現在地 HOME > 掲示板 > 戦争45 > 719.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
アメリカ仕組んだクーデターによる軍事独裁政権樹立の失敗
「チャベス政権」を襲ったクーデターの裏側
ベネズエラ
パワーピクチャーズ製作 (アイルランド) 2003年
2003年 「パンフテレビ祭グランプリ」・「モンテカルロテレビ祭最優秀賞」・「イタリア賞」受賞番組
http://www.diplo.jp/articles00/0008-2.html
<石油の富を、公平に市民に分配することを誓ったチャベス>
2002年4月のベネズエラで起きたクーデターの7ヶ月前から、パワーピクチャーズ取材班はベネズエラのウゴ・チャベスを取材していた。
1998年 チャベスは貧困層からの圧倒的な支持を受けて大統領に就任。
世界有数の産油国ベネズエラで、石油の恩恵を受けていたのは、国民の極一部だった。
チャベスは公平な富の分配を、国民に約束した。
1999年ベネズエラに新しい憲法が制定されて以来、チャベス大統領は国民の持つ権利について説いてきた。
チャベス演説「60年代、土地は分配されたが、資金や技術面での援助は一切無かった。その結果、農民はどうなったか?石油で得られた富は決して、農民には行き渡らなかった。そのようなことが繰り返されてはなりません。憲法にもキチンと書いてある。しかし、実現には皆が力を合わせなければなりません。」
<チャベスの国営放送 vs 反チャベスの民放>
チャベス大統領は集会で国民と直接対話し、国民が直に大統領に質問や意見をぶつけることができる番組「こんにちは大統領」を国営テレビに作り、毎週出演。国民の声に耳を傾け、国政を考えた。
また、国民がチャベスに手渡した手紙やメモには、大統領や側近が必ずすべてに目を通していた。
そして、メディアを活用して、国民が国政に興味を持つようにし、国民に計画を伝え、国民の共感を得ること、そして成果を見せることを目指した。
反チャベス派財界人の所有するテレビ局が5つあり、このニュースメディアを使って、連日、反チャベス・キャンペーンを実施し、チャベスを失脚させるために、国民を偽りの情報で洗脳しようと企んだ。
それに対する、チャベスの発言の場は国営チャンネル8ひとつだけだった。
<アメリカのアフガニスタン戦争もテロだと語った>
チャベスが国営企業の石油公社の改革に取り掛かるとアメリカは、チャベス批判を繰り返した。
石油利権の分配は、石油公社に繋がる一部支配層の利権構造の解体を意味した。
そして、アフガニスタン戦争
2001/10 チャベスは国営テレビで「テロリストに対する戦いは支持しますが、どのような手段も歓迎するというわけではありません。アメリカの同時多発テロからほぼ2ヶ月が過ぎました。我々も自体の改善を目指し、テロリストの摘発に尽力します。」
しかし、これは...と言って、アメリカ軍のアフガニスタン攻撃で犠牲になった3人の子供たちの遺体とそれを泣いて悲しんでいる母親らの写真を示し、
「容認できません。この子達は前日までは元気でした。そこに突然、爆弾が降ってきたのです。アメリカがアフガニスタンで犯した過ちです。このような『誤爆』がいつまで続くのでしょうか」内戦で疲弊しているアフガニスタン人の写真を見せ「人々に要求したい。行動する前に考えて欲しいとテロリストにテロで立ち向かうことはできない」と演説した。
彼の声は心なしかつまり気味で、表情は苦痛に耐えるようだった。
民放は、これに対し、アメリカは懸念を示していると、パウエル国務長官の発言を流した。
パウエルは「チャベス大統領の行動と民主主義に対する考え方に疑問を抱いています。」
また、このような偽りの報道も、「チャベスはコロンビアのテロリストと繋がっています。」
<まず憲法を読みなさい>
チャベス政権になって国民は積極的に政治に参加するようになった。
チャベスの支持者たちは「モリバルサークル」という団体を結成し、チャベスの主張を広めていった。
人々はチャベスが、国民に政治参加の意味を教え、政治に参加することで希望、「民主主義」を示してくれたという。
チャベスは国民に「まず憲法を読みなさい」と言い、国民は憲法を読み、学び、理解した。
