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(回答先: Re: 国民保護法制の狙いとは何か 【そろそろ日本を有事にするか…?】木村愛二先生、これなんです? 投稿者 チュ… 日時 2003 年 12 月 26 日 19:44:04)
先生と呼ばれる程の馬鹿じゃなし。正当防衛権を認めることは戦争誘発の原因(吉田茂答弁)
保護とか、安全保障とか、自衛とか、防衛とか、「お為ごかし」の典型。悪党どもの好い加減な議論が溢れているから、にっちもさっちも行かないのである。
中国語で、党は、もっぱら、悪党、徒党、の意味で使われtれいた。
日本の「組」がやくざや暴力団や、小泉組(婦女暴行逮捕歴首相の祖父は人入れ稼業の小泉組の組長)と同じ「組」であると同様、単なる集団の「仲間」のことなのである。
「政党」などは、とうてい「正当」なものではないのだから、日本共産党は「正当防衛権」を主張するのである。
これって、国民保護と、ほぼ同じではなかろうか。
昨年の敗戦記念日を巡っての旧稿を抜粋する。
---------- 引用ここから ----------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aku333.html
http://www.asyura.com/2002/war14/msg/424.html
『亜空間通信』333号(2002/08/10)
【8/12徹底研究実践会「敗戦と戦争放棄」共産党の正当防衛権主張電網情報要約】
[中略]
http://give-peace-a-chance.jp/yuji/events/other/other_1.html
有事法制を考える市民と超党派議員勉強会
日 時: 2002年3月18日(月)14:00〜16:00
会 場: 参議院議員会館・第3・4会議室
(交通機関 地下鉄有楽町線・半蔵門線の永田町駅下車すぐ)
講 師: 水島朝穂さん/早稲田大学教授 [後略]
http://www.asahi-net.or.jp/~eh6k-ymgs/book/japan/mizushima.htm
水島朝穂氏の本[中略]
氏は1953年生まれ。早稲田大学法学部・同大学院博士課程を経て、1983年札幌学院大学法学部助教授、1989年広島大学総合科学部助教授を歴任。1996年より早稲田大学法学部教授、憲法学・法政策論・平和論。[中略]
* 君はサンダーバードを知っているか − もう一つの地球のまもり方
日本評論社。「サンダーバードと法を考える会」編。
水島氏が「コーディネーター」として主要部分を執筆し全体を編集した本である。
「サンダーバード」を例にあげて防衛ということを考えるその発想が面白い。
全言語のページから日本共産党、自衛権、正当防衛権、憲法9条 野坂参三を検索しました7件中1 - 4件目(これも最初の二つは、わが電網宝庫頁。同上)
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/daitoasenso/sengodemocracy_kenpo_seiteikatei.htm
428911 戦後憲法の制定過程について(一)経過
【共産党野坂議員の妙な質疑 】
この時、野坂は、「戦争放棄」条項に食いついて、6.28日の本会議で、概要「自衛戦争は正義の戦いだ。自衛権まで放棄しているのは行き過ぎではないか」、「戦争一般放棄という形でなしに、我々は之を侵略戦争の放棄、こうするのがもっと的確ではないか」と質問している。
これに答えた吉田の答弁がふるっている。概要「そんな考え方は有害だ。近年の戦争の多くは国家自衛権の名のもとに行われている。故に正当防衛権を認めることは戦争誘発の原因となる」、「自衛権による交戦権、侵略を目的とする交戦権、この二つを分けることが、多くの場合において、戦争を誘起するものであるが故に、かく分ける事が有害なりと、申したつもりです」、「日本が戦争放棄を宣言して漸く世界の信を得ようとしているとき、自衛権についてとやかく論議することは再び世界の疑惑を招くことで有害無益な論だ。なぜなら従来の侵略戦争はいずれも自衛権発動の名目で為されたからだ」。今日から見て立場が逆転しているこの滑稽なお互いの質疑は、歴史の皮肉とは言えよう。[後略]
以上で引用終わり。
なお、上記の「今日から見て立場が逆転している」という評価には、疑問を呈して置く。当時の野坂は、口では「平和革命」を唱えはしたものの、武力闘争による「共産主義」ないしは「社会主義」革命を支持していたのであり、「絶対平和主義」の立場ではなかった。「正義の戦い」の擁護には、既存および将来の武力闘争による「共産主義」ないしは「社会主義」革命を「守る」戦いの想定があったと考えるべきであろう。
その矛盾または欺瞞が、現在の日本共産党の「『自衛隊活用』という安易な方針」の露呈にまで至っているのである。
私は、この問題を重視している。具体的な経験を挙げると、痩せても枯れても、一応の組織を持つ日本共産党が、間違った方針で、しかも、官僚支配をする場合、争議団の「合い言葉」は、「敵と戦うよりも味方と戦う方が難しい」であった。当時は、今よりもはるかに、日本共産党が労働組合運動の内部で組織力を持っていたから、この「味方と戦う」ことは、熾烈な戦いとなった。要するに「味方」(一応そう呼ぶ)の内部で主導権を握らないことには、敵と戦うこともできなくなるのだった。今の日本の平和運動は、「貧すれば鈍する」の極にあるが、それでもなお、以上の戦いの原則は、同様なのである。
---------- 引用ここまで ----------