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米国はイラクに民主主義をもたらすか
今週のゲリラ:チョムスキー・インタビュー
ゲリラ・ニュースネットワーク、2003年12月8日(編集者による選択・抜粋)
翻訳:寺島隆吉+岩間龍男+寺島美紀子、公開2003年12月17日
ヨーロッパ人は少なからぬ哲学者の星(スター)を有している。彼らはゴロワーズ[フランス煙草の名品]を吸い、芸術家気取りのファッションモデルや牛を彫刻するアーティストとはね回り、アルマーニ[イタリアのブランド品]を着て、帝国に関する人知の及ばない機構と弁証法についての長くて理解不能な論文を刑務所の独房から書いている。[アントニオ・ネグリ等のこと]。他方、ここ米国にはひとりの皺の深い74歳の言語学教授がいる。彼は一見すると身近にいる退屈なおじさんのように見えるが、[彼の講演となると]長蛇の列をなす聴衆が集まる人物である。
彼の名はノーム・チョムスキー。アメリカの主流メディアが彼にいっさいマイクを向けようとしないにもかかわらず、彼は何かルネッサンスのような活況を呈している。<下線部の部分の訳し方については、インタビュー末尾の訳注を参照>
いくらかの点では[このような不思議なアンバランスについて]ネットワークの計画立案者を非難することはできない。なぜなら大量の著作にもかかわらず、チョムスキーはプライムタイム(テレビのゴールデンアワー)の出演者リストにはなっていないし、彼は毎日同じ青いセーターを着て、かろうじて聞こえるような小声で話すからだ。
おまけに、あらゆる応答に対して多くの詳細な説明と歴史的背景の時間を要求し、その結果、10秒のサウンドバイト[ニュース番組などで短く引用される発言など]を全く不可能にする。また(彼の社会的損失にとって)もっとも重要なのは、メディア自身がアメリカ帝国の犯罪に対して犯罪の実行者と同じくらいに責任があると彼が考えていることである。だから彼は朝のトークショーの必ずしも最も魅力的なゲストにはなりえないというわけである。
しかし、メディアに一切顔を出さないにもかかわらず、チョムスキーは一番人気である。『9・11』という題名の彼の薄い本は50万部以上売れている。昨年の世界社会フォーラム(ブラジルのポルトアレグレ)では、3万人のスタジアム30,000 person stadiumを満員にした活動家、企業のグローバリゼーションに反対する元気な活動家を彼は圧倒したのだ。何百万人もの大学生が彼を英雄と崇めている。彼の新著『覇権か生存か:アメリカによる世界支配の探求』が発売されたが、反響がもはや大いに出ている。有力誌『ニューヨーカー』誌は最近彼の人生と見解について15ページに渡る詳細なプロファイルを出しているし、『ニューヨークタイムズ誌』は、とりわけ彼が「自己嫌悪するユダヤ人」であると示唆しつつ物議を醸すインタビューを載せたところである。U2のボノは彼のことを「学会のエルビス」と呼んでいる。彼の言は或る意味では正しい。
チョムスキーの考える倫理的世界の基礎は、「意図と美辞麗句は行動を伴わなければ意味をなさない」という信念である。すなわち、民主主義に関してあらゆるナンセンスを好きなだけ話しても良いが、子供を爆死させるblowing up childrenような連中はファシストなのである。チョムスキーは、権力者が発砲するのを押し止めるための知識人の役割について特別に強調している。ほとんどの西洋知識人が、この仕事に惨めにも失敗していることは、チョムスキーにとっては意外ではない。[そのように発言したことによって] 彼が「テロリストの恋人」と呼ばれたとしても,実際、彼を困惑させるものは、ほとんど何もない。
9・11後まもなく彼は、「3千人のアメリカ人を殺した大計画は恐ろしく悲劇的であったが、しばしば米国自身によって第3世界の諸国家に定期的に加えられた死と破壊に比べると、実際には何も異常なことではない」と指摘するという致命的失敗を犯してしまった。このことは、当然、良くない結果を生んだ。チョムスキーは「アルカイダの擁護者だ」と攻撃された。そのような冷徹な歴史的分析による傷口は余りに生々しいものとなった。
米国がアメリカ人大衆の9・11後の恐怖を悪用してイラクに大々的に侵略したことはその傷がまだ癒えていないことを示している。
私たちは最近イラクから戻り、GNNの近刊書と映画企画のため、頭が白くなりかけている、この無政府主義的サンディカリストにインタビューしようと、ケンブリッジに向かった。下記はその会話からの抜粋である。
GNN:
ブッシュは我々がイラクにいるのは民主主義をもたらすためであると世界に一生懸命売り込んでいますが、これは作り話なのでしょうか。
ノーム・チョムスキー:
イラク侵略後、困ったことに次のことが明らかになってきました。彼らは大量破壊兵器を発見するつもりはないこと、演説法が変わり始めたこと、そして民主主義をもたらすことが大きな仕事になったことです。11月初旬にブッシュは演説をして、西側諸国や米国や英国内で素晴らしい賞賛を得ました。しかしその他の国々では、たいていはあざ笑われました。彼は演説の中で、我々は過去においていくつかの間違いを犯したが、いま世界で新しい使命を遂行しており、至る所に民主主義をもたらすために闘うだろうと述べたのです。
イラクでは反応がありました。その演説のすぐ後で米国がイラクにやって来た理由をイラク人に尋ねる世論調査がありました。何人かの人々はブッシュの主張に同意しましたが、実際のところ、それは世論調査の回答者の1%にすぎませんでした。
この地域のほとんど、そしてラテンアメリカのような場所では、その反応のほとんどはその演説を嘲笑するものでした。それにはいくつかの理由があります。その理由のひとつとして、この種の進路変更、つまり我々は過去に悪いことをしたが、これからは素晴らしいことをするというこのドクトリンは2,3年おきに流行しているものであるからです。
さらにそれは侵略と帝国主義の歴史におけるお決まりのものだからです。ヒットラーやスターリンや日本のファシストを見れば、彼らはみなこの種の用語を使いましたし、大英帝国も確かにそうでしたし、他の国々もそうでした。だからその用語は基本的に何も情報を伝えていないのです。それは自由・民主主義・正当性といった、型どおりの一種の再帰的用語で、スターリンでさえもが、いわゆる人民民主主義を導入しました。誰もそのことを真剣には考えていません。彼が実際やっていることを皆が見ているからです。
あなた方は次のことを気づかぬようにするためにはかなりバカになる必要があります。すなわち、民主主義に向かって進歩しているということでブッシュの演説で賞賛された国々(アルジェリア、モロッコ、イエメン)は米国の命令に従っている国々であり、非難されている国々は米国の命令に従っていない国々です。これは民主主義や人権などを目指す如何なる措置とも全く関係のない行為です。
GNN:
米国は帝国だとあなたは思いますか。私たちは自分たちのことを自由な共和国と考えたいのですが、私たち自身に帝国の概念と擦り合うような神話があるのでしょうか。
ノーム・チョムスキー:
個人的には私は帝国という言葉は特には使いません。帝国という言葉は実際どうでもよいことです。その言葉は政権の支配者が国を動かすなどといった多様な意味を含みます。あらゆる種類の帝国主義的支配形態があります。米国は建国以来、帝国の野望を持ち、それを実行してきました。あなたと私がここに座っているのは何故でしょうか。何故なら元々ここには人々[アメリカ原住民]がいました。英国の植民者が来て、原住民を殲滅するか追い払い、何百万を超える人々をアメリカ大陸に展開させました。時には私たちは彼らと条約を結びましたが、その条約を破って、ともかく彼らを追い出してしまったのです。
このようにしてアメリカ大陸は征服され、メキシコの半分が征服され、キューバがスペインから「解放されました」。実際に米国は1898年、スペインに介入し、キューバが自らをスペインから解放することを妨げたのです。こうして事実上、1959年[カストロによるキューバ革命]までキューバを米国の植民地とすることを確実にしたのです。そして、このキューバ革命以来、米国は大規模なテロ戦争と経済封鎖を行ってきました。キューバが自らを解放したことは、許されないことだったのです。
米国は暴力と策略でハワイを原住民から強奪し、フィリピンも侵略しました。というのはマッキンレー大統領によると、神からフィリピン侵略を命じるお告げがあったというのです。だから、そのことは問題のないことになっています。数十万の人々が虐殺され、今日に至るまでフィリピンは基本的に米国の支配下にあります。
米国の裏庭と呼ばれる中米とカリブ海地域では他の仕組みが使われました。あなた方は米国の命令に従うべきであり、さもなければ抑圧や侵略や封鎖や破壊が待っているぞと脅迫したのです。これが[米国政府]によって行われたことですが、そのメンバーは現在ワシントンに返り咲いています。彼らは最悪の悪党の一部です。
それは興味深いことです。[現在の]対テロ戦争の指導者は1981年に「対テロ戦争」を宣言した政府にいた人々と同じ人々です。国連の外交面では、ジョン・ネグロポンテが受け持っていますが、彼は当時ホンジュランスの米国大使で、そこでの拷問や暴力を指揮・監督していました。さらに重大なことは、ホンジュランスはニカラグアを攻撃する米国傭兵軍の基地となっていました。そのことで米国は国際司法裁判所から非難され軍事行動の中止と賠償金の支払を求められました。しかしもちろん米国はそれを無視しました。現在それどころか彼は、睫毛一つ動かさず冷徹に対テロ戦争の外交面を動かしています。