市民のひとりは「生まれて初めて民主的な政権が誕生しました。私たちが参加できる国民のための政府です」と語った。
<裕福な人々>
裕福な人々は、自らの贅沢な生活が脅かされる危機感を感じ、チャベスを批判した。
ある反チャベス市民集会に出席した市民たちのことば
「彼等は犠牲を払ったり、努力したりすることをしません。そうすることの価値も知らない。私たちを追い出すことはさせません。私たちは今の暮らしを手にするために努力しました。どれを手放す気などありません」
「以前は何の不安もなく、幸せな生活をしてきました。」
「これは革命ではなく、共産主義の押し付けに過ぎません。チャベスは必ず失敗します」
そして集会を取り仕切った人物は
「使用人の行動に目を光らせた方がいい。彼等はチャベス派と繋がっている恐れがある。連絡を取り合っているかもしれない。銃を携帯するときの基本ルールは、『引き金に指をかけない』『銃口を人に向けない』。でも、連中が我々を狙うなら、のんきに構えてはいられない。相手は手投げ弾さえ持っている」
と、集会に参加した人々に、チャベス派市民に対する恐怖をあおった
そして、反チャベス派は見事に洗脳され、大きな集会に参加した人は、
「チャベスのウソにはウンザリ!独裁者は出て行け!チャベス!私たちの声を聞いて目を覚ませ!」
<CIAが仕組んだ「メディアを利用した国民洗脳」によるクーデター>
チャベスは多くの市民を集めて演説し、石油公社の利権構造の解体を演説した。
「彼等は石油公社さえ私物化しようとしている。私には国際社会から強い圧力をかけられてきたが、それでも構わない。たとえ子語句の門をくぐらなくてはならなくても私はやり遂げるベネズエラ国民を守るために!」
2002/2 チャベスは石油公社の役員人事に介入した。
反チャベス派の民間放送各社は、「チャベスの石油公社への介入を国民財産を侵害するものだと大々的に報道し、国民にデモに参加するように呼びかけた」
反チャベス派の中心人物は、ひとりはベネズエラ経営者連盟会長のペドロ・カルモラ、もうひとりは旧政権と関係の深いベネズエラ労働者連盟会長のカルロス・オルテガ。
2人はブッシュ政権とも接触し、チャベス大統領について話し合っていたことも明らかになっている。
アメリカCIA長官ジョージ・テネット
「ベネズエラは世界有数の石油輸出国です。チャベス大統領はアメリカへの影響を考えていないのでしょう」
アメリカ国内では、チャベス批判を連日のように報道され、チャベスは独裁者で、テロリストのように情報を作られていった。
CIAはベネズエラへ派遣され、クーデターが起きた。
2002/4/10 ネストール・ゴンザレス将軍が民放に現れ、チャベス退陣を求める演説を流した。
「軍の最高司令部から大統領に勧告する。すべての責任をとって今すぐ退陣せよ!さもなければ、しかるべき処置を取る!」
つまりクーデターという意味ですか!?という問いかけには答えずゴンザレスは退席。
そして民放のコメンテーターは
「将軍の発言で明らかになりました。チャベス派コロンビア革命家や、カストロの手先なのです」
そして、カルモラは反チャベスの国民にデモを呼びかけた。
民放は、「明日、ベネズエラのために更新を!」とキャンペーンを広げた。
2002/4/11 反チャベス派は国営石油公社に向けデモ行進を始めた。
一方、大統領官邸には、何千人ものチャベス派が集まり会合を開いていた。
反チャベス派の指導者たちは「チャベス出て行け!国民はお前たちを支持していない」と群集を扇動し、法に触れることを承知で、コースを変更し、「大統領官邸に向かおう!やつを追い追い出すんだ!」と、デモ隊に大統領官邸に向かうように指示した。
そして、大統領官邸の前に反チャベス派がやってきた
衝突を防ぐために、官邸を警備していた兵士たちが、チャベス派と反チャベス派が割って入った。
そのとき突然、銃声が聞こえ、反チャベス派の何人かが、頭を狙われ撃たれた。
何者かが群集を見下ろす場所に身を隠し、発砲しているようだった。
ベネズエラでは一般市民も銃を携帯できる。
チャベス派、反チャベス派の両市民は、銃声の聞こえる方向に反撃し始めた。
民放は「あるテレビ局が大統領官邸の向い側にテレビカメラを設置して、陸橋から撃つ人々(チャベス派)の姿を捉えていました!」とチャベス派が、反チャベス派を狙撃しているかのように映像を操作し報道。
