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自衛隊を送るらしい。
イラクおよび関係する人々はどう見るだろうか。
軍隊とは剣だ。
それを派遣するとは剣を抜くということに他ならない。
今の場合、招かれてさえいない。
「こちらからは抜かない。相手が抜いた場合に備えるためのものだ」
と言ったとして、物分り良く聞き分け者はいない。
立場と規模を変えて
例えば、自分の町内に君臨し続ける悪党を始末するために
「自警団」が法を破って踏み込み、町民を『救出』するためだと
町内の女、子供を巻き添えにし、
「犯人を退治するため」だと言って振り下ろした刃が、
あなたの親や兄弟や恋人を、
おじいちゃんや、おばあちゃんを切りつけるとしたら
あなたはどう感じるだろうか。
血まみれの肉塊になった自分の子供や親や恋人が目の前に転がったら
怒りにと悲しみに狂わない者はいない。
おまけに、町内を復興すると称して
その仲間が剣を携えてやって来たら
あなたはそれをどう感じるだろうか。
しかも、その「悪党」を作ったのは当の自警団だ。
そしてその「仲間」は『自称自警団』を真っ先に支持した集団だ。
日本の首相はああするしかないのだろうか?
そうだとしたら、それはなぜなのだろう?
今の彼もしがらみが無いようでありながら
首相となったことで、実はカビの生えたしがらみの中にいるのかも知れない。
今の論議では自衛隊を派遣するかしないかに注目が集まっている。
しかし、それは事の重大な分岐点で日本の首相が表明したことの延長上にある事だ。
あの分岐点で、アメリカの9.11の怒りと熱に浮かされた勢いを利用した
「先制攻撃」に対して不支持を表明してほしかった。
少なくとも、アメリカに熱冷ましを贈るぐらいには踏みとどまってほしかった。
そうてしてこそ唯一の誇りであるはずの魂の輝きを少しは保てたと思う。
「先制攻撃支持」を真っ先に表明した日本は
イラクにとって許されざる国になったのではないか。
ある賢者は、
「今に至るも真の平和は存在しない。
あるのは戦争と戦争の間にある戦争の準備期間だ」
と、言っている。
私は今、この国が戦争に突入してゆく過程を
目撃しつつあるのかもしれない。杞憂であればいいと思う。
誤った「指導者」は怒りを溜め込んだ人々の勢いを利用する。
そして、暴力に怒りのはけ口を求めない人にも暴力を強要し、
殺したくない人々にも殺しを押し付ける。
怒りに満ちた人が多ければ多いほど戦争への傾斜は増してゆく。
その怒りを和らげるどころか。
その勢いを利用して屍の上で金儲けをたくらむ人々がいると言うが
その魂に安らぎが訪れると思うだろうか。
それは心に描くのも難しいことだ。
この冬に、野菜についてきたアゲハの幼虫がが孵化した。
冬の蝶はあまりにか弱く、長くは生きなかった。
それでも手のひらに乗った小さな蝶から
力強い生命の躍動が伝わってきた
懸命に飛ぼうとしていた。
蝶は水を吸い、蜜を吸い、そして静かに逝った。
今のイラクに安らぎはないだろう。
自衛隊の諸士の心に安らぎはあるのだろうか。
自衛隊を送ることで誰かが安らぐだろうか。
抜き身の剣や弾を込めた銃口の下で誰かが安らぐのだろうか。
安らぐ時はそこに許しと受容があるときだ。
最初の一歩が間違っていなかったか
良く考えてほしい。
つじつま合わせはさらに魂を貶める。