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アメリカのテロとの戦争 「一般市民がテロ容疑者とされた」
アメリカ政府の 証拠無き監禁・拷問・アメリカ政府に拉致されシリアで拷問を受けたカナダ人
11/6 ABC ナイトライン キャスター : テッド・コッペル
http://abcnews.go.com/sections/nightline/index.html
<アメリカ政府に拉致されシリアに送られたカナダ人>
2002/9 アメリカ家族旅行を終えてアメリカからカナダに帰ろうとしていたシリア生まれのカナダ人、マヘル・アラル氏は、飛行機の乗り換えのためにニューヨークに立ち寄ったところで当局に拘束され取調べを受けた。
彼は、容疑は確定されず起訴はされなかったが、なんとシリアに国外追放された。
そして約1年後、2003/10、アラル氏は、アメリカ&シリア政府に解放され、カナダに帰ってきた。
11/5 クレティエン・カナダ首相は、国会でカナダ人がアメリカ当局によってニューヨークからシリアに強制移送された問題についてアメリカ政府を批判した。
また、「アメリカ政府は行動する前(シリアに国外追放)に我々(カナダ政府)に通知すべきだった。アメリカ政府に抗議した。関係者の名前を明かすことも要求する。」とクレティエンはカナダ政府はこの事件に関知していなかったと語った。
アラル氏は記者会見し、シリアのダマスカスから連行され、シリア軍諜報部パレスチナ支局に拘束されていたことを明かした。
アラル氏「私は中の一人に聞きました。私がいるのはどこかと。シリア軍諜報部パレスチナ支局にいると言われました。3人の男に部屋に連れて行かれました。とっても恐ろしくてずっと泣いていました。」
ここで彼は拷問を受けた。
「彼等は私を椅子に座らせました。一人が尋問を始めました。すぐに答えないと男は隅の金属製の椅子を指差して、『私にあれを使わせたいのか?』と言いました。何度も何度も『私にあれを使わせたいのか?』と言いました。」
「地下に連れて行かれました。ドアの中を見たときに私は自分の目が信じられませんでした。『いつまでここに泊め置かれるのか?』と私は訪ねました。男は答えず、私を中に入れて男はドアを閉めました。そこはまるで墓の中のようでした。灯りもありませんでした。横1m、縦2m、高さ2mの墓でした。」
「そこで私は10ヶ月と10日過ごしました。もう一度言います。私は墓の中に10ヶ月と10日閉じ込められていたのです。」
「尋問した男はいつも私を金属製の椅子、タイヤ、電気ショックで私を脅しました。彼等は明日はもっと悪くなるだろうと言いました。その夜、私は一睡もできませんでした。」
「そこで私は多くの人々の叫び声を聞きました。私が幽閉されていた中での最悪の出来事のひとつが、あの人々の叫び声だったのです。叫び声を聞くたびに心臓が止まりそうになりました。」
「私はテロリストではありません。私はアルカイダのメンバーでもありません。アルカイダに属する人も誰一人知りません。」
「私の身に起こったことは、今後、誰の身にも起こり得ることなのです。私が言いたいのは(強大な国家の陰謀に)注意せよということなのです。我々はとても危険な世界に住んでいます。どんなことが降りかかってくるかわかりません。(警察国家アメリカなどに)旅行したら誘拐されるかもしれません。私の身には起こりました。私は誘拐されたのです。」
このような出来事がアメリカでは、珍しいことではないとテッド・コッペルは述べている。
<アメリカ政府がいう都合のいい口実 「誰々が当局の調査を支援している」>
アメリカにとって都合のいい口実「誰々が当局の調査を支援している」
この”調査”がどのような手段を使っているものか明らかにされたことは少ない。
11/7発表の政府関係書類によれば、さらに多くのテロリストがテロを起こそうとしていたとされた。
テロリストは20人どころではなくもっと多くのテロリストがいた。
そして、その結果、もっと多くのテロが起きて、もっと多くのアメリカ人が殺されるところだったというのもだ。
FBI捜査官J・クルーチン「彼等は女性や子供を殺すのに何ら良心の呵責も感じていません。最終的な目的だけが大事なんです。」
911テロの犯人とされる人物の多くは2001年の春から夏にかけて入国した。
2001/8の段階でもアルカイダはさらに多くのテロリストを入国させようとしていたとしている。
捜査に当たっている職員の多くは、そのテロリストはさらに6〜7機の航空機を使ったテロを実行しようとしていたと信じている。
元国家安全保障会議R・クルッセー「未遂に終わった第ニ波攻撃の要員だったとみています。彼等ははアメリカがアフガニスタンを攻撃するのを知っていました。だからそのあとにアメリカに報復攻撃するつもりだったのです。」
これは、911テロ立案の主犯格とされる(パキスタン諜報機関ISIの協力を得て)パキスタンの自宅で逮捕されたハリド・シェイク・ムハンマド容疑者の供述と一致する。
ムハンマド容疑者は9/11に10機の航空機を乗っ取る予定だったと言ったという。
政府は911テロの犯人が入国しようとしていた時期と同じころに入国しようとして失敗したアルカイダ工作要員の身元を割り出しているという。
この新たなハイジャック犯人の身元を割り出したのは、アメリカ政府は、アフガニスタンの洞窟から入手した書類と、911の数ヶ月前に入国しようとして申請されたビザ申請書類とを比べたからだという。
クルッセー「書類を入手したことは大事です。身柄を拘束した者たちや、同盟国から得た情報の裏づけになります。」
「彼等は綿密な計画を立てます。彼等は私たちの弱点をついて攻撃を仕掛けるためにはいくらでも必用な時間をかけるんです。」
911テロの1ヶ月前に入国管理法違反で逮捕されていたフランス国籍のムサウイ氏といえば、アメリカ人の多くが911テロに参加した20人目のテロリストだと信じている。
しかし、ムサウイ氏は一貫して、アルカイダとの関係は肯定したが、911テロの関与は否定を続けた。
さらに、ムサウイ氏は、何度も、無罪を証明するためにアルカイダの幹部に連絡をとってくれと要求していた。
<アメリカ国家政府の安全のための「一般市民に対する拷問と監禁」>
拉致や拷問に関するの記事を書いている
マーク・ボーデン : アトランティック・マンスリー誌 記者(ブラック ホークダウン著者) と、
ジャック・クルーネン : ABCニュースコンサルタント(元FBIで27年間調査活動勤務・元ニューヨークテロ対策チーム)
へのインタビュー。
