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〈練馬の里から〉ゆったり反戦通信 その9
発信者=井上澄夫(戦争に協力しない!させない!練馬アクション)
発信時=2001年9月10日
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誰の言葉だったか、「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」という箴
言(しんげん)がある。
9月7日付『沖縄タイムス』朝刊の一面トップに、「外務省 30部署で裏金、
歴代幹部含め200人処分へ、内部調査 数千万単位の部も」という見出しが踊っ
ているのを見ても、この言葉の正しさを実感する。外務省の腐敗は、常習化した組
織的・計画的公金横領であり、平たくいえばタカリである。「外務省は『200人
近い規模の処分者を出してウミを出し切り、これで終わりにしたい』(幹部)とし
ているが、過去には多くの部署で裏金づくりが行われていたと指摘する声もあり、
大量処分が国民の信頼回復につながるかは不透明だ。」と記事にある。 しかし、
「国民の信頼」なるものは、外務省自身がデッチ上げた虚構であり、もともとそん
なものはなかったのだ。腐敗が表面化すると、どの官庁も、まるで判を押したよう
に、決まって、「国民の信頼」を回復するために努力すると言うが、初めからない
ものを回復することなどできるわけがない。
これからは、外務省と聞くと、「ああ、あのタカリの外務省ね」と、誰もが思う
だろう。そして「タカリの外務省」を思う度に、どうして税金を払わねばならない
のかと思うにちがいない。
防衛庁・自衛隊の腐敗ぶり、ゆるみぶりもすさまじい。「権力は腐敗する」が、
トップが腐敗すると、魚が頭から腐るように、腐敗は下降して組織の下部にまで至
る。毒が全身に回るのだ。
すでに解体された、防衛庁の調達実施本部(調本)の例がそうだ。『毎日新聞』
に徹底的に暴かれるまで、国庫に返還すべき軍需産業の莫大な水増し請求金額を、
調本が手加減して減額していたのは、防衛庁幹部の天下り先を確保するためだっ
た。
そういうオイシイ話がまかり通る現実があれば、おこぼれにあずかろうとする者
たちが出てくるのは当然である。しかも大きな腐敗は、無数の小さな腐敗を誘発す
る。そして大小の腐敗は、組織全体の規律のゆるみにつながる。
その様(さま)が、このところ連日、新聞紙上をにぎわせている。6月25日、
北海道の恵庭市と北広島市にまたがる自衛隊島松射撃場上空で、訓練中の航空自衛
隊南西航空混成団(那覇市)所属のF4EJ改ファントム戦闘機が、20ミリ機関
砲の訓練弾188発を発射し、それらの一部(14発)は、北広島市の「北広島リ
ハビリセンター」内に着弾して、訓練棟の屋根、渡り廊下の屋根、乗用車の後部窓
ガラス、バスの車庫の屋根などを破損した。人が殺傷されることがなかったのは、
奇跡としか言いようがない。
この「誤射」事件は、結局、「整備時の人為ミスで損傷した配線同士がショート
して起きた」とする最終報告書の発表によって、終わらされた。同時に、「事故機
固有の問題」であることと、「パイロットが引き金を引かないまま弾が発射され
た」ことが、航空自衛隊によって強調されたが、真相がウヤムヤに葬り去られたと
いう印象は免れない。
「隠す」、「ごまかす」、「だます」は、そもそも、戦術の本質的要件であり、
自衛隊の調査結果など、信用する方がどうかしている。あれは実は、出来心で、つ
い撃ってしまったのではないか。
航空自衛隊は「事故機固有の問題」というが、同機の問題部分が、細大漏らさ
ず、マスメディアに公表されたのであったか。しかもコックピットは密室であり、
乗り組んでいた隊員2人が口裏を合わせれば、真相は薮の中だ。事故の処理に当
たった航空自衛隊自体、一般の人びとにとっては、闇の世界なのである。こういう
結末では、「誤射」は、また起きるのではないか。
さて機銃弾の乱射の次は、155ミリ榴(りゅう)弾砲の「誤射」である。9月
7日、福島県の陸上自衛隊白河布引山演習場で、陸上自衛隊郡山駐屯地の第6特科
連隊が、155ミリ榴弾砲の射撃訓練中、二岐(ふたまた)温泉のそばの山林に実
弾を撃ち込んだ。轟音が鳴り響いたという。155ミリ榴弾砲の砲弾の破片が飛び
散る範囲は、最大で着弾地点の周囲約5000平方メートルに及ぶ、と報道は伝え
ている。先の機銃弾の「誤射」同様、今回も幸い人身事故には至らなかったようだ
が、これもまた、自衛隊による「民間人」の生命軽視・無視の典型である。
自衛隊は、個々の「国民」を守る気など、もとよりないし、戦闘遂行のために
は、「国民」を犠牲にしてもかまわないとさえ考えている。自衛隊の銃口は、外に
のみ向いているのではない。平時、戦時にかかわりなく、戦争に反対し平和を築こ
うとする、すべての人びとに向けられているのだ。
