しかないのだ。
新しいフロンティアを持つことが、精神的に必要だというのであれば、そこに香辛料や黄金がないとしても、火星にいかなければならないのだ。
(C)1994 Hayate Usui. All Rights Reserved.
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巽先生による講評
http://web.mita.keio.ac.jp/~tatsumi/html/library_html/study%20room/mars/mars1.htm