ジャック・クルーネンは、アメリカには拷問や監禁を防ぐ法律があり、政府は拷問や監禁は絶対にしないと断言する。
マーク・ボーデンは、アメリカ政府は”刑事事件の捜査に関しては”ルールを守っていると言った。
しかし、”テロ撲滅運動”というもっと広い視野に立った場合、CIAやFBI捜査官は被疑者に、肉体的苦痛を与える方法を使っていると思うと述べた。
「不快感を与えることによって、身柄を拘束した人物の分別を失わせ、テロ情報を引き出そうとするでしょう。」
分別を失わせるとは具体的にどういったことですか?のコッペルの問いに、
「まず考えられるのは拷問です。例えば目の玉をえぐり出すといったようなことです。もう一方で考えられるのは睡眠をとらせないなどといった単純な方法です。人から情報を引き出す一番効果的な手段は、指の爪を剥ぐような方法ではなく、恐怖を与え続けることなのです。ずっと不快感を与え続け、混乱させ、正常な判断力を失わせることなのです。時には薬を使って自白させることもあると思います。実際に実行するところまでいかないで苦痛を与え自白させる方法はいくらでもあります。」
(アメリカ政府はキューバのグアンタナモ空軍基地でアフガニスタンから拉致してきた人々をひどく光度のある照明下に置き睡眠をとらせないようにしている)
コッペルはクルーネンに、「アラル氏はアメリカ当局に拘束されシリアに送られて実際に拷問を受けました。彼をシリアに送ったらどうなるかアメリカの当局者ははっきりと分かっていたはずです。また、あなたは誰かを拷問に対してあまり神経質ではない国に引き渡した場合、拷問されることはよく起きると語ったことがありましたね?」と質問した
クルーネン「確かにそういうことはありました。実際、2〜3知っています。私は必ずしも大目に見ているわけではないのです。いわば見てみないフリをして、その出身国に送り返されたとき、もしもっともらしい容疑の否定ができるなら、それはそれでいいということなのです。ただ、どんな理由にせよ、送還の決定をするとき、私はやはり悩みます。今回はシリアでしたが、率直に言って何回かエジプトに送り返したこともあります。いくらシリアやエジプトが拷問はしない。眠らせないことはするが拷問はしないと言っても、それが真実ではないことを私たちは知っています。だから私は悩むのです。と、いうのもこういった情報はいずれ表に出るのです。エジプト筋からか、シリア筋からか、赤十字社からか、赤新月社からか、どこからにせよいすれ情報は表に出ます。そしてそのうちアメリカにとって面倒なことになるのです。」
コッペルの、「アメリカ当局が取り調べのときに『ここでは拷問はしないが、もし我々に協力しない場合は、どこか他の国に行ってもらうことになる』と言って脅すことはあるのでしょうか?」との問に、
ボーデン「そういうことは絶対に起きていると思います。また、身柄拘束者が送還されると思い込むように仕向けることができるのです。そこではもっと残酷なひどい仕打ちを受けることが分かっているわけです。アメリカの政策、または国際社会の規約ではそのようなことをするのは禁止されています。もしアメリカ政府関係者が、身柄拘束者をシリアのような国に引き渡し、その者が拷問を受けたなら、それは国際規約違反、アメリカの政策に背いたということになります。現実に何も起きていないということにはならないと思います。ブッシュ大統領が6月にハッキリとした国家政策として明言したことへの違反行為です。」
<アメリカとシリアの裏の関係>
アメリカとシリア政府は裏で繋がっているのか?
それとも、アメリカ政府関係機関がシリア政府のフリをして、アメリカの法の及ばない中東で多くの人物の監禁・拷問を行っているのか?
カナダ人のアラル氏は、監禁されていた場所で多くの人の叫び声(悲鳴などか?)を聞いている。
この人たちはいったい何人の誰なのか?
世界各国から連れてきて拉致監禁しているなら、その中には日本人もいるのではないのか?
このアメリカ政府による拉致は、拷問や過酷な環境下での監禁(精神的拷問)を伴う。
北朝鮮は、日本人拉致被害者と言われている人たちによると、北朝鮮国内で特権を与え、高い教育や高給優遇などを与えているので、北朝鮮の拉致とその性格は全く違う。
イスラエル政府によるパレスチナ人を含む外国人拉致と同様に、国連問題として提起し、アメリカの拉致問題を徹底的に調べ上げる必要があるのではないのか?
http://atfox.hp.infoseek.co.jp/xfile/terro/kidnap.htm
自らの存続のため、平和を徹底的に嫌う「死の官僚集団」
世界混乱の元凶 大量暗殺・虐殺集団 CIA関係者の証言
「CIA」 秘められた真実
テロとの戦い
アルテ・フランス (フランス 2003年)
証言者
元CIA支局長(1986〜89)ミルトン・バーデン
元CIA支局長(1992〜96)リチャード・ホルム
元CIAテロ対策本部長(1986〜89) デュアン・クラリッジ
元CIAテロ対策本部長(1995〜98)チャールズ・コーガン
元CIAテロ対策本部職員 ロバート・スティール
元CIA職員(中東担当) ロバート・ベア
元CIA職員(キューバ担当) サミュエル・ハルバーン
元CIA職員(ヨーロッパ・中東担当) ピーター・アーネスト
元FBIテロ対策本部長(1999〜2002) デイル・ワトソン 元CIA長官(1968〜73) リチャード・ヘルムズ
元CIA長官(1973)ジェームズ・シュレジンガー
元CIA長官(1977〜81) スタンスフィールド・ターナー
元FBI長官(1978〜87)元CIA長官(1987〜91)ウィリアム・ウェブスター
元CIA長官(1991〜93) ロバート・ゲイツ
元CIA長官(1993〜95) ジェームズ・ウールジー
CIA副長官(1978〜81)元国防長官(1987〜89)フランク・カールーチ
元CIA副長官(1989〜92) リチャード・カー
元国家安全保障会議 首席委員(中東地域 1977〜79年)ウィリアム・クワンド
元大統領特別補佐官(1998〜21) ロバート・マーリー
元国防長官 (1997〜01) ウィリアム・コーエン
元国務長官(1981〜82)アレクサンダー・ヘイグ
元国務省職員 ウィリアム・ブラム
元駐イラク・アメリカ大使(1988〜91) ジョセフ・ウィルソン
[CIA 秘められた歴史] 著者 ジョゼフ・トレント
ワシントンポスト副編集長 ジム・ホーグランド 元KGB(アメリカ担当責任者) オルグ・カルーギン
元フランス情報機関 調査員 J・C・ブリサード
<ジョージ・H・W・ブッシュ大統領 就任>CIA職員はウソをつくように訓練されている
ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ
1976〜81: CIA長官
1981〜89: レーガン政権 副大統領
1989〜93: 第41代大統領
ジョージ・H・W・ブッシュ(パパブッシュ)新大統領(当時)「必ずアメリカを前進させます。より良いアメリカへ。終わり亡き永遠の夢のために、そして輝く人生のために。それが私の任務です。必ず達成します。」と演説。
元CIA長官(1993〜95) ジェームズ・ウールジー「さぁリラックスして楽しもう。金を儲けよう。これが、アメリカの文化なんです。世界中の問題が片付いたし、冷戦も終わった。そういう国なんです。」
元CIA長官(1991〜93) ロバート・ゲイツ「ソビエトが崩壊し、冷戦構造がなくなると、世界はもっと複雑になり、対応が困難になっていると気づかされました。」
元KGB(アメリカ担当責任者) オルグ・カルーギン「CIAそして西側は冷戦に勝ったと信じていました。その結果、警戒を怠った。しかし別の敵がいたのです。」
元駐イラク・アメリカ大使(1988〜91) ジョセフ・ウィルソン「40年以上、ソビエトという幻の竜と戦って、やっとその竜を倒したと思ったら、毒蛇だらけのジャングルにいたんです。蛇は竜より見つけるのが難しい。その蛇とは、イラン、イラク、北朝鮮、テロ集団、イスラム過激派です。」
<湾岸戦争>
1990年7月末、CIAや他の情報機関は、ブッシュ政権に、フセインがクウェートに侵攻しようとしていると警告。
衛星写真にはくウェート国境に迫るイラク軍が映っていた。
元駐イラク・アメリカ大使(1988〜91) ジョセフ・ウィルソン「私はバクダッドのアメリカ大使館の責任者でした。サダム・フセインがクウェートを脅かす数々の情報を入手していました。」
元CIA職員(中東担当) ロバート・ベア「クウェートが国境に部隊を送り込み、燃料タンクを設置したのを見ました。CIAは低策衛星も通信傍受システムも持っていましたが、フセインの正体を見極めることができませんでした。」
ジョセフ・ウィルソン「部隊の動き、燃料トラックや補給トラックの移動、そういったデータを見ていました。でも、フセインの意図がよくわかりませんでした。」
ロバート・ゲイツ「CIAは部隊の配備や進行準備の様子を注意深く追跡し、正確に記録していました。」
ロバート・ベア「フセインの部隊がクウェート国境に配備されたとワシントンに伝えました。しかし、共和党政権のホワイトハウスは『フセインのことはわかっている。クウェートを脅しているだけだ』と言ったのです。」
元FBI長官(1978〜87)元CIA長官(1987〜91)ウィリアム・ウェブスター「イラク、ヨルダンなどの周辺の指導者の見解は『フセインは絶対に同胞のイスラム国家は侵攻しない』というものでした。」
ロバート・ゲイツ「周辺諸国の指導者はブッシュ大統領に『侵略はしない。石油の値段を上げるための脅しに過ぎない』と言いました。エジプトもヨルダンも、クウェートでさえそう言っていました。」
ジョセフ・ウィルソン「アラブ地域の友好国から『何もしないように』という助言や要請が来ていました。」
ロバート・ゲイツ「アメリカはそれをそのまま信用しました。」
ジョセフ・ウィルソン「クウェート侵攻は全く予期せぬ出来事でした。事前に判っていたとしても、止められたかどうかは疑問です。侵攻が決定的だと判ったのは、僅か18時間前でした。」
ウィリアム・ウェブスター「当時、私の部下だったリチャード・カーは、侵攻12時間前、補佐官たちに『CIAはフセインが24時間以内にクウェートに侵攻すると見ている』と、報告しています。」
元CIA副長官(1989〜92) リチャード・カー「長官だったかどうかは... でも、確かに大統領には知らせました。」
ロバート・ベア「ワシントンの認識と現実とのギャップは余りに大きかったのです。『目の前で戦争が起きている』と言っても、彼らは否定するのです。『気が変になったんじゃない?』、『目の前で起きているんです』と衛星電話で報告しても、彼らの答えは、『でも、我々には見えない』でした。」
イラク軍のクウェート侵攻 (1990/8/2)
8月2日、イラク軍がクウェートに侵攻し、占領を始めた。
しかし、その時、国境付近で活動するCIA職員から送られた警告を、深刻に受けたものはいなかった。
ロバート・ゲイツ「私は休暇中で、ワシントン州にいました。水辺に座っていると、昼食会に招待した妻の親類に『あなたがまだここにいたなんて驚いたわ』と言われ、私は『何の話だい?』と尋ねました。『侵攻よ』と言うので、『何の侵攻?』と問い直すと、『イラクがクウェートに侵攻したのよ』と言ったのです。」
元国家安全保障会議 首席委員(中東地域 1977〜79年)ウィリアム・クワンド「CNNは早耳ですね」
ジョセフ・ウィルソン「8月2日イラクはクウェートに侵攻しました。私は8月6日に彼と会い、およそ1時間、彼と話をしました。フセインは私に取引を持ちかけてきました。『私にクウェートをくれるなら、手ごろな値段で安定して石油を君たちに供給することを保障するし、ペルシャ湾北部の支配勢力として強力も惜しまない』彼は平然としてそう言いました。4日間、寝てなかった私はこう提案するつもりでした。『クウェートから出て行け』と。」
国防長官 コリン・パウエル(当時)「戦略は実にシンプルだ。イラク軍を孤立させ、せん滅する。」
アメリカは湾岸戦争はすぐ終わるとみていた。
問題は「砂の嵐」作戦をフセインが生きている内に中止すべきかどうかだった。
CIAは、イラクへの侵攻とフセインの殺害を進言したが、ブッシュ大統領は却下した。
ロバート・ゲイツ「最初の一発が発射された前から、目的は政権転覆ではないと肝に銘じていました。」
ジョセフ・ウィルソン「もし、フセイン政権転覆を目的にしていたら、あのような多国籍軍は編成できなかったでしょう。ムリだったと思います。」
ウィリアム・ウェブスター「フセインが戦闘の最中に死んだとしても、涙を流すような人は誰もいないでしょう。」
ワシントンポスト副編集長 ジム・ホーグランド「フセインが偶然、弾に当たって死ねば.... しかし外国の指導者に市をもたらすとなると、話は別です。」
ロバート・ゲイツ「毎晩、ロウソクに火を灯して祈っていました。『爆撃された防空壕の中でフセインが死んでいればいいのに』ってね。爆撃できない場所に隠れているとわかっていたからです。」
元CIA支局長(1986〜89)ミルトン・バーデン「見つけられませんでした。」
<クリントン政権 CIA冬の時代>
1993年1月 ビル・クリントンがジョージ・ブッシュから大統領執務室を引き継いだ。
