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(回答先: 海南島のホテルが東條英機氏の“跪き謝罪像”を設置 [クライン孝子の日記]【日本政府は即刻撤去を求めるべき】 投稿者 あっしら 日時 2004 年 1 月 14 日 21:13:43)
話しはロシア革命から始まる。当時、ペテルブルグに留学していた満鉄の社員が居た。ロシアで革命が起きたので、満州に戻って来た。この社員が、革命後に成立したソ連の第一次(経済)五ヵ年計画を研究したという。
そのうちに、小さな租借地と満鉄用地の警備隊に過ぎなかった関東軍が「満州事変」を起こして傀儡国家「満州国」を造ってしまう。ところが、この軍人さんたちは満州国をどう経営して行けばよいのか、皆目見当がつかない。
そこで、満鉄社員が研究していたソ連邦第一次(経済)五ヵ年計画を手本にして、満州国を経営した。その関東軍の憲兵司令官などをしてたのが東條英機だ。その彼が後に首相になり、太平洋戦争を始める。そこで戦時国家の経済運営に満州国で遣っていた、計画経済の手法をとり入れた。
ここまでの話しは、どなたかの著作があったと想う。それをご存知の方が居られたら、もっと正確なことを教えていただきたい。
清沢冽は「暗黒日記」に、この国が「社会主義になる」という噂話があると書き残している。戦後、日本社会は大変な変りようをみせたが、実は官僚達は入れ替わってなかったのだ。すべて生き延びてしまった。(占領軍によって完全に潰されたのは、軍隊と航空機産業だけだった。特高警察すら、公職追放になっても、他の都市の警察署に潜り込んだり、県庁に潜り込んだと言われている)
その官僚達が戦後も国家経営に、東條英機が持ち込んだ社会主義計画経済の手法を駆使した。未だにこの国が社会主義だと言われる大本は東條英機のお蔭なのである。日本国の社会主義化の権化が、社会主義国「中国」でこの様に扱われるとは歴史の皮肉と言えばいいのだろうか。
(あえて、中国での皇軍の蛮行には触れなかったのは、日本の社会主義というテーマに搾りかったからです。簡単すぎたかな)
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