自衛隊にとって演習は、単なる戦争の準備ではない。演習はそれ自体、「敵」を
軍事的に威圧する目的を持つ軍事行動の一環なのだ。だからこそ、「民間人」の生
命軽視・無視の本性が、演習中に、はしなくも暴露されてしまうのである。
余談だが、9月1日、東京の三多摩地域を中心に「ビッグレスキュー東京200
1」(陸・海・空の自衛隊2000人が主軸の東京都総合防災訓練)が強行された
とき、私は、調布市の多摩川河川敷会場を見晴らす土手の上で、訓練(演習)を監
視していた。そのとき、すぐそばで会場に入る車両の誘導をしていた自衛隊のジー
プから、「民間人に質問されて答えられないときは、かならず本部に問い合わせ
よ、ドーゾ」という無線連絡が聞こえた。土手に集まった近くの住民になにかを聞
かれ、返答に窮した自衛隊員が、指揮官に支援を求めたのだろう。戦前、軍隊に関
係ない非戦闘員は、「地方人」と呼ばれたが、最近は「民間人」と呼ぶらしい。
防衛庁・自衛隊の腐敗、規律のゆるみは、雨後の筍(たけのこ)のように続出す
る自衛官の犯罪にも表われている。沖縄では、今年3月、航空自衛隊恩納分屯基地
の幹部自衛官(二等空尉)が、女子中学生をレイプした。9月4日には、陸上自衛
隊南与座分屯地の三等陸曹が、家出中の女子中学生と〈みだらな行為〉をしたとし
て、宜野湾署に逮捕された。
児童買春(かいしゅん)では、去る6月15日、青森県のむつ署が、陸上自衛隊
八戸駐屯地の幹部自衛官(一等陸尉)を逮捕している。ただし、このケースでは、
〈みだらな行為〉をしたあと、被害者の携帯電話に電話して、「やくざをなめんな
よ。もう一回会え、出てこい」と脅したので、脅迫の容疑も加わっている(6月1
5日付『東奥日報』)。昔、「兵隊やくざ」という映画があったが、これは本物の
「自衛官やくざ」である。
いやはや、言語を絶する醜態の連続ではないか。3月に起きたレイプ事件につい
ては、5月15日、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの一員として、沖縄から駆
けつけた人びとと共に防衛庁に赴き、航空自衛隊に抗議したが、「謝罪」に登場し
た自衛官らは、オウムのように「綱紀粛正に努めます」と繰り返すばかりで、つい
には、「今後、こういうことが100%起きないとは言えません」と開き直るあり
さまだった。
しかし考えてみると、星三つの幹部も交えた彼らは、なかなか「正直」だったの
である。予告通り、自衛官の犯罪は続いているのだから。こういう記事もある。
「交際を断られた腹いせに女性の腕や腹などをけり、けがを負わせたとして、神奈
川県警横須賀署は9月8日、傷害の現行犯で、海上自衛隊自衛艦隊司令部の三等海
曹を逮捕した」(9月8日付『産経新聞』夕刊)。
卑劣な犯罪の舞台での、陸・海・空三自衛隊によるオミゴトな揃い踏みである。
さて、中谷元(げん)防衛庁長官は、東チモールPKOへの自衛隊派遣のため、
9月7日から、米国、インドネシア、東チモールを訪問するのに先立って行なった
記者会見で、こうのべた。
〈私も常々PKOというのは「平和のオリンピックである」、その地域に平和と
安定をもたらすために参加して、各国が自国の努力を競い合う、それによって世界
平和を成し遂げるというものだ、という認識を持っておりますが、やはり日本はア
ジアのリーダーとして、アジア地域の安全保障のためにもっと努力をしていかなけ
ればならないというふうに思っております。
とかく国際貢献については「危ないから行かない」というような認識であります
けれども、私と致しましては、「何のために、何をするために行くのか」という目
的をしっかりと捉える必要があるのではないのかと。〉
教科書採択問題や小泉首相による靖国神社参拝の強行などによって、アジア近隣
諸国との緊張が高まり、いよいよ溝が深まりつつある現状をどう認識しているの
か、中谷長官は、ぬけぬけと「日本はアジアのリーダー」とブチ上げる。その上、
先の発言の後段は、自衛隊を東チモールにPKO派遣する方針が、とりあえず先に
あって、「何のために、何をするために行くのか」は、実は、これから考えること
を、自ら暴露している。
中谷長官の、アジア近隣諸国との緊張に関する脳天気ぶりと、目的も定めず海外
派兵に走る無謀さと無責任ぶりには、呆れるばかりだが、トップがこういう調子で
は、足元の〈自衛官による犯罪〉は、増えることはあっても、減ることは……、ま
ずないだろう。
外務省にも、防衛庁・自衛隊にも、自浄力はない。彼らが繰り返す「コーキシュ
クセー」は、すでにオマジナイの効果さえないのだ。21世紀の世界で、他国の人
びとに共存可能な国として認められるように、この国を変革できるのは、権力に無
縁な私たちだけである。小泉首相があえて選択している孤立の道を拒否し、私たち
自身が連帯と共存への道をつけるために、コツコツ努力しようではないか。
http://www1.jca.apc.org/aml/200109/23427.html