クリントン大統領(当時)「国民の皆さん。21世紀への橋を築きたいと思います。アメリカと全世界の評価を高めるような外交政策と最強の防衛力を誇る国です。」と演説。
諜報機関に対するクリントンの見方は厳しいものだった。
ピッグス湾事件から、ソビエトのアフガニスタン侵攻、イラクのクウェート侵攻に至るまで数々の作戦失敗や、判断ミス。
失敗が余りに多すぎると、クリントンはホワイトハウスのCIAスタッフを全員解雇した。
ロバート・ベア「CIAはクリントンが就任してすぐ、世界の諜報活動について説明するため、2人の担当者を送りました。しかし大統領は『とっとと帰れ。興味が無い』と会おうともしませんでした。それも困ったことですが、さらに辛かったことは、大統領が報告書を読まないことが、CIA職員全員に伝わったことです。」
就任後すぐ,クリントンはCIAをジェームズ・ウールジーに任せた。
ジェームズ・ウールジー新CIA長官(当時)「別なやり方があるはずです。」
ジェームズ・ウールジー「私はクリントン政権発足まで、CIAとはまったく係わり合いがありませんでした。大統領に会いに行くと、話は、故郷は同じアーカンソーやオクラホマでの子供時代のことばかりでした。」
元CIAテロ対策本部長(1986〜89) デュアン・クラリッジ「クリントンは諜報活動に対し不快感を抱いていました。彼は諜報機関が激しく非難された60年代に育ったので、諜報活動や治安活動に対する不信感があったのです。」
大統領特別補佐官(1998〜21) ロバート・マーリー「中には諜報活動や秘密工作などの、いわゆる地下活動に関心を持つ大統領がいます。しかし、クリントン大統領はほとんど興味を示しませんでした。冷戦がすでに終わっていたからです。だから前任者には重要だった秘密工作ももう必用が無かったのです。CIAや諜報機関には改革が求められました。」
元CIA支局長(1992〜96)リチャード・ホルム「クリントンが関心も示さず、指示もしなかったことが、CIAの弱体化の原因になったのは確かです。」
元CIAテロ対策本部長(1995〜98)チャールズ・コーガン「大統領の信頼が無くては諜報機関は何もできません。CIAはホワイトハウス直属だからです。」
ジェームズ・ウールジー「2年間で2回しか会えませんでした。94年秋にホワイトハウスに小型飛行機が墜落したとき、ホワイトハウスではこんなジョークが交わされたと言います。『あれはウールジーに違いない。大統領に面会しようとしたらしい』ってね。うれしくないジョークですが、割と正しく当時の私の立場を表していたと思いますよ。大統領に耳を傾けてもらえなかった。大統領は諜報活動に関心が無かったのです。」
ワシントンポスト副編集長 ジム・ホーグランド「クリントンはもしかしたら、一度もウールジーと会っていなかったかもしれません。彼の助言、CIAの言葉を聞こうとはしませんでした。」
[CIA 秘められた歴史] 著者 ジョゼフ・トレント「クリントンの興味はゴシップでした。フランスの首脳が誰と寝ているかなどです。」
リチャード・ホルム「我々の活動よりも、不倫の方に関心があったのではないですか?」
ロバート・ベア「モニカ・ルインスキーはウールジーより頻繁にクリントンと会っていました。」
ジョゼフ・トレント「ウールジーの情報はいつも間違っていました。クリントンがCIAの情報を読むのを止め、ニューヨークタイムズの方が情報が多いと言っていました。ウールジーに聞いたらどうです?」
ジェームズ・ウールジー「自分が失敗したとは思っていません。確かに大統領と信頼関係を築くことは出来なかった。でも、大統領がその気になればチャンスはあったのです。何度も会おうとしました。誠意は尽くしたつもりです。」
元CIAテロ対策本部職員 ロバート・スティール「ウールジーはクリントンにとって必用な存在にはなれませんでした。魅力も個性も情報も無かった。『これを見てください、タイヘンなことが起きます。注意を払わないと経歴が台無しになりますよ』と大統領に直接言えるものが無かったのです。自分の存在を示せなかった。だから無視されたのです。」
ジェームズ・ウールジー「悪い話ばかり持ち込む嫌われ者でした。歓迎されない鼻つまみ者だったのです。」
<CIAとFBI 諜報機関同士の対立>
世界貿易センタービル爆破事件
1993/2/26、世界貿易センタービルの地下駐車場で車が爆発、6人が死亡、約1000人が負傷した。
組織的なテロリストにアメリカ本土が始めて爆破されたとされている。
CIAとFBIはお互いに諜報活動の失敗を非難し合った。
海外で企てられた計画に自分たちは関係は無いとFBIは言い、CIAは自分たちが国内で活動することは認められていないと強調した。
元国務長官(1981〜82)アレクサンダー・ヘイグ「もちろん、警告として捕らえるべきでした。世界貿易センタービルで15000人の命が失われたかもしれないのです。たったひとつの起爆装置の設置ミスに救われたのです。」
ジョゼフ・トレント「テロとの戦いは何年も前から始まっていましたが、気づかなかっただけです。我々はその後も注意を払いませんでした。イスラム過激派は70年代から、人材を集めていたのです。」
元国防長官 (1997〜01) ウィリアム・コーエン「過激派グループが、アメリカに壊滅的な被害を与える決意を固めていたのに、我々はあまりにも無関心でした。あの事件が起きた後、油断してはいけなかったのです。」
ロバート・スティール「最初の世界貿易センタービル爆破事件のあと、FBIは計画についてアラビア語で書かれた書類を一部屋分ほど押収しましたが、それらを翻訳もしませんでした。FBIのニューヨーク支局にはアラビア語がわかる人がひとりだけいましたが、高い地位にいたので翻訳のために時間を取られるのを嫌がりました。民間に依頼して翻訳をさせることもしませんでした。予算が無かったからです。と、いうよりも、それを重要だと思わなかったのです。」
元国務省職員 ウィリアム・ブラム「FBIにはずっと変わらない方針があります。疑いのある人物を長い間、観察するのが好きで、長く観察すればするほど、たくさん捕まえることができると考えていたのです。だから、待って待って待ちつづけました。93年の世界貿易センタービル爆破事件は長く待ちすぎたから起きたのです。」
ロバート・スティール「FBIは無知だから、新しく手に入れた情報を信頼に値しないと決め付けたのです。全く信じがたいことです。CIAが世界中のテロ組織の実態を把握していなかったからではありません。世界貿易センタービルの事件は完全にFBIの失敗です。あまりに愚かで傲慢で、官僚的だったからです。真剣に捕らえなかったからです。」
