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本日発売『週刊文春』奥参事官公電関連部分読み込みだが見出し取り扱い微妙
私は、本日早朝、以下の投稿をした。
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奥参事官は「米軍統治懸念」公電(週文)わが読み的中、本日発売・至急電網公開希望!
http://www.asyura2.com/0311/war44/msg/564.html
投稿者 木村愛二 日時 2003 年 12 月 11 日 09:22:00:CjMHiEP28ibKM
奥参事官は「米軍統治懸念」公電を打っていた(週文)わが読み的中、本日発売・至急電網公開を希望!
日経朝刊の広告なり。「イラク外交官襲撃3大スクープ」の最後の項目。見出しのみ。
---------- 引用ここまで ----------
以下が、その記事の 奥参事官公電関連部分であるが、その記事の見出しにあった「米軍統治懸念」という文言は、そのまま記事の本文にあるわけではない。いわば、編集部の解釈に当たるもので、見出しの取り扱いは微妙と言わざるを得ない。
しかし、以下の全文を子細に読めば、主旨としては間違いないと断言できる。おそらく、文春は、これ以上の内部取材をして、裏づけを取っているものと思われる。
---------- 引用ここから ----------
[前略]
戦禍の犠牲となった外交官の二人。はからずも、この悲劇はある事実を突きつけた。日本政府による情報収集システムのぶざまな欠陥である。
まず、なぜ日本人外交官が標的にされたのか。
殺された奥克彦・在英大使館参事官(当時)は、四月に復興人道支援室(ORHA)に派遣され、のちにCPA(連合暫定施政当局)日本代表に就任した。当時の様子について、外務省関係者が振り返る。
「彼はアメリカの政策を日本に報告する連絡調整役で、着任当初から外務省に対して、ずいぶんと公電を打っていました。その中でも特に印象に残っているのは、着任間もない頃の公電です。『CPAはまったく機能していないため、自分は何をしたらいいのかわからない』というものでした。当初は仕事をこなす環境ではなく、苦労の連続だったのでしょう。
その奥氏が「CPA内部で相当の“顔”になっていた」と証言するのは、六月にイラクを訪問した民主党の若林秀樹参議院議員である。かつて若林氏はワシントンの日本大使館で奥氏とともに開発援助の仕事をした仲だった。
パグダッドで、奥氏は若林氏にこう言ったという。
「日本として、自衛隊として、米軍の後方支援活動や復興援助、物資の輸送など、手伝うことはいくらでもあります」
若林氏が回想する。
「奥さんはCPAが本部としている旧フセイン宮殿の中で寝泊まりをして、内部ではかなりの存在感がありました。自衛隊を早く送り込めとは言わないまでも、活動に携われる余地はいくらでもあるし、派遣が必要だと考えていたようです」
同じく奥氏と面会した末松義規・民主党代議士の話。
「奥さんはアメリカ人を含めて大勢の友達がいて、エネルギッシュに仕事をこなしていました。暑い中で、『窓を閉め切ってもパソコンに砂塵が入り込んで大変なんですよ』と言っていましたね。私は八四年から二年間、バグダッドの日本大使館に勤務した経験があります。イランからスカッドミサイルが飛んでくるような時代でしたが、当時よりも今のイラクは本当に危険と隣り合わせだと感じました。複察した病院でも、私たちが停めた車の脇で銃撃戦が始まり、少なくとも三人の市民が血まみれで亡くなりました。奥さんはそんな危険があるのは承知で、『これが俺の職務だ』と誇りを持っていたのです」
混乱の中で職務に心血を注ぎ、CPAと日本をつなぐキーパーソンとなった奥氏。同時にそれは、テロの対象となることを意味していた。
[後略]
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