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(回答先: 韓国:尹外相が辞任、対米政策で事実上の更迭 [毎日新聞] 投稿者 あっしら 日時 2004 年 1 月 15 日 15:55:29)
15日に更迭された尹永寛(ユン・ヨングァン)前外交通商部長官の交替説が外交街周辺で取り沙汰されるようになったのは昨年10月下旬から。イラク追加派兵問題をめぐり、外交部と国防部が主軸となった「韓米同盟派」と大統領府・国家安全保障会議(NSC)を中心とした「自主派」間の葛藤が最高潮に達しようとする頃だった。
当時、尹前長官は外交部なりの派兵案を携えて大統領府で盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と会合した。尹前長官はこの席で、北朝鮮核問題の解決と韓米同盟の重要性を強調し、できるだけ早く米国側の要求を聞き入れるよう説得したという。某外交官によると、この時、盧大統領は「長官は私の考えと違うようだが」という反応をみせたという。
以来、外交街では「大統領府では尹長官が韓国の外務長官なのか、それとも米国の国務長官なのか、といった話が取り沙汰されている」という噂が飛び交った。
結局、尹長官が交替されるのではないかという観測が提起された。普段、あまり多くを語らない尹前長官の暴飲が目撃されたのも、大統領と面談したまさにその日だった。
尹前長官は元々、盧大統領の最側近の外交参謀だった。盧大統領は大統領選候補時代、当時ソウル大学教授だった尹前長官の『21世紀の韓国政治経済モデル』と題した本を熟読したという。よって周囲から尹前長官は、大統領の外交分野における「師匠」と呼ばれ、羨ましがられた。
尹前長官は盧武鉉大統領選候補の外交・安保分野の諮問団として活躍し、当選後には引継委員会で「外交安保統一分科委員会」幹事を務めた。誰よりも近い側近だったわけだ。結局、尹前長官は昨年2月25日、外交通商部長官に抜擢された。
長官就任後も、尹前長官が大統領府の一部参謀と対立する度に、盧大統領はいつも尹前長官の肩を持ったという。
これほど親密だった尹前長官と盧大統領の間に亀裂が生じたのは、昨年9月、米国が韓国軍のイラク追加派兵を要請してからだ。そして、その亀裂の中にいたのが李鍾?(イ・ジョンソク)NSC事務次長だ。
李次長は尹前長官と同様、盧大統領の大統領選候補時代から盧大統領を補佐してきた外交・安保分野のもう1人の最側近の参謀だ。
尹前長官は対米外交を担当する外交部の首長として、できるだけ米国側の意見を受け入れる政策を取った一方、北朝鮮学者出身で国内派の李次長は“自主的外交”に重きを置いた。
結局、昨年9月12月までの3カ月間、盧大統領の最側近である2人はイラク派兵問題をめぐり、対立を続けてきた。その時名づけられたのが「韓米同盟派」と「自主派」だ。
しかし、よく考えてみると、同盟派と自主派は盧大統領の2つの顔でもある。
盧大統領は昨年5月の訪米の際、「朝鮮戦争当時、米国の支援がなかったら、今ごろ政治犯収容所に収監されていたかも知れない」とした。また、就任初期には「戦争を防ぎ、不安を解消するためには、米国と異なる意見を述べる必要もある」と発言し、光復節(日本の植民支配から解放された日)の記念式典では“自主国防”を宣言したりもした。
結局、盧大統領のこのような両面性を代表する2人の参謀のうち、李次長が勝利を収めたといえる。両勢力の葛藤がイデオロギー闘争のように見える理由も、このためだ。
尹前長官の更迭を招いた直接的な理由は、大統領と大統領府を冒涜、誹謗した外交部・北米3課長の発言だ。しかし、NSC側はすでに外交部の故意的な情報漏洩や怠業を疑い、昨年11月から外交部に対する保安監査を定期的に行ってきた。
結局、外交部職員が北米3課長の「不適切な発言」を大統領府民政首席室に情報提供し、新年早々、大々的な外交部に対する調査が実施され、尹前長官の監督責任を問う形での更迭が行われた。
尹前長官は14日の時点でまだ留任に自信があったのか、記者会見で「外交部は大統領の政策と路線を実行する手足の役割を果たすべきだ」との立場を表明したが、結局15日に更迭された。
権景福(クォン・ギョンボク)記者 kkb@chosun.com
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/01/15/20040115000097.html