オルドリッチ・エイムズCIA二重スパイ事件
その後、CIAとFBIの全面対立となる事件が起きた。
CIAの対ソビエト情報の責任者オルドリッチ・エイムズが、長年に渡って、旧ソビエトとロシアにCIAの情報を売り、300万ドルを受取ったという容疑された。
ロバート・スティール「エイムズは酒をこよなく愛する無能な職員として知られていました。諜報部員というのは皆、大酒飲みですが、中でも特にひどかった。彼は対ソビエト諜報活動に従事していました。堕落していて無能なヨッパライを対ソビエト諜報活動の責任者にしたのです。彼のせいで潜入していた諜報部員が暗殺されたのです。」
CIAが内部調査を行ったが、何も発見できず、捜査は打ち切られた。
この二重スパイ事件の捜査は、クリントン政権はFBIに任せた。
数ヵ月後、エイムズがスパイだったことが明らかにされた。
CIAにとっては最大の汚点、FBIにとっては勝利を意味した。
ジェームズ・ウーズリー「何も見つけられませんでした。FBIと緊密な協力関係にありませんでした。」
ウィリアム・ウェブスター「CIAは、何度も同じ書類を調べるだけで、何の証拠もつかめませんでした。もっと調査すべきでした。」
リチャード・ホルム「アメリカ国民を対象にした国内での調査を任されているFBIが、この事件を調査し、ついにエイムズを捕まえたわけです。」
ロバート・ベア「FBIをCIA内部にも立ち入らせ、全員が疑惑の対象となる中で、めちゃくちゃな捜査が行われました。」
ロバート・ゲイツ「CIAとFBIの関係が最悪だったのは確かです。」
ロバート・ベア「FBIは『何百人もいる二重スパイを捕まえろ』と、CIA内部を自由に動き回ったのです。」
ミルトン・バーデン「CIAは大きな痛手を受けました。それはそれは深刻なものでした。」
ロバート・ベア「エイムズの逮捕は、私の知るCIAの終わりを意味しました。」
「そのとき皆、言いましたよ。『CIAなど、もう必要ない』。冷戦は終わったし、まだビンラディンなんて、誰も知りませんでした。」
<アルカイダ>
世界貿易センタービル爆破事件の捜査で、1995年、アルカイダという組織とそれを支えるサウジアラビア人の資産家 オサマ・ビンラディンの名前が浮かび上がった。
ワシントンポストはビンラディンがサウジアラビア王室と密室な関係を持ち、アフガニスタン戦争のとき、CIAから武器の提供を受け、戦っていたことを伝えた。
当時、ビンラディンはアメリカとサウジアラビアから全面的な支援を受けていた。
ロバート・スティール「サウジアラビア王室が国内の安定の代償として、テロ組織に資金を提供していたことに、CIAはまったく気がついていませんでした。何年もですよ。」
ジェゼフ・トレント「クリントンは資金がサウジアラビア王室から、ビンラディンに流れているのを知っていましたよ。」
ロバート・スティール「民主党も共和党もサウジアラビアの資金援助を黙認していました。石油があるからです。」
ロバート・ベア「だから監視もしない。スパイもしない。サウジアラビアの人権侵害の非難もしない。不倫の罪は未だに『石投げの刑』なのに非難もしない。」
ジェゼフ・トレント「アメリカは石油の利権が絡んでいたために、国民を抑圧する政権を支え続けた。その結果、イスラム革命の温床を作り出してしまったのです。
ロバート・スティール「アメリカは石油のために非道徳的で愚かになってしまいました。最大の戦略的誤りでした。」
ロバート・ベア「もし、サウジアラビアを支配下に治めようとしたら、それが引き金で革命が起きます。石油の供給が減り、値段が急上昇する。するとアメリカ経済は崩壊します。」
ジェゼフ・トレント「石油の供給が止まるのを恐れて、王室の周りでは、恐る恐る行動しているのです。」
<歴代大統領の石油利権>
コーランの教えを守る一方で、湾岸戦争の費用をアメリカに提供してきた石油産油国の王室を、大統領とホワイトハウスは黙認してきた。
有力なアメリカ石油企業はサウジアラビアから利権を受けることで莫大な利益を上げようとしてきた。
サウジ・アラムコ社の数人はアメリカ人だ。
ジェゼフ・トレント「アメリカの外交政策を担う人の多くが、王室の金を頼りにしています。
ロバート・ベア「直接金を受取るか、株を買うか、方法は色々ありますが、アメリカの石油企業と手を組もうとするのは当然です。サウジアラビアに利権を持つ石油企業に挑戦しようなんて考えませんよ。」
ロバート・スティール「石油企業は政治家を金で買い、(政治家は)情報を与えます。企業に有利な決定をさせるためです。」
ロバート・ベア「外交官は退職すると、大抵、サウジアラビアか石油湾岸諸国のために働きます。」
アレクサンダー・ヘイグ「将来、石油企業で働くつもりの人を中東の担当者にしてはいけません。絶対、ダメです。」
ロバート・ベア「サウジアラビア寄りの政治家が、リヤドへ飛び、講演すれば大金を手にできるのです。」
ジェゼフ・トレント「クリントンがサウジアラビアを誉めるそのときはお金が絡んでいると思っていいでしょう。」
ロバート・ベア「物事とは、そういうものです。ホワイトハウスにいた人がサウジアラビアの銀行で働くのですから。」
ジェゼフ・トレント「「石油マネーがアメリカの政治に与える影響は絶大です。それがこの国(アメリカ)の問題の根源なのです。」
ロバート・ベア「石油企業のロビー活動の方が、CIAより重要なのです。それを理解しなくてはなりません。ご存知のようにワシントンは階層社会です。もし石油企業のロビー活動がこの辺(頭の上の方)だとすると、CIAはずっと下です。(下から、CIA、)国務省、ロビースト、コンサルタント、石油企業、ホワイトハウス、議会と格が上がります。」
<クリントンの選挙運動に係る石油利権と暗殺容疑 ロバート・ベアの告発>
ロバート・ベアは、クリントン大統領のバーベキューパーティで、ロビーストが選挙のためにどのような資金援助をしていたか知った。
パーティには石油企業の社長たちが招かれていた。
パーティで集められた金は民主党の金庫の中に納められいた。
ロバート・スティール「クリントンは石油とウォール街の持つ影響力にすぐ気がついたのです。」
ロバート・ベア「私が責めるべきは、自分自身であり、自分の愚かさです。システムがどうなっているのかを知らなかった。私は(クリントン大統領の)選挙資金の報告書を送りました。CIAはアメリカ市民をスパイすることはできません。もちろん大統領など論外です。大統領について報告すると、長官がおののいていました。私は真実を明らかにするためにCIAに雇われていたのです。だから止めませんでした。政治など関係ない。私はアメリカ合衆国大統領に関する報告を書き、ある一線を超えてしまったのです。他の者はそういうことはやりません。私は意図的にやったのです。議会に行き、何が起きたかを話しました。その議会がどのように機能しているかを知らずに。誰かに伝えたかった。それで、議会にいる友人に話ました。彼はその後、ホテルの部屋で殺されました。ショットガンで頭を吹き飛ばされていました。」