さらに民放「この映像をご覧ください。チャベス派の男が、銃を撃っています。下の道路にいる群集に向かって!平和的に行進している人々を撃っているのです!」
しかし、元民放放送局員アンデレス・イッサーラ氏は今、真実を明かす。
「まるで(陸橋の)下にいる反チャベス派を撃っているように見えます。実際は彼等も狙撃されて陸橋の上で伏せていたんです。ところがその映像は一切放送されず、チャベス派が一方的に非難されました。この映像は繰り返し放送され、非武装の人々をチャベス派が虐殺したように伝えられたのです」
そして、民間放送局が放送しなかった画像を確認すると、チャベス派の市民が撃っていた陸橋の下の道路は、誰ひとりもいなかった。
反チャベス派も、チャベス派も陸橋の上にいたのだ。
反チャベス派はメディアを使って情報操作し、すべての責任をチャベス派に負わそうとした。
その編集されたフィルムは何度も民間放送によって流された。
民放を使ってカルモラは「大統領は責任を取るべきです。これ以上の戦いを避け、自ら退くように要求する」とチャベスの辞任を迫った。
国営石油公社ラメダ前総裁も民放から、「あらゆる階級の軍関係者に伝えたい。今、この放送を見ながら、どうすべきか悩んでいることでしょう。私の話を聞いて、どうか正しい判断をしてください」
海軍中将エキトール・ラミレスも民放から「ベネズエラの全国民に伝える。我々はウゴ・チャベスの支持を取りやめることを決定した」
大統領官邸ではチャベスが閣僚たちと、閣議室に入り緊急会議を行った。
そして。国営放送が軍にに乗っ取られた。
大統領官邸から国営放送中継車を使って全国に生放送した。
国営放送「銃撃を行ったのは情報操作によって混乱した軍の関係者で....」、ここで国営放送が途絶えた。
民放だけが国民の唯一の情報源になった。
官邸は反チャベス派によって完全に包囲された。
民間報道は、タレ流しに情報操作された洗脳番組を報道。
軍の上層部が大統領官邸に入って辞任を迫った。
執務室から大臣が現れ「軍はチャベスが辞任を拒否したため、官邸を爆破すると脅している」と状況を報告した。
女性閣僚のひとりは「CIAが陰で糸を引いている。クーデターの証拠もある」と怒りを顕わにした
製作顧問のギジェルモ・ガルシア・ポンセは、「奴等(アメリカ)の力はあまりに強大だ。私たちはメディアに対抗する時間が無かった」
この時点で、ほとんどの民間人は官邸から避難していた。
チャベスは市民に犠牲が出るのをおそれ、辞任はしないが、爆破予告時刻の5分前に官邸を後にし。軍に拘束された。
2
002/4/12 ジャーナリストと民放メディアを利用した反チャベス派のクーデターは成功し、反チャベスによる暫定政権発足。
ペドロ・カルモナは「軍はチャベス前大統領の拘束を決定しました。直ちに暫定政権を発足させます」と民放から国民に語った。
そして、カルモラは官邸で大統領就任の宣誓を行った。
アメリカのフライシャー報道官は「チャベス大統領の政策に批判的だった国は多い。アメリカもそのひとつです」と語った。
アメリカのメディアは「アメリカは新政権に対し、石油の安定供給を期待しています」などと報道。
<僅か2日間だけのアメリカ傀儡政権によるベネズエラ>
カルモナ政権は、国民議会・最高裁の解散を命じ、法務大臣・中央銀行総裁を解任、オンブズマン・選挙監視委員会も解散。
ベネズエラ国民の選挙にもよらず、石油に目の眩んだ大国アメリカによって選ばれたカルモラ政権が、自由と民主主義を騙り、国民を監視・抑圧する警察国家の様相を呈しだした。
国民は怒った。
「これは独裁政権だ!民主主義を返せ!」
「私はチャベスに投票した!彼の信念を貫いて欲しい!民主主義は法を重んじるべきだ!」
政府はこうしたチャベスを擁護する動きを武力を持って排除しようとした。
カルモナは「一部の非常に民主主義によって行われた。国際社会にも暫定政権の正当性を呼びかける」と自らの正当性を主張。
反対する市民に、軍や警察は銃口を向けた。
市民はさらに怒り
「チャベス政権の3年間にこのような弾圧は一度も無かった!」
「俺はチャベスを支持する。チャベス!戻ってきてくれ!!」
アメリカのフライシャー報道官は「この混乱の責任はすべてチャベス政権にあると考える。非墓相のデモ隊が銃撃され、多数の死傷者が出てしまった。それが引き金となって国民による暫定政権が発足した」と述べ、チャベスにすべての混乱の罪を擦り付けた。
