現在地 HOME > 掲示板 > 戦争44 > 238.html ★阿修羅♪ |
|
「独占入手!絶筆:故奥克彦参事官が死の直前に書いたイラク復興への思い」全文
「奥さんの遺志を継ぐと「称する」者も、本当にそうしたいと思う者も必読!
日本人は特に、この全文を熟読玩味すべきと思い、メディアは、それをやはり、全文報道すべきであると考え、ここに掲載する。
まずは、以下の部分を強調する。
---------- 引用ここから ----------
ところが不可思議なことが起こった。
大使館の奥氏のデスクや宿舎をいくら探しても、なぜか彼のバソコンが見あたらないのだ。しかもアメリカ軍や現地警察などから渡された遺品の中からも見つかっていないという(二日現在)。
---------- 引用ここまで ----------
『週刊文春』(2003.12.11)
総力特集「新聞・テレビが絶対に報じない」
「イラク外交官テロ全真相」
特集の最後:
「独占入手!絶筆:故奥克彦参事官が死の直前に書いたイラク復興への思い」
作家 麻生 幾
写真説明:「外交フォーラム」最新号と要人を案内する奥氏
写真説明:イラク復輿への情熱は継承しなければならない
人間は死に直面した時、脳細胞の記憶の箱が次々と開けられ、そこから様々な映像が飛び出すという。故奥克彦・外務省参事官は、襲撃現場から病院へ搬送されてから亡くなったと伝えられている。チクリットの犯行現場で意識がなかった、というが、もしかすかにでもあったとすれば、遥か日本と約八千キロ離れたかの地で倒れた彼の脳裏には、いったいどんな映像が浮かんでいたのだろうか――。
一報が伝えられてから私を呪縛していたのはずっとそのことだった。そしてこのことを誰かと話し合いたい、という強い欲求にかられ続けた。そして居たたまれなくなって私が電話機のプッシュボタンを押したのは、「外交フォーラム」という月刊誌の編集部の電話番号だった。
同誌は日本で唯一の外交問題専門誌である。さしずめ、世界的に知られた米誌「フォーリン・アフェアーズ」の日本版といったところだ。国連、安全保障といった骨太のテーマを分かりやすく毎月特集し、また膨大な数の外交官の手記、インタビューを掲載して来た。そして私事で恐縮だが、小生はその末席を汚すがごとく連載小説なるものを書いている。
事件を知ったとき、すぐに思い出したのは二カ月前、同誌(十一月号)で掲載されていた奥氏の原稿だった。まさに“イラク発”として、国連の役割について綿密な分析と考察が行われていた。
だからと言って、私は何を聞きたいとか、教えてくれ、というわけではなかった。奥氏の脳裏に最期に浮かんだことについて、彼を知る数少ない関係者に触れてただ語り合いたかった――そんな思いだけだった。
「奥氏の脳裏に浮かんだもの? もちろん家族のことでしょう。でもそれだけじゃなかった、と確信しています。彼のイラク復興へ賭けた想いは壮絶でした。なぜなら……」
そう語気強く口にした同誌関係者は急に声を詰まらせた。私はその想いがよく分かった。結局あの原稿は絶筆となってしまったのだから……。
だが関係者のその想いが、二カ月前の原稿とはまったく別のところにあるとは想像もしていなかった。私が聞き及んだのは、実はもう一つの“未公開の原稿”が存在すること。そしてそれこそが「本当の絶筆」である――そんな意外な秘話だった。
命がけのメッセージ
私が仄聞したのは以下のとおりだ――。
奥氏は亡くなる直前、個人用パソコンを使った“未公開の原稿”を書き上げる寸前だった。その原稿とは、再来月号の「外交フォーラム」の英語版に掲載予定であったもの。しかも事件に遭遇した直
後がちょうど締め切り日にあたっていた――。
悪夢の惨劇の直前まで、任務の合間を見てはパソコンに向かっていた奥氏の姿が思い浮かばれる。
聞くところによれば、奥氏は、事件前、その原稿の内容を「外交フォーラム」宛へ伝えていたという。すでに原稿の仮タイトルについても、奥氏はこう提案していた。
