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この「文民」って、↓この記事と関係有るんですかね。
イラク情勢:邦人が負傷、クウェートの病院に収容 外務省
http://www.asyura2.com/0311/war42/msg/653.html
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2003/iraq4/news/1228-157.html
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「文民」6人が復興事業 今夏、バスラのCPAで 国主導の民間“先遣隊”
【クウェート市28日共同=柴田友明】イラク復興支援特別措置法に基づく文民派遣を「前倒し」する形で、今年七−八月、経済産業省などの呼び掛けに応じた日本企業・団体から連合軍暫定当局(CPA)の民間スタッフとして邦人六人がイラクに派遣され、復興事業に携わっていたことが二十八日分かった。
複数の関係者の証言によると、派遣したのは大手電機メーカーを含む日本の五つの企業・団体。石油化学、電力、通信の技術者が中心だった。国主導による“文民先遣隊”ともいえるが、国や各社はテロの対象になるのを警戒し、活動を明らかにしてこなかった。
派遣された六人は、南部の都市バスラを中心に活動、戦争で破壊された石油施設や通信施設などを修復したが、治安悪化で事業を中断、クウェートなどに避難したという。
四月に戦闘が終息したと判断した政府は五月までに外務省二人(死亡した外務省の奥克彦、井ノ上正盛の両氏)、経産省一人をバグダッドに派遣。現地の協議で、イラク北部・中部は外務省、南部は経産省と主な活動地域を分担した。
証言によると、当時、英国軍中心の多国籍軍が進める南部の復興事業は「クイック・インパクト・プロジェクト」と呼ばれ、経産省などの呼び掛けに応じた企業・団体の技術者らがイラク入りした。
南部各地でそれぞれ約一千万円規模の中小の修復事業を行った。その対象には一九七○年代から八○年代に日本の政府開発援助(ODA)で建てられ老朽化した施設もあったという。
六人はいずれもバスラのCPA支部の宿舎に寝泊まり。当時参加した一人は「最初は安全だったが、宿舎に投石されたり、一緒に事業を進めていた英国人将校が殺害されたりした。治安が悪くならなければもっと事業を展開できた」と残念がる。
一方で、今回の自衛隊のイラク派遣について「企業が行う復興事業とは性格が違う。国の威信といった象徴的な意味しかない」と感想を語った。
(了) 12/28
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