ロバート・ベアは覚悟を決め、大統領選挙におけるロビーストの役割、そして、クリントンの側近たちのやり方について、議会で証言した。
ロバート・ベア「選挙資金調達の証言のため大陪審に出かけた日、私の自宅が何者かによって荒らされていましたが、何も盗られていなかった。大陪審で選挙資金に関する質問は一切出ませんでした。私が、システムがどのように動いているか説明しようとする度に、連邦判事が私の発言を遮り、法廷侮辱罪を持ち出し、私を黙らしたのです。判事は休廷を宣言し、私を呼んで『大陪審で、選挙資金のことをあと一回でも持ち出したら、あなたを法廷侮辱罪にします。刑務所に入れますよ』と言ったんです。このシステムは完全に間違っています。それでも私を黙らせることが無理だとわかった時、”私を”捜査の対象にしました。明らかな脅迫でした。CIAの内部でです。医師が派遣され精神鑑定をすると言うのです。『バカな。そんなものは受けない。』。私は拒否しました。精神神経科医は患者をどうにでもできる。そういったことは誰でも知っています。病院に入れることも、解雇することも、何だってできます。私は証言を諦めました。何も悪いことは言っていないのに、このようなことをされて、この国の政治システムがどうなっているのか、しっかり学びました。CIAを離れるべきだと思いました。
1998年、ロバート・ベアは辞任し、CIAから手本となる職員としてメダルを授与された。
ロバート・ベア「もし許されるなら、CIAは私の家を爆破したでしょう。私ごとね。」
<スーダン政府の「ビンラディンを差し上げます」の申し出を断ったアメリカ政府>
CIAがスーダンに移動していたビンラディンの居所を突き止めた。
しかし、再選を目指していたクリントンは、暗殺禁止の大統領令を覆そうとはしなかった。
1996年2月 クリントンはあらゆる手段を使って、ビンラディンを排除せよとの、極秘命令にサインした。
ジョゼフ・トレント「アメリカはオサマ・ビンラディンを暗殺できるなら、とっくにそうしたでしょう。クリントンはオサマ・ビンラディンの死を望んでいました。でも、CIAは見つけることができなかったのです。」
1ヵ月後の1996年3月、スーダン政府はビンラディンと彼の秘密部隊を国外追放処分にし、サウジアラビアへ送り返そうとした。
しかし、サウジアラビア王室はこれを拒否。
スーダン政府は、次にアメリカに引き渡そうとした。
ミルトン・バーデン「アメリカとサウジアラビア両政府は、スーダン政府に『ビンラディンは問題だ』と言ったのです。双方との関係を向上させたかったスーダン政府は、『どうしたいのか?彼を欲しいのか?』と聞きましたが、サウジアラビア政府の答えは『欲しくない』でした。ビンラディンに戻ってきて欲しくなかった。消えて欲しかったのです。」
ロバート・ベア「スーダン政府がサウジアラビア政府に、『ビンラディンを拘留し、引き渡したい』と申し出ました。お互い、イスラム教徒の国なので、(サウジからアメリカという引渡し手段)そうせざるを得なかったのです。いずれにせよ、彼は1996年2月には拘留されていたはずです。スーダン政府は必死になって、アメリカに引き渡そうとしていました。」
ミルトン・バーデン「スーダン政府がビンラディンを差し上げますと言ったら、アッメリカ政府は『彼を起訴できる犯罪を立証できないから引き取ることはできない』と答えた。それが事実です」
元FBIテロ対策本部長(1999〜2002) デイル・ワトソン 「罪状が必用です。起訴状か、逮捕状か、何かがなくてはなりません。1996年の段階ではアメリカでビンラディンを起訴する証拠が無かったのです。」
ロバート・ベア「アメリカはサウジアラビアに、彼を受け入れるよう圧力をかけませんでした。その話し合いで『ビンラディンを引き取って、もし何か起きても我々には関係ない』と、サウジアラビア側は言ったのです。」
ミルトン・バーデン「結局、彼はアフガニスタンに行きました。後は、ご存知の通りです。」
<テロ対策の強化 CIAとFBIの要員の交流>
アメリカ政府はテロ対策を強化することを決めた。
そしてテロ対策の新しい機関を発足させるため、敵対するCIAとFBIの要員の交流を図った。
FBIのテロ対策の責任者デイル・ワトソンは、CIAの幹部となった。
デイル・ワトソン「『どんな仕事か?』と聞いたとき、『CIAのために働く人間が必要だ』と言われました。私は彼らのことを全く知りませんし、好きでもありません。『行きたくありません』と答えました。しかし、かなり強制的に行かされました。後であれは『人質交換プログラム』だったと笑い話になりましたが、FBIからCIAに強制的に行かされたんです。今度は、私もCIAの人間を2人呼び、『どちらかにFBIに行ってもらう』と言うと、口を揃えて『あいつ等は嫌いだ。どんなヤツか判らない。絶対に行きたくない』と答えました。」
ロバート・スティール「FBIはゴミで、情報能力は最低。」
ロバート・ベア「FBIの任務はCIAを破壊することでした。」
デュアン・クラリッジ「彼らはCIAの腕っ節の強そうな局員たちを、類人猿と呼んでいました。」
デイル・ワトソン「CIAとFBIの協力関係はそんな感じでスタートしました。」
<アメリカ大使館爆破事件>
1998/8/7 タンザニアとケニアのアメリカ大使館が爆破された。
アメリカ人12人を含む224人が死亡。
ビンラディンはアメリカ最大の敵となった。
CIAはこれらの攻撃を全く予測できなかった。
そして、2000/10/12 イエメンのアデン港で駆逐艦コールは、テロリスト2人の自爆攻撃で船体を破損。
この攻撃で乗員17人が死亡し、39人が負傷、コール自体も沈没しかけた。
ここでも 情報は全く掴んでいなかった。
ロバート・スティール「クリントン政権は、『この攻撃に大規模な対応jはする必要はない』としました。」
ピーター・アーネスト「海外の出来事で、国内で起きた事件ではなかったからです。」
ロバート・スティール「失敗でした。『大勢でなければ、アメリカ人を殺しても大丈夫』とテロリストに思わせてしまった。」
デュアン・クラリッジ「クリントン政権が本気になってテロ対策に取り組まなかった。その失敗は歴史が明らかにするでしょう。」