そして、その仕上がり間近の原稿の内容について、奥氏自身、こう綴っていたという。 そして最後に、日本の自衛隊の今後のあり方についても問題提起をする予定である〉 同誌十一月号の原稿とは明らかに違う。今回は、国際社会が立ち向かわなければならない現実、イラクの現状と日本に関係する生々しい部分に踏み込んでいる。そして、その行間には、イラク復興へ賭ける壮絶な想いが満ち溢れていることを私は感じた。中でも私が注目したのは、“イラクでの実例”と彼が言い切っている部分である。 奥氏が伝えたかった本当の現実 そういった体験は、奥氏にしか出来なかったことだ。だからこそ奥氏は“実例”と言い切れたのだ。私はそこに、自分が命を賭して得た貴重な情報を何としてでも日本へ伝えたい、どうか役に立てて欲しい、という強烈な意思を感じないではいられない。 また、奥氏は日本人が目を背けている現実を直視していた、という点にも私は目が引き寄せられた。 国連による全面統治が必要だといった“きれい事”ではすまされない。イラクという国家のシステムが、実態として何によって安定が保たれているのか、その現実に立った上での「イラク復興」を考えなければならないことを彼は強調していたのではないか。そして国連だけで行うことの限界を知り、軍という組織を抜きにしてすべてが語れないという“本当の現実”を伝えたかったのではないか、と私は見る。国連をもっとも良く知る彼だからこそ、その“現実”を語れたのだ。 さらに、日本人こそ現実と真正面から向き合わなければならない――それを言いたかったのではないか――。 最後に書かれた〈自衛隊のあり方への問題提起〉の部分は、まさに奥氏しか書けない、日本にとっての貴重な財産がちりばめられていたことは想像に難くない。 彼をよく知る関係者は、派遣先のサマワを駆け巡った奥氏にとっての、国際社会への日本の責任としての自衛隊派遣の意義――アメリカ軍支援とは別の復興支援部隊としての意義がそこに説かれているはずだ、と語る。 一部の報道では、一生前、奥氏は事実上、名指しでの脅迫を受けていたという。そんな命がけの任務の中から彼が送ろうとしていた日本へのメッセージ。だが不幸にも、この“もう一つの原稿”は「絶筆」となってしまったのだ。 是非、本文が読みたい――誰でも思うことだ。 ところが不可思議なことが起こった。 大使館の奥氏のデスクや宿舎をいくら探しても、なぜか彼のバソコンが見あたらないのだ。しかもアメリカ軍や現地警察などから渡された遺品の中からも見つかっていないという(二日現在)。発見された場合は同誌に遺稿として掲載されるだろう。だが、もし発見されなければ、その優秀な人的財産とともに、希望ある日本の未来を築くことができる貴重なメッセージまでも、我々は失ってしまったことになる。 奥氏が息絶える直前、脳裏に何が浮かんだのか――。 それは家族の顔とともに、日本への壮絶な想いであった、と私は信じている。 自衛隊派遣の是非を問う無責任なニュース番組を見ながら、奥氏の「絶筆」をもう一度振り返る。それはもはや疑いようがない。新たな国際責任への日本人の覚悟――その想いがそこにあることを。 奥氏は“未公開の原稿”の分量について、いつになく熱っぽい調子でこう注文をつけていたという。「十一月号の二倍は書きたい」「絶筆」は何としても探さなくてはならない。
〈(紛争後における軍隊の役割について―イラクの実例から)〉
〈イラク復興に関与しているアメリカ軍を中心とした各国の戦闘要員である軍隊が、ポスト・コンフリクト(地域紛争後)において果たしている役割、例えば民政部門の復興への関与について、私が見た、体験したイラクでの実例を挙げながら解説する予定。その上で、今後のイラク復興の方向付けについての意見を展開します。イラクでは、連合暫定施政当局(CPA)よりも、むしろ軍関係者が治安維持という分野を越えて、さまざまな分野に関与している。つまり、軍が事実上の「行政」を取り仕切っている。こういったイラクの実例は、これまで国連のPKOが行われたコソポ、東ティモール、またアフガニスタンと比べてもまったく異質なるものである。これからも起きるであろう紛争後の社会の安定、経済発展を考えるうえでは、さまざまな示唆を提示していることをお伝えしたい。
奥氏は、イラクのあらゆるところへ自ら飛んで行った。自衛隊や文民部隊の派遣においてもその準備のためにイラク中を駆けめぐった。またイタリア軍が自爆テロリズムで多数の死傷者を出した現場へ車を飛ばした。