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(回答先: ユダヤ人将軍アイゼンハワーのホロコースト(虐殺されたのはドイツ人の方だった?) 投稿者 戦争屋は嫌いだ 日時 2003 年 12 月 30 日 09:05:56)
拙訳『偽イスラエル政治神話』(p.130-142)参照されたし。
ユダヤ人支配のメディアが、せっせと「報復」を煽っていたのである。
その背後には、真珠湾攻撃を予知しながら、現地司令官には告げずに、やらせ、日本の同盟国ドイツへの宣戦布告の機会として利用し、ヨーロッパ全体への覇権を目指していたアメリカ・ユダヤ資本の目論みが、潜んでいたのである。
---------- 引用ここから ----------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-13.html
『偽イスラエル政治神話』
2章:20世紀の諸神話(その4)
2節:ニュルンベルグの正義の神話(その2)
[中略]
野蛮さは、不幸なことに、一方の陣営だけに限られたものではなかった。
一九四〇年九月四日、ヒトラーは、スポルトパラスト(Sportpalast)[運動宮殿。壮大なオリンピック・スタジアムの固有名詞化]で宣言した。
《もしもイギリスの爆撃機が三千または四千キログラムの爆弾を落としたらならば、われわれは、その仕返しに、一万五千、二万、三万、四万キログラム、いや、それ以上を、たった一晩で落としてやる。》
これは、ルフトヴァッフェ(Luftwaffe)[空軍。ドイツのという意味のドイツ語の使用]による戦略爆撃の可能性についての極端な誇張でしかないが、両陣営の民族の間の憎しみが、どれほどの度合で上昇するものかを示している。
これに応じて一九四二年に、週刊誌『ニューヨーカー』の編集長で、“著述家戦争委員会”の筆頭格、半官の文壇代表の立場にあったクリフトン・ファディマンが、著述家たちに、《ナチの指導者に対してだけではなく、ドイツ人全体に対する激しい怒りをかき立てる》ように頼んだ。
この提案は論争を呼んだが、ファディマンは固執した。
《ドイツ人に分からせるための唯一の方法は殺すことだ。それでもなお彼らは分からないのではないかと思う》
一九四二年四月に、デ・サレスの本、『明日を作る』を褒めながら、ファディマンは、自分の人種主義的概念を発展させて、つぎのように記した。《現在のナチの侵略は無頼漢の集団の仕業というよりも、むしろ、ドイツ人に深く埋めこまれている本能の根本的な表現である。ヒトラーは、彼自身よりもはるかに強大な力の化身である。彼が説教する邪教は二千年の歴史を持っている。その邪教とは何か? アルミニウス[前1世紀にローマの支配に反乱を起こして3軍団2万人を全滅させたゲルマンの族長]とともに始まる西欧文明への反乱以外の何物でもない。……この戦争の次元は、このように考えると非常に明瞭になる。……》
彼は、つぎのようなヘミングウェイの提案にも賛同した。《唯一の根本的な解決(the only ultimate settlement)は外科的な意味で、ナチを不毛化することである》
彼は、ナチと他のドイツ人を区別したドロシイ・トムソンを笑い者にした。
彼の意見は世間とかけ離れたものではなかった。ヒトラーの“スポルトパラスト”での演説のあとで、ロンドンの『デイリー・ヘラルド』紙に載った記事では、牧師のC・W・ウィップが、つぎのように宣言している。
《合い言葉は“彼らを一掃せよ”でなければならない。そのために、われわれの科学の粋を尽くして新型の、さらに恐るべき爆弾を発明すべきである。……福音を説く牧師は、そういう感情に従わないだろうが、私は率直に言う。もしも可能ならドイツを地図から抹殺したい。ドイツ人は悪魔の人種であり、ヨーロッパの永遠の災いの基である》
幸いなことにイギリスでは、こういう常軌を逸した行き過ぎに対して、抗議の声があがった。イギリス人がドイツ人と比べて文化の高さで必ずしも優るわけではないが、それでもなお、血に飢えた指導者や憎しみと死の狩人によって、混乱させられることはなかった。
一九三四年一月、シオニスト指導者のヴラジミール・ジャボチンスキーは、ユダヤ人の新聞『ナーシャ・レッシ』[われわれの権利]紙上で、つぎのように宣言していた。
《われわれユダヤ人の利益を守るためには、ドイツを永久的に滅ぼす必要がある。全体としてのドイツ人が、われわれにとっての危険を代表しているからだ》