<アメリカ至上最悪の狂人指導者 子ブッシュ大統領誕生>
2000/11 ジョージ・W・ブッシュ(子ブッシュ)が大統領選挙に立った。
父が大統領を辞めて11年後に、石油利権を駆使したインチキ選挙によって、信じられないことに本物のバカ息子が大統領の座に就いた。
僅差で敗れた民主党アル・ゴアは最終的に投票の結果に従うと宣言し、選挙制度の信用を守った(?)。
ウィリアム・クワンド「新しい大統領が、あまりにも物事を知らないために、世界情勢は複雑さ見落とされ、国内の多くの人たち、そして、海外の人たちも納得してしまっているのです。」
元CIA長官(1977〜81) スタンスフィールド・ターナー「ブッシュジュニアには自分でやれるほど外交政策の経験は無いし、それだけの知性も無いと思います。」
ウィリアム・クワンド「外交政策の複雑さを全く理解できませんし、真剣さにも欠けています。彼は物事を単純に考える傾向があるようです。」
ロバート・スティール「学生時代の成績が(親の金の力でインチキをして)やっと及第点。そして世界についてよく知らない人物が大統領になる。正に大惨事の元です。」
ブッシュ新大統領(当時)「パパに、かんしゃしたいとおもいます。わたしが、しるかぎりもっともリッパなじんぶつです。やさしいひとが、つよくなれることに、おどろかされてきました。あなたのムスコであることを、ほこりにおもいます。」と就任の演説。
パパ・ブッシュは、CIA長官、そしてアメリカ大統領になる前に、1960年、『ザパタ社』という石油会社を創立した。
クウェートで石油採掘権を取得し、巨万の富を手に入れた。
息子も父の例に倣い、1979年にテキサスに石油会社を設立した。
しかし、経営はうまく行かず、オサマ・ビンラディンの義理の兄弟に助けてもらったという情報もある。
テキサス州知事になる前、子ブッシュは(経営に関して能無しにも関わらず)石油関連企業からコンサルタント料として、年間12万ドルを受け取っていた。
その会社の大株主はサウジアラビア人だった。
顧問弁護士はパパ・ブッシュの元で国務長官をしていたジェームズ・ベイカーの弁護士事務所から送られていた。
ジョゼフ・トレント「父親のブッシュ(元)大統領は『フセインとの戦争は戦略的価値がある』と明言していました。これはどういう意味かというと、ペルシャ湾で戦略的利益があるのは、ただひとつ。石油ということです。
元CIA長官(1973)ジェームズ・シュレジンガー「ベーカー(元)国務長官は『簡単な質問だ。それは3文字”OIL”』と言いました。」
その後、子ブッシュは石油会社を10億ドルで売却。
その2ヵ月後、イラクがクウェートを侵攻。
パパ・ブッシュが大統領在職中、内部情報が流れたかどうか調査されたが、証拠不十分で打ち切られた。
ジョゼフ・トレント「現アメリカ大統領(子ブッシュ)も、アメリカ大統領だった父親(パパ・ブッシュ)も副大統領(チェイニー)も、全員が石油で儲けて大金持ちになりました。それもこれも(サウジアラビア)王室と関係があったからです。」
ロバート・ベア「私はクリントン政権の方がいいですね。今の政権(子ブッシュ政権)はどうかしていますよ。」
<ブッシュ一族と、カーライル社とカールーチ、CIA、ビンラディン一族との密接な関係>
1989年 子ブッシュは(軍需産業を得意とする)巨大投資会社カーラール・グループの理事に就任し、1994年までその地位にいた。
この会社は主に、ミサイル、戦闘機、戦車などを扱う軍需産業の仕事をしている。
会社の資産は160億ドル。
パパ・ブッシュは今でもそのグループの顧問だ。
理事会は政治を動かす大きな資金力と影響力を持つ世界の要人のネットワークによって成り立っている。
カーライルのトップはパパブッシュの元でCIA副長官(1978〜81)を務め、レーガン政権時に国防長官(1987〜89)を務めたフランク・カールーチ。
子ブッシュは大統領就任後、間もなく、国家の必要性には適さないとした国防総省専門家の全員一致の反対にも関わらず、カーライル・グループとの120億ドルの武器購入契約にサインした。
ロバート・スティール「カーライル・グループは、たぶんCIAが持っているすべての情報を手に入れる術を持っていると思います。」
ジョゼフ・トレント「説明義務も無く、株主もいない。諜報機関は最高の道具です。カールーチと組めばアメリカの権力の中枢のひとりとなれるのです。」
ロバート・スティール「カールーチはCIAの誰にでも電話できます。」
ジョゼフ・トレント「カールーチの妻だったマーシャは会計事務所で働いていました。彼女の仕事はCIAの秘密の予算を隠すことでした。すべて家族ぐるみなのです。」
フランク・カールーチ「所謂、政治企業だと非難されますが、我々が政治を利用したり、政治的影響を使っていると証明できる人は、誰ひとりいません。我々はビジネスで金を儲けているだけです。」
ジョゼフ・トレント「彼らはカーライル・グループを通じて金を集め、そして洗浄するのです。ブッシュもパウエルもカーライル・グループのビジネスパートナーです。」
フランク・カールーチ「ベーカー元国務長官、メージャー元(イギリス)首相などの、よく知られた人物は皆、経営能力があります。だからビジネスに関わっているのです。」
ロバート・スティール「国民が彼らの金の出所を知れば、きっと驚くでしょうねぇ。
元フランス情報機関 調査員 J・C・ブリサード「カーライル・グループは、もちろんサウジアラビアにも非常に大きな関心を持っています。例えば、ビンラディンの一族はロンドンでカーライルに投資を始めました。それがサウジアラビアとアメリカ、特にブッシュ一族と(ビンラディン一族の)強い絆になったのです。」
フランク・カールーチ「(ビンラディン一族の)投資は僅かな額でした。100万ドルか200万ドルくらいだったと思います。買い戻しました。オサマ・ビンラディンは取引していません。」
<カーライルによるCIAや政府などへの情報操作とテロリストを使った秘密工作で、CIAを含めアメリカは操られている>
子ブッシュ大統領は大統領就任直後、CIAから警告された。
ビンラディンがアメリカに直接的な脅迫をしてきた。
2001年3月、アメリカ政府の委員会は報告書を発表、こう結んだ「アメリカ本土のアメリカ国民が直接、攻撃される可能性がある。我が国にはこの脅威に対抗できる政府組織は無い。」
ロバート・ゲイツ「『テロリストがアメリカ国内で大量破壊兵器を使うことは確かだ。それに対処すべきだ』という人は1990年代半ばから、かなりいました。そして政府の調査委員会を始め、他の機関も『アメリカに対する破壊的なテロ攻撃があるだろう』と言ってました。実際、避けられない運命でした。」
