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http://373news.com/2000picup/2004/01/picup_20040107_2.htm
川辺町永田の寺山遺跡で6日までに、弥生時代中期中ごろ(2200−2100年前)の、外敵から集落を防御するための環濠(かんごう)とみられる2重の溝状遺構が見つかった。
環濠は、佐賀県の吉野ケ里遺跡など北部九州や畿内地方では多数見られるが、南九州では例が少なく最大級の規模になる。2重構造のものは鹿児島県内で初めて確認された。
断片的な様相しか分かっていない南九州の弥生社会のありようを探るものとして、考古学者の注目を集めている。
同遺跡は万之瀬川を臨む台地にあり、環濠は町道建設予定地(幅約7メートル、長さ約40メートル)の約50センチ下で見つかった。内溝が町道を斜めに走る長さ約30メートル、外溝が町道を横切る長さ約7メートル。ともにV字形で、幅は2−3メートル、深さは1.8−2メートル。内溝の中から弥生時代中期中ごろの土器約1000点が見つかった。
県内では、松木薗遺跡(金峰町)や北麓遺跡(鹿児島市)と同規模。近年の畑地造成で表土が削られており、掘られた当時は深さ約3メートル、幅約3.5−4メートルと推定される。
周辺の発掘は行われていないが、環濠は台地の北東端を半円状に囲んでいるとみられる。鹿児島大学法文学部の本田道輝助教授(日本考古学)は「溝の規模からみて防御用とみられ、内側に集落が存在する可能性が高い」と推測する。北部九州などの同規模の環濠に比べ、内側の広さは1500平方メートル程度と小さい。
南九州での環濠はこれまで、海岸近くでしか見つかっていなかったが、今回初めて内陸部で確認された。本田助教授は「当時は海から侵入した他地域の勢力と緊張関係があったと考えていたが、南九州内部でも勢力争いが行われていた可能性もある」と話している。
■寺山遺跡
川辺町永田の万之瀬川近くの台地にある、2万5000年前の旧石器時代から1500年前の古墳時代にかけての遺跡。スーパーの出店計画に伴い、同町教委が本年度から約8000平方メートルで発掘調査。環濠や弥生時代中期の土器約1000点のほか、縄文時代早期(約9500−7500年前)の土器や石器約2500点が出土している。