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下の方に出てたから紹介:『消えた百万人』ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道
http://www02.so-net.ne.jp/~muraji/gunji/1000000.htm
消えた百万人 ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道 (1999.8.31 追加)
ジェームス・バクー 著 申橋昭 訳 光人社
初版発行 1993年11月27日 定価 本体1,748円+税
ISBN4-7698-0665-5「
1945年5月、ナチスドイツ第三帝国崩壊。
ヒトラーの自殺後、新総統に就任したデーニッツは、一人でも多くの兵士を人道的な扱いを期待できる西部戦線のアメリカ軍に降伏させようとしていました。しかし、ほとんどの第2次世界大戦を描いた書物では、そこで話が終わってしまい、アメリカ軍を中心とする連合軍に捕まった捕虜がどういう運命を辿ったかが書かれている書物はまず有りません。この本は「その後」を描いた本です。
結論から言うと、
「西部戦線で捕虜になった約900万人の捕虜のうち、1年もしないうちに約100万人が連合軍(主にアメリカ軍)の過酷な取り扱いにより餓死や伝染病で記録上から消えた」
連合軍から、「捕虜」では無く「犯罪者」として扱われた武装SS所属の兵士は、終戦後、
「野ざらしで雨を遮るテントもない『捕虜収容所』。食料はほとんど支給されない、赤痢や1日に数百人が死んでトラックで運び出される。時たま連合軍兵士がジープで乗り込んで、機関銃を連射しながら、適当に捕虜達を銃殺していく」
といったような扱いを受けたことはよく知られていますが、一般の兵士もそういう扱いを受けていたわけですね。若い兵が多かった武装SSとは違って、戦争末期にはほとんど10歳代か35才以上までの年齢層で構成されて、基礎体力の無い人間が多かったドイツ国防軍で、これはかなり致命的です。
もともと連合軍の捕虜死亡率が高かったわけでは無く、むしろ1945年4月まではかなり厚遇されていたといって良いでしょう(残虐だと連合軍の間で評判になり、降伏しても即座に銃殺されることの多かった武装SS所属の兵士を除いて)。その点では生き残った将兵を出来るだけアメリカ軍に引き渡そうとしたデーニッツの判断は間違っていたとは言えないでしょう。
ただドイツ降伏後になってから扱いはいきなり変わり、連合軍司令長官で後のアメリカ大統領たるアイゼンハワー直々の肝いりで、食料とかはまともに支給されなくなり(当時のアメリカ陸軍には食料が有り余って、処分に困るくらいだったのに!)、かなり非人間的な扱いを受けて、次々と死者が出ていきました。
もちろん、この扱いに反対する良心的な連合軍の人間もいましたが、最高司令官直々の肝いりに逆らえるわけも無く、その試みのほとんどは無駄に終わったのです。
発生した大量の死者は、書類上の操作で最初から存在していないように扱われ、この本の著者は各地の公刊資料などを綿密に調べ「意味不明の曖昧な記述」から、実態を調査していくしか無かったほどです。
まあ、死亡率60パーセントと言われた東部戦線でドイツ軍に捕まったソ連軍の捕虜(さらに味方によって解放されても、信用されずに地雷探知機がわりに地雷原の上を歩かされたり、本国に帰っても強制収容所に放り込まれることが多かった)や、降伏したときには9万人いたけど、帰国したときには5000人になっていたスターリングラード戦のドイツ第6軍の生存者とか非道い例はいくらでも有りますけど、今までアメリカ軍は「紳士的」と思われていたことが多かったですからね、これはかなり意外でした。
当時、目撃者なども多数いたのに、このことが全然話題にもならず、反対に「西側連合軍は捕まえたドイツ軍捕虜を厚遇した」などという伝説が生まれてしまったのには、スターリングラード戦などのソ連軍による捕虜、民間人に対する虐待行為があまりにも広まりすぎていたことにも有るようです。つまり冷戦が始まる中、戦争末期に帰って来なかった捕虜は「ソ連軍に捕まって非道い扱いを受けたあげく死んだ」ってことに出来ましたからね。現にヒドかったことは事実ですし<ソ連軍による残虐行為
まあ、結果的にはどこの国もやっていることは、そんなに変わらなかった訳ですけどね。万が一ドイツがWW2に勝ったら、ドイツのやったことは、世間には広まらずアメリカとかイギリスとかの残虐行為が広く宣伝されるだけですし。「歴史は勝者によって作られる」とはよくぞ言ったものです。
しかし、この本に書かれている文句、
「婉曲な言い回しは残虐行為のはじまりである」
はまさしく至言だと思います。
物事を問わず官僚的な作文では良くあることですが、まともに言えないからこそ、そのような言葉遣いが必要になるわけで。
あと、こういう上からの圧力を受けつつ、ドイツ人捕虜の待遇改善に力を尽くしたアメリカ軍やフランスの人間も描かれていますが、そういう人たちの勇気にはホントに感心させられます。そのせいか、出世は出来なかったみたいですけど。