スタンスフィールド・ターナー「「CIAはアメリカが攻撃されると騒いでいました。」
ピーター・アーネスト「テロリストによる脅迫や実行計画など、何か起きるという情報がたくさんありました。」
ロバート・ゲイツ「1993年の世界貿易センタービル爆破事件の他にも、テロが実行されていたかもしれません。1995年には12機の民間航空機爆破計画があり、CIA本部も航空機で攻撃する計画もありました。2000年にはロサンゼルス空港も攻撃する計画もありました。」
ピーター・アーネスト「何年も前ですが、ラングレーのCIA本部を攻撃する計画がありました。ホワイトハウスや議会への脅迫はいつもありました。車で突っ込むというような計画でした。」
デイル・ワトソン「アメリカが攻撃されることを確信し、その重要性を十分知っていました。しかし、賢そうにしている政治家たちは誰も何もしなかったのです。
ジェームズ・ウールジー「国全体が言わば眠っていたのです。」
テロの脅威が迫っていても、CIAとFBIの確執は続き、お互いに情報を隠し続けていた。
FBI長官はCIAと情報を共有するなと警告していた。
ロバート・スティール「お互いにコミュニケーションも取らず、情報も共有しませんでした。」
ウィリアム・クワンド「情報を持っていても秘密にする傾向がありました。お互い信用していませんでした。」
ウィリアム・コーエン「仲が悪いとかではなく、異なる任務と文化を持つ2つの諜報機関なのです。」
2001年2月 イスラエルは『テロリストが民間航空機をハイジャックし、武器として使おうとしている』とCIAに警告。
ヨルダン、エジプト、そしてドイツの首脳からも、同じ警告が国防総省に伝えられた。
ジェームズ・ウールジー「イスラム過激派は民間の衛生写真でも見ることができる地上にある古い機体で、何年間もハイジャックの方法を訓練していました。4〜5人ののグループを作り、極端に短いナイフでハイジャックをする訓練をしていたのです。」
ピーター・アーネスト「数人のアラブ人が飛行訓練を受けていました。着陸の方法には全く興味を示しませんでした。明らかに捜査すべきでした。」
ヂュアン・クラリッジ「飛行機の訓練を習いにきている男が、インストラクターに『右と左に曲がればいい』と言ってるのですよ。そんなバカなことがありますか。何かあると思いませんか。まったく。」
ロバート・スティール「我々はいくつものヒントを受け取っていましたが、本気にしなかったのです。911テロの起きる1年前、若い男がニューアークのFBI事務所を訪れ、『飛行機を使っての世界貿易センタービルに突っ込む計画がある』と言ったのです。FBIはこの可能性を証明することができず、真剣に耳を傾けなかった。FBIが知らないことは山ほどあり、CIAの伝えていないことも山ほどあるのです。」
ウイリアム・ブラム「ハイジャック犯は、昔ながらの方法で飛行機を乗っ取り、要求を突きつけてくるとでも思ったのでしょう。旅客機を爆弾、あるいはミサイルとして使うということなど信じられなかったのです。だから待って待って待ち続け、そして手遅れになったのです。」
ロバート・ベア「ジャカライア・ムサウイの情報についても、全く同じでした。」
ジョゼフ・トレント「8月24日、フランスの情報機関DSTは、FBIにムサウイがアルカイダに関係していることを示す書類を渡しました。」
J・C・ブリサード「我々はかなりハッキリした情報を提供しました。特にムサウイがビンラディン主催の訓練キャンプに参加していた事実です。我々はまた、彼がヨーロッパのアルカイダのメンバーと会っていることも知っていました。」
ロバート・ベア「フランスはアメリカに情報を渡しましたが、アメリカは盗聴器も仕掛けず、コンピュータも調べませんでした。」
ジョゼフ・トレント「『FBIのせいだ。CIAのせいだ』と誰もが言います。大統領の周辺が『問題を見つけるな、あの周囲の問題など知りたくない。サウジアラビアは友人だ』と言ったとしたら、諜報機関は何もできません。」
デュアン・クラリッジ「最大の失敗は、CIAがサウジアラビア国内で全く活動していなかったことです。」
ロバート・ベア我々は友人であるサウジアラビアをスパイしたりしないというのが、共通の認識でした。」
ロバート・ベア「もし、組織に組織にちゃんと仕事をさせていたら、911は防ぐことができたかもしれません。」
ロバート・ベアはCIAを辞めて5年後、個人的にペルシャ湾を訪れ、反体制グループから『来るべきアメリカへの攻撃』についての情報収集を始めた。
ロバート・ベア「ペルシャ湾の反体制派と親しくなり、計画を知りました。私はCIAを辞めてから、とにかく現場にいようとベイルートに行きました。その人はハリドシェイク・モハメドがハイジャックを計画していると言ったのです。世界貿易センタービルを爆破したラムゼイ・ヨセフのグループでした。」
スタンスフィールド・ターナー「2001年8月、ベアは(子ブッシュ)大統領に『アメリカは国内でテロ攻撃を受けるでしょう』と言いました。」
ロバート・ベア「CIAが何も聞こうとしないのは知っていました。何も起きないと決め付けていたからです。彼らが外部の意見に全く耳を傾けないからこうなるのです。」
ロバート・スティール「我々は大失態を演じました。テロリストが何度でも計画を練り直して攻撃してくるとは思わなかった。」
リチャード・カー「FBIにしろ、CIAにしろ、諜報活動がうまく行われなかったというのは確かです。」
リチャード・ホルム「彼らに、あれだけの能力があり、あのような計画が実行できるとは、全く想像できませんでした。」
デュアン・クラリッジ「完全に見逃しました。」
<911テロ>
2001/9/11 早朝、大統領のジョージくんは、フロリダで日課のジョギングをしていた。
この日、弟のフロリダ州知事が始める教育キャンペーンに招待されていた。
AM8:47 サラソタ小学校で子供たちと話している時、同行したフィッシャー大統領補佐官に電話が入った。
世界貿易センタービルに航空機が突っ込んだ情報は、その場ですぐにジョージくんに耳打ちされ、さすがの陽気な、お気楽ジョージくんも蒼ざめた表情になった。
この911テロ事件を契機に、無能な子ブッシュは『テロ』という『911テロの恐怖を呼び覚ます言葉』によって周囲にいいように利用され、言われるままにCIAやFBIの多くの足かせを取り除き、再びアメリカで諜報機関が重要な地位へと返り咲いた。
そして、情報操作による洗脳の恐怖がアメリカを支配することとなる。
同時に、世界は洗脳されたアメリカによる『対テロ戦争』という『幻想の中で作られた恐怖の世界』へと巻き込まれていったのだ。