民放は(アメリカが嫌う)キューバ大使館の前で中継
副大統領がキューバ大使館に逃げ込んだとして、キューバ大使館の水と電気を遮断。
元民間放送局員のアンデレス・イッサーラは、「報道に対する検閲が始まった。チャベス支援者の映像は報道を信じられたのです」「局長に言われました『これは正式な通達だ。嫌なら辞めろ』。私は局を辞めました。信念に反することだったからです」
しかし、チャベス政権の閣僚たちは(アメリカ主導で行われた)言論弾圧に沈まなかったケーブルテレビを使って「チャベスは大統領を辞任していない。軍に拘束されているだけだ」と放送。
瞬く間に、市民の間にその情報が広がった。
怒った国民は「チャベス!国民はあんたの味方だ!ベネズエラの人々よ、通りに集結しよう!目を覚ませ!隠れていてはダメだ!ここは我々の街だ!」「カルモラは泥棒だ!出て行け!」「憲法にも書いてある。大統領が解任されるときは国民が決定したときだけだ」などとカルモナ政権の違憲性などを唱えた。
4/13 今度はチャベス派の大勢が官邸に向かって大行進を始めた。
市民たちは「チャベス!アミーゴ!国民がついてるぞ!」と合唱しながら大行進。
ちょうどそのとき新内閣の就任式が行われていた官邸の中まで市民の声が聞こえ、官邸は騒然。
大統領警護隊もチャベス派と共に密かに動き出し、官邸を取り囲んだ。
合図と共に警護隊は一斉に官邸に突入。
官邸を取り返したが、カルモラら数人は官邸内にあった金庫の中身を持って逃走、閣僚たちは返ってきた
軍将校の証言で、チャベスが離島に監禁されていると情報が入る。
官邸に戻ってきたオンブズマンの監視の下、官邸で捕らえられた数人のカルモナ閣僚は「あなた方の市民としての権利は保障される」と告げられた。
このとき、アメリカのCNNに、カルモラが中継生出演し「小規模な暴動が起きたが。すでに鎮圧され、今は何の問題もない」と述べた。
状況を知らない軍がCNNなどを見て、国民に向かって攻撃を加える危険性があったため、国営放送を奪還した大統領警備隊の隊長が出演し軍に向かって「軍を再編成し、国民の信頼を取り戻さなくてはならない。ベネズエラの大統領はウゴ・チャベス氏だけだ」と軍に呼びかけた。
<チャベス政権 官邸奪還>
早速、軍関係者から続々と情報が寄せられ、チャベスが拘留されている島からも「アメリカ国籍の飛行機が着陸した」と電話が入った。
そして、カルモラ政権から身を隠していた副大統領ディオスタード・カページョが現れ、暫定大統領として国営放送のテレビ中継の中、「チャベスが不在の間」として、宣誓をし、カルモラは完全に実権を失った。
カページョは大統領として閣議を召集。
人々は熱狂し、軍はチャベスについた
軍のトップが国営テレビに出て「軍は憲法を尊重する。大統領は官邸に向かっている」と述べた。
興奮する大群衆の中に、チャベスを乗せた軍のヘリコプター降りた。
ベネズエラは市民の力によって、アメリカの作ろうとしたアメリカ傀儡独裁政権から、ベネズエラ市民の民主主義国家を取り戻した。
チャベスは再開された国営テレビで国民に向かって「まず皆に頼みたい。冷静になってくれと。」「4/14 日曜日。私は監禁され外との連絡を絶たれていた。情報は一切無く、いても立っても、いられなかった。今、君たちにできることは、家に帰って心を休めることだ。反対派に言いたい。反論は大いに結構だ。私はあなたがたを説得できるように努力する。しかし、国民の規範である憲法に背く行為は許されない。憲法はすなわち、共同体の基本だからだ。それを理解すべきだ。だが、最も大切なのは、一部の人々の、ウソに惑わされないことだ」
<クーデーターの敗者の消息>
ペドロ・カルモナ : 自宅監禁中にコロンビアに逃走。その後、アメリカのマイアミで目撃された。
反チャベス派の将軍たち : 軍を追放され、多くがアメリカへ逃亡。国内に留まったものは今も、反政府活動を続けている。
アメリカ政府(コリン・パウエル) : 「アメリカが支持するのは民主的な社会だ。チャベス大統領とは今後も意見の相違があるだろう」と述べクーデターへの関与を否定。
アメリカCIA要員は、カルモラによるクーデター終結後に逃亡したのが確認されている。
2人のウゴ・チャベス