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(回答先: 木村愛二本人の二重人格的やらせではない。Re: 日本外交官射殺事件考 【れんだいこ】 投稿者 木村愛二 日時 2003 年 12 月 24 日 20:44:44)
●歳川氏も「暗殺説」です。彼の立場からは首謀者が米軍とは言えないのでしょう。
しかし、この文章から自分は、外務省人材とは
明治維新以降、イギリス諜報部との深い結合があると感じました。
明治以降の日本天皇制もイギリス留学などを通して
イギリス王朝との深い結合があると思います。
そこにおける英王立戦略研究所が
井ノ上氏奥氏暗殺を仕組んでのではないかと、自分は感じております。
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奥克彦参事官は「暗殺」!?
歳川 隆雄(としかわ たかお)
恐れていたことが出来した。外務省の奥克彦駐英日本大使館参事官(81年入省)と井ノ上正盛駐イラク大使館3等書記官(96年、専門職)の二人が、11月30日午後(現地時間)、イラクの首都バクダッドから北部の要衝都市ティクリットでのCPA(連合国暫定当局)と米軍主催の会議出席のため同地に向かう途中、何者かによって殺害された。これは明らかに、テロである。米軍幹部と誤認されての襲撃との報道もあるが、ほぼ間違いなく奥参事官を標的にした「暗殺」と言っていいだろう。と言うのも、奥参事官はこの4月下旬、バクダッドの日本大使館再開を前に、CPAの前身である米国防総省に設置されたORHA(人道支援室)のJ・ガーナー室長(当時・退役陸軍中将)の下へ駐英日本大使館から謂ばリエゾン・オフィサーとして現地に派遣されたからだ。日本では一切報じられていないが、一定期間の出向という形式をとっていたものの、同参事官は現地のORHAオフィス内にデスクを持ち、ガーナー室長を補佐する非米国人スタッフとして働いていた。ということは、フセイン政権残党、イスラム原理主義者テロ組織「アルカイダ」やそのイラキ・ネットーワークには、奥参事官は日本の外交官である以前にイラク占領統治の"加担者"と映っていたとしても何ら不思議ではない。
奥克彦。早稲田大学政経学部卒業後、外務省入省。語学研修は英オックスフォード大学で、省内の所謂「アメリカン・スクール」のキャリア官僚だ。井ノ上正盛。熊本大学在学中に外務省専門職試験に合格し、卒業後、同省入省。所謂アラビア語の専門職である。故奥克彦参事官は、駐イラン大使館1等書記官、駐米大使館1等書記官、大臣官房会計課首席事務官、北米局北米第2課日米協力推進室長、経済局国際経済第一課長、総合外交政策局国連政策課長を経て、01年10月に駐英参事官に赴任した。省内では「経済畑」に属する。田中真紀子外相と"差し違え"て外務事務次官を退任した野中義二元事務次官(66年)が高く評価、英王立戦略研究所に出向した同氏が後任の竹内行夫事務次官(67年)に英国派遣を強く推挙したとされる。日比谷高校時代やはりラグビー部員だった野上は、高校、大学とラガーメンであり、外務省には珍しい剛直タイプの奥に対し、人一倍親近感を持っていたという。田中真紀子と言えば、奇しくも奥と同期入省でキャリアのアラビストである上村司・元田中外相秘書官が現在、駐イラク公使(臨時代理大使を兼務)である。いずれにしても、CPA及び駐留米軍と日本大使館、つまり日本政府との唯一無二のパイプ役であった奥を失った痛手は測り知れないものがある。国連政策課長時代に知己を得た私は、訃報に接し、言うべき言葉がない。合掌。
http://www.insideline.co.jp/column/column.html
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歳川 隆雄(としかわ たかお)
1947年 東京に生まれる。上智大学英文科中退。週刊誌記者を経て1981年からフリージャーナリストに。現在は国際政治経済情報誌「インサイドライン」編集長。国際関係では日米問題やアジア問題(特に朝鮮半島情勢について〕、また国内政治問題や国際金融問題などについて多くの論文、著作がある。事件の核心に迫り、問題提起を絶やさない、真摯な取材・執筆姿勢には定評がある。
東洋経済アメリカ(ニューヨーク)発行の「The Oriental Economist Report」の東京支局長も兼務。著書には、「一触即発の38度線」(飛鳥新社)、「ブッシュ・アメリカ情報操作の脅威」(講談社)、「日米権力水脈」(風雅書房)、「大蔵省 権力の秘密」(小学館)、「実名・霞が関」(ザ・マサダ)、「官僚疑惑」(東洋経済新報社)、「機密費」(集英社新書)、「外務省の権力構造」(講談社)、「日本の危機管理」(共同通信社)、「宗男の言い分」(飛鳥新社)など多数。
http://www.insideline.co.jp/profile.html