対テロ戦争の軍事面では、ドナルド・ラムズフェルドがいます。彼はレーガン大統領の密使として中東へ送られたsent to restore relations with our friend Saddam Hussein人物です。サダムが完全な怪物で化学兵器を使っていたことを熟知していたにもかかわらず、友人であるサダム・フセインとの関係を回復するためです。イラクは1982年にテロリスト国家のリストから外され、米国はサダムに武器や援助を与えイラクとの関係を確立することができました。こうしてテロリスト国家のリストに空の中断があったので、彼らは当時キューバをテロリスト国家として発表したのです。
そのようにテロリスト国家のリストは作られています。エリオット・アブラムはラテンアメリカに責任を持つ人物で、国家テロと残虐行為を裏で支える重要人物でした。彼は議会に嘘をついたということで実際に罪を問われていましたが、大統領の特赦を受けて釈放されました。彼は現在国家安全保障会議の中東問題の担当者に戻っています。
あなた方は笑っていいのか泣いていいのか分からないでしょう。
教養のある人たちの見解はとてもよく驚くほど躾けられているので、これらのすべてのことが、それは間違いだといったコメントなしで通用していきます。まだまだあります。コリン・パウエルを見てみましょう。彼は「穏健派」とされています。穏健派の彼にはどんな記録があるのでしょうか。彼はレーガン政権の最後の数年間、国家安全保障の顧問でした。議会は南アフリカの支援を禁止していたのですが、当時の政権は、それをうまく回避していました。彼らはその禁止を受け入れたくなかったので、その方法を見つけようとしていました。そこで彼らはネルソン・マンデラのアフリカ民族会議は世界で悪名高いテロ組織のひとつであると宣言をし、コリン・パウエルが監視役に着いていたのです。
彼らは南アフリカのアンゴラやモザンビークでの大規模な残虐行為を支援することもしていました。この残虐行為では数十万の人々を殺害していました。そのコリン・パウエルが「穏健」なのです。
ポール・ウオルフォイツ[国防副長官]は当時インドネシアの大使で、怪物スハルト[インドネシア大統領]を賞賛していました。その前は、彼はアジア問題の国務省高官でした。そこでは、彼は卑劣・残虐・腐敗の独裁者マルコスを支援する責任者でした。米国は彼がフィリピン軍によって倒される最後の瞬間までこのマルコスを支援していました。
いま一種の修正主義的な歴史が構築されつつあります。つまり実は米国がこれらの結果[マルコス打倒]を達成するために密かに動いていたというものであり、その記録を発見しようとしています。が、事実は全く逆であり、このような米国の態度は完全に首尾一貫したものです。それは何も問題はありません。2-3年ごとに出てくる、この進路変更という原理についての、見事な事実のひとつは、過去を消し去ってしまえることです。[ジョージ・オーエルの小説『1984年』を見よ。]
これについては例外的なことは何もありません。これが権力機構の振舞い方なのです。彼らは自分たちのことを神話として描きたいのです。
GNN:
あなたがなさっているような神話解体を、そんなにも恐れさせるメディアの規範(パラダイム)とは何なのでしょうか。
ノーム・チョムスキー:
概して教養ある知識人というのは権力に従順です。このことについて目新しいことは何もありません。ギリシャの古典文学や聖書にまで遡って、同じような話を見つけることができます。
聖書を例にとってみましょう。私たちはみな聖書を崇拝すべきだとされていますからね。聖書の中に知識人と言われる人々が出てきます。人々は「予言者」という言葉で彼らのことを呼びましたが、何も予言などしませんでした。「予言者」は基本的に知識人であり、地政学的分析をしたり、道徳的な行動、孤児や女性問題を適切に待遇することなどを呼びかけていました。彼らは[一般の知識人とは違って]権力を批判し道徳的行動を呼びかける民衆のための知識人でした。彼らは権力を広げようとする王様の努力が破壊につながることも予言しました。彼らはおよそ批判的な知識人が行うとされる全てのことを行いました。彼らはどのように扱われたのでしょうか。彼らはどこかで賞賛されたでしょうか。いいえ、彼らは監禁され砂漠に追いやられ軽蔑を受けました。
数百年後にやっと彼らは栄誉を授けられましたが、彼らが生きていた時には栄誉など授けられていません。
その当時、栄誉を授けられたのは、王にへつらい権力者を褒め称える「御機嫌取り」です。現在そのような知識人は偽預言者と呼ばれています。
<訳注>“I wouldn't touch it with a ten-foot pole.” 絶対に関係したくない〔【直訳】10フィートの棹で(距離を置いて)も触りたくない〕 ◎ 例文・I wouldn't touch the food in that restaurant with a ten-foot pole. あのレストランの食事はまっぴらごめんだ。
http://terasima.gooside.com/essays031208chomsky031217.htm