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(回答先: 北朝鮮と不可侵条約締結も ディーン民主党大統領候補(共同通信) 投稿者 エリヤ 日時 2003 年 12 月 14 日 21:26:22)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031214-00000107-yom-int
【北京=浜本良一】中国から北朝鮮に石油を供給するパイプラインの全容が、中朝関係筋の証言などで、明らかになった。
1976年に開通し、国内最大の大慶油田で産出される石油を北朝鮮北部の安州付近まで送る。最大400万トン(年間)の油送が可能で、中国が北朝鮮のエネルギー事情を左右する命綱を握っていることが裏付けられた。
中朝パイプラインの存在は、中国が今年2月、北朝鮮の核開発問題を巡る多国間協議への参加を渋る金正日政権に「圧力をかけるため3日間油送を停止した」(中朝関係筋)ことから注目を集めた。詳しい敷設ルートや油送能力などは、明らかにされていなかった。
大慶油田と遼寧省大連を結ぶパイプラインから遼寧省東北部の鉄嶺で分岐し、国境沿いにある丹東北郊で鴨緑江をまたぎ、対岸の北朝鮮・新義州から安州付近まで延びており、鉄嶺からの延長は約400キロ・メートル。
中国側は分岐点から約265キロ・メートル、北朝鮮側は約135キロ・メートルある。途中、中国・撫順と丹東の2か所と、終着の北朝鮮側の計3か所に製油所が設けられており、原油から重油やガソリンなどを精製しているものと見られる。
中朝関係筋によれば、油送管は直径40センチ・メートルほどで、保安と盗難防止から地中に埋設され、鴨緑江では川底に敷設されているという。朝鮮戦争時に同川にかかる橋が米軍などによって爆破された経緯から、こうした設計になったようだ。
関係資料によると、中朝両国が石油パイプラインの建設に合意したのは1972年。着工は74年2月で、75年末までに完成、76年1月に開通した。
72年のニクソン米大統領の電撃訪中など国際情勢が激変、北朝鮮側が中国の対外政策に不満を募らせたことから、中国側は、恒常的な石油供給を可能にするパイプラインの建設に応じたものと推測される。
パイプラインの油送量は不明だが、90年代前半は年間110万トン―80万トンだったものが、99年には31万7000トンまで減少。背景には、北朝鮮の経済状況の悪化とともに、90年代半ばに「朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)」の枠組みで国際社会による毎年50万トンの重油供与が始まったこともある。北朝鮮への石油供給は、もっぱら中国とKEDOの2本立てとなった。
油送量は、2000年からやや持ち直したが、北朝鮮の核開発問題が再燃した昨年は47万2000トンと前年を10万トン下回った。KEDOの供給は昨年末から中断したため、北朝鮮は、石油については、ほぼ完全にパイプラインによる供給に依存する形となった。
◆大慶油田=中国黒竜江省西部・松嫩平原にある。1959年に発見され、「自力更生」の方針の下、全国から技術者や労働者を動員して掘削など開発を行い、76年には年産5000万トンを突破、国内最大の油田となった。(読売新聞)
[12月14日17時59分更新]