チャーチルはまた彼なりに、一九四〇年五月一六日、ポール・レイノードに向かって、つぎのような本音を明かしていた。
《われわれはドイツを飢えさせる。われわれは彼らの町を破壊する。われわれは彼らの作物と森を焼き払う》(ポール・レイノード『九か月の政府勤め』)
一九四二年には、イギリスの大臣で紛れもない憎しみの伝道者、ヴァンシタート卿が、イギリス空軍の爆撃の恐ろしさを正当化するために、こう語った。
《唯一の善いドイツ人は死んだドイツ人だ。だから、われわれは彼らに爆弾を降り注ぐのだ》
一九四四年一月、ウィンストン・チャーチルは、参謀総長のヘイスティングス・イメイ将軍に四頁のメモを渡したが、そこには、つぎのような計画の提案が記されていた。
《私は、あなたが極めて真剣に、この窒息性ガスの問題を熟考することを願う。……
馬鹿気た話だが、前の戦争では皆がこれ(窒息性ガス)を使い、道徳家や教会からの何の抗議もなかったというのに、今では皆が、この問題の議論に道徳性を持ち出す。その一方、当時は無防備都市への爆撃はタブーと見なされていたのに、今では誰もが当然のことのようにやっている。女のスカートの長さと同じで、単なる流行の問題でしかないのだ。……
私は、窒息性ガスを使用するために、どれだけの費用が必要かを冷静に研究してほしいのだ。……われわれは、馬鹿気た原則で手を縛られているべきではない。……
われわれは、ルールや、その他のドイツの都市を、この方法で溺れさせ、大部分の住民が常時治療を必要とするようにすることができる。
……とりあえず、数週間または数か月後、私はあなたに、ドイツを窒息性ガスで溺れさせる命令を出すだろうが、やる時には徹底的にやらなければならない。それまでに、この問題の冷静な研究を、そこらで右往左往している制服を着た興ざめのする御幣担ぎのメダカの群れにではなくて、まともな判断力のある連中にやってほしいのだ》(『アメリカの遺産』85・8/9)
チャーチルも、スターリンも、トルーマンも、戦争犯罪人として被告席には座ったことはなかった。
ニュルンベルグ裁判所は、さらに恥ずべき犯罪を煽った著者たちを、被告として告発していない。その内から、特に熱狂的な二つの事例だけを紹介しておこう。一九四二年には、これこそ本物の意味での“ジェノサイド”を煽る本、アメリカのユダヤ人、テオドール・カウフマン著、『ドイツ人は消滅すべきだ』が発表された。その主要な主張はこうだ。《ドイツ人は、反ナチであろうと共産主義者であろうと、たとえユダヤ人が好きであろうとも、生きる価値がない》。カウフマンの結論はこうだ。《戦後に二万人の医者を動員して、一日に一人で二五人づつのドイツ人の男女に不毛化手術を行えば、三か月で子供を作れるドイツ人が一人もいなくなり、以後、六〇年でドイツ人種は完全に絶滅する》
この本は、反ユダヤ主義を養う上で格好の拾い物だった。ヒトラーは、すべてのラディオ放送局で、この本の抜粋を読み上げさせた。もう一つの同じ扱いを受けた本は、一九四四年に発表されたソ連の作家、イリア・エレンブルグの著書、『赤軍への訴え』である。
《殺せ! 殺せ! ドイツ人の中には、生きている者の中にも、これから生まれてくる者の中にも、無実の者はいない! 同志スターリンの命令を実行し、穴に隠れた野獣のファシストを、撃滅し続けろ! ドイツ女の高慢さを、暴力で打ち砕け! 彼らを正当な戦利品として取り扱え! 奪え! 殺せ! 殺せ! 勇敢な赤軍の兵士たちよ、君達の止むに止まれぬ攻撃によって》([ナチス・ドイツの]デーニッツ提督著『一〇年と二〇日』の引用による)
以上に挙げた内、一つとしてニュルンベルグで告発されたものはないし、その有様は、それを隠していた各国の元首たちについての状態と良い勝負だった。
同じく、二〇万人の民間人が犠牲となったドレスデンの爆撃は、ソ連軍がすでに目標を超過達成していた状況下に行われ、何らの軍事的理由もなかったにもかかわらず、イギリスとアメリカの責任者は誰も告発されなかった。
同じく、三〇万人の民間人が犠牲となった広島と長崎への黙示録的な原爆投下は、天皇がすでに降伏を決定していた状況下に行われた。この場合にも、やはり、何らの軍事的必要性もなかったにもかかわらず、その罪を犯したトルーマンは告発されなかった。
同じく、ベリアもスターリンも、たとえば彼らは、何千人ものポーランド将校をカチンの森で虐殺しながら、その罪をドイツ人になすりつけていたのだが、やはり、まったく告発されなかった。
[後略]
---------- 引用ここまで ----------