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「ラスト サムライ」を見ながら「名誉」について考えた [船橋洋一の世界ブリーフィング] 【日本人外交官の死を使うとは】
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投稿者 なるほど 日時 2004 年 1 月 14 日 22:46:31:dfhdU2/i2Qkk2
 

[ 週刊朝日2004年1月23号 ]

「ラスト サムライ」(エドワード・ズウィック監督)を見た。

 明治黎明期。幕府を倒したものの、政権の基盤は弱い。新政府は近代的な軍制と装備の確立を急がねばならなかった。

 その大役を担ったのが大村(原田眞人)である。大村は米国に赴き、南北戦争を戦った北軍の将校、ネイサン・オールグレン大尉(トム・クルーズ)を「お雇い」軍事顧問として迎え入れた。財閥と米国軍需産業が大村を後押ししている。

 哀しいかな、農民出身の兵隊は西欧式に武装させてもまだ使い物にならない。反乱士族との戦闘では算を乱し、オールグレン大尉は生け捕りになってしまう。

 敵将の名は、勝元盛次(渡辺謙)。

 明治天皇の参議だったが、近代化路線をめぐって大村らと衝突し、下野した。このあたり、勝元に西郷隆盛のイメージをダブらせている。

 オールグレン大尉は、勝元が立てこもる吉野で武士とともに生活をすることになった。そこで武士道の精神にさらされ、南北戦争のトラウマで見失っていた誇りと名誉に目覚める。明治政府は武士階級を根絶やしにすべく廃刀令を発布した。武士階級の不満は爆発寸前となる。彼らの英雄は勝元である。勝元をこのままにしておくわけにはいかない。政府はガトリング・ガンで武装した鎮圧軍を派遣した。オールグレンは勝元とともにサムライとして戦った。しかし、最新鋭機関銃の威力の前に、刀と矢の軍隊はなすすべがなく、全員、玉砕した。オールグレンも重傷を負った。勝元は、自決した。果てる直前、勝元は自らの刀をオールグレンに与える。

 日本では武家政治が12世紀から19世紀まで7世紀も続いた。中国も朝鮮も武士階級がかくも長く支配した歴史はない。サムライ精神は、近代国家となった後も日本を読み解くキーワードとされてきた。主君のため、お上のため、会社のため、自らを犠牲にする滅私奉公的な像として描かれてきた。戦後の「企業戦士」像など、その典型だ。

 しかし、「ラスト サムライ」は、それとは違うサムライ像を示している。ここには歴(れっき)とした個人の実存的な精神と感情が躍っている。

「すべての呼吸に生きる。それが武士道だ」

「どの戦争も怖かった」

 勝元は、そんなせりふを口にする。

 サムライは主君のために命を投げ出すが、自らの名誉のために死ぬのである。勝元の場合、主君は大君、明治天皇をおいてない。「個人の意思で運命を変えることができる」とも彼は言った。永久革命論を信じていたのだろうか。

 勝元の生き方は「名誉ある個人主義」(honorific individualism)と形容するにふさわしい。これは文化人類学者の池上英子(注)が提起した概念である。サムライはこの「名誉」をバネとする能動主義的な思想と行動を持ち得たために、社会秩序を守るだけの守旧派にとどまらず、秩序を転換し、場合によっては破壊する変革派となったと言うのである。

 ところで1年前、米コロンビア大学に3カ月間、フェローとして在籍した。そこで人気のある日本関連授業はグレゴリー・プラグフェルダー教授の「サムライ」ゼミだった。

 教授に聞くと、こんなサムライブーム事情だ。

「学生の多くは、すでにアニメでサムライ、ニンジャ、シノビ、ローニンなどを知っている。もっとも、義経や頼朝などへはさほど関心はなく、ローニン(浪人)に引かれる。それもさまざまな種類の浪人だ。ただ、彼らのサムライ像は過度に理想的で、皮相的、時にファンタジーの世界だ。しかし、それをきっかけに日本の歴史や文化に関心を持ってくれればいいと思っている」

「サムライのイメージ形成は時代によって変遷してきている。第1期は、それを神秘化し、憧憬化する中世。第2期が、戦国時代が終わり、非軍事の時代になって、サムライを士農工商の階級倫理として再定義した徳川時代。第3期が、明治から第2次世界大戦に至る時代で、階級を超え、国民的な道徳的標準にそれを援用した時代。最後は、グローバル文化の一部としてのサムライで、いまがそれ」

「もう一つ、サムライへの関心は、現在のような倫理、道徳が漂流する時代、そうしたコンパスへのノスタルジアかもしれない。日米ともにそれは言えるのではないか」

 映画に戻ろう。

 傷が癒え、天皇との対面を許されたオールグレンは勝元の刀を天皇に恭しく手渡した。

 天皇は尋ねた。

「勝元の死にざまを語れ」

 オールグレンは答えた。

「彼の生きざまを語りましょう」

 勝元の死にざまの「形」を問い、その死を失われた美として昇華しようとする天皇に、オールグレンは勝元の生き方の「精神」を示すことで日本の行く末とあるべき姿を問いただしたのである。

 それは、結局は、「名誉」という概念をめぐる葛藤だったのかもしれない。

 勝元がまだ参議だったとき、大村と勝元が天皇の前で激論を戦わせたことがあった。

 大村は、勝元を「自国を罠にかけ続ける輩」と断罪し、自らを「国民を未来へと導く者」と胸を張る。それに対して勝元は「それは名誉のない未来だ」と反撃する。

 ここでは、「未来のない過去」と「過去のない未来」がせめぎ合っている。「名誉のための死」と「名誉のない生」の戦いといってもいい。

 大村は映画では明らかに悪役である。

 しかし、大村には大村のせっぱ詰まった現実主義と重い責任があった。食うか食われるかの欧米強国との外交戦、その中で国家が生き抜くための国民皆兵による強い軍隊の創設、である。

 だから、大村は「国民」を前面に押し立てることができた。明治維新は農民も「名」を手に入れることができるようにした。武士階級だけでなく国民一人ひとりの名誉という概念を導入した。それなしには国民皆兵という国家事業は成り立たない。それに対して、勝元の「名誉」は、武士階級の名誉にすぎなかった。

 それにしても勝元はなぜああまで「刀と弓」にこだわったのか。長篠の戦い以降、戦国武将は「刀と弓」の竹槍精神主義を打ち捨て、銃と火薬の破壊力を信奉するようになった。勝元の思想と死は、名誉が形式主義、教条主義の権化と化した末路を物語るものではないのか。織田信長は、しばしば「刀と弓」よりインテリジェンス(諜報)のプロに最大の名誉を与えた。

 皮肉なことに、明治国家とその後の日本官僚国家は、名誉をとことん形式主義と教条主義に塗り込めてしまった。そうした名誉も名誉ある死の形も、先の大戦の敗北とともに崩壊した。

 戦後、日本は「名誉」と「名誉ある死」を、その精神と形を、どのように表現すべきか、正面から論じてこなかった。

 イラクで殺害された2人の勇気ある日本人外交官の死に直面して、私たちは突如、精神の忘れ物に気づかされた。今の時代、「名誉ある個人主義」とはいかなるあり方なのだろうか、と。


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注1 Eiko Ikegami,The Taming of the Samurai(Harvard University Press,1995)
HREF="http://www3.asahi.com/opendoors/span/syukan/briefing/index.html">http://www3.asahi.com/opendoors/span/syukan/briefing/index.html
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武士道描く米画『ラストサムライ』日本刀と弓矢で戦う玉砕を賛美く偏狭な国粋主義に資する困った映画[映画の鏡]

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