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「靖国神社とは何か」…。
これに対する説明が、靖国神社のHPに掲載されています。
ずいぶん長い内容ですが、そのポイントを以下に簡潔に整理してみました。
●靖國神社はどのようにして誕生したのか
・明治維新の際、官軍の東征軍の陣中慰霊祭から始まった(1868)
・戦没者将兵の招魂慰霊を公の手で行なうという着想
・「皇運の挽回」のために尽力した「殉難者」の霊魂を「合祀」する
・合祀の対象は「王事(おうじ)に身を捧げて斃れた者達」の霊と規定
・合祀されるのは、皇室のため、すなわち国家のために身を捧げた者
・もう一つ注目すべきは、今後(将来)も合祀をするとしている点
・明治5年5月に東京招魂社(しょうこんしゃ)、明治12年に靖國神社と改称
・靖國神社は、王政復古「神武創業の昔に還る」という維新の精神に基づく
●日本を近代国家たらしめた「忠」の思想
・246万の御祭神は一柱一柱きちんと名票が確認されている(霊璽簿)
・靖國神社の本殿は官軍つまり新政府の為に命を落とした人達をお祀りする社
・そこには「忠義(ちゅうぎ)」という徳が国家経営の大本として据えられている
・「忠」という精神こそが、日本を近代国家たらしめた精神的エネルギー
・「私」を「公」の為に捧げて働き、命までも捧げて「公」を守る精神を大切にする
・その意味で、靖國神社の御祭神は天皇の為に忠義を尽くして斃れた人々の霊
●まずは総理大臣の公式参拝実現を
・総理大臣の参拝を露払いとして、天皇陛下の御親拝の復活を図る
・靖國神社は青年層の国に対する考え方を変える(わが国は誇るべき国と)
・われわれは誇るべき何かを持っていると思えることは道徳的に非常にプラス
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一言でいえば、靖国神社は「滅私奉公」のシンボル的な存在であり、
「個」の生命を「国家=公」のために捧げる集団主義思想がそこには息づいています。
これは「憲法」の生命ともいうべき「個人の尊重(13条)」と矛盾します。
ゆえに、首相が公式参拝することは、憲法の精神を踏みにじることでもあるわけです。
以前「NHKの「葬儀中継」に思うこと」の中で、
「御祭神=御柱」の起源について書きました。
http://www.creative.co.jp/top/main.cgi?m=198
そのくだりを、もう一度ここに繰り返します。
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原始的な「集団主義」やシンボリックな「天皇制」の誕生に関して、
南茅部町の巨大な縄文遺跡から、分かってきたことがあります。
縄文時代の竪穴住居は「個」それも「女性」を基本とするものでした。
気候が暖かい時代は、大きな住居に小さな囲炉裏。
しかし寒い時代を迎えると、囲炉裏がだんだん大きくなっていきます。
さらに寒くなってくるや、今度は住居を小さくしていきます。
小さな住居に大きな囲炉裏。これで寒さを克服したのです。
それまでは住居の中に「個のシンボル」として立てられていた柱が、
住居が小さくなるや邪魔になり、村落でまとめて管理されることになります。
そのころは、気候もいよいよ厳しく、村落間でのいさかいも始まり、
その結果、村落(集団)のシンボルとして「柱」が意味を持ち出します。
かつての柱は「個」の存在をシンボライズするものでしたが、
集団社会の「柱」が誕生するや、「個」は疎んじられていきました。
そしてその後、弥生の勢力が日本列島を支配していくことになります。
そしていま「日本国家の柱」としてあるのが「靖国神社」というわけです。
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本来「国家」は、「個」を守り、「個」を支えるシステムであるべきでしょう。
しかしやがて、「国家」は「権力機関」となり、横暴を振るい、
「個の命」を戦いの道具として駆使し、使い捨てにする歴史をたどっていきます。
そのシンボルたる「靖国神社」に胸を張って参拝した小泉首相は、
またしても「国家」の横暴を「個」に強いようとしています。
そのことの意味を、「靖国神社のHP」を読むことで、改めて痛感させられました。
http://www.creative.co.jp/