現在地 HOME > 掲示板 > 戦争44 > 1439.html ★阿修羅♪ |
|
この9月、中国(広東省)で大阪のリフォーム会社が「集団買春」をして、
日本人3人が国際手配されたと報じられました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031218-00000019-nnp-kyu
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031217-00000886-jij-int
いきなりこんなニュースに触れるのはおかしいかもしれませんが、
ぼくは「集団買春」ということが、とても気になるのです。
そこには、「みんなで買えば怖くない」というか、
「みんなが買うんだから、自分も…」
あるいは「みんなが買うのに、自分だけノーとは言えない」
要するに、「集団としての空気」の中で「個」を見失ってしまうという
日本特有の行動様式が、そこに見られるからです。
もちろん「買春」そのものがおかしいことはいうまでもありません。
もし個人が、自分の意志と自覚と責任においてやるのだとしたら、
それはそれとして理解もできます。
しかし、自分の意志と自覚と責任はどっかにおいておいて、
組織が手配した「買春」の行為にそのまま乗っかってしまう。
この「集団主義」、つまり「集団の空気に飲み込まれる行為」こそ、
実は、最も警戒しなければならないものではないでしょうか。
言いたいのは、その場の空気に流されて、
いとも簡単に「個」を失ってしまうことです。
そしてこれはいま、自衛隊派兵でもすでに起こりつつあります。
「みんなが認めているから…」
「自分だけノーとは言えない」
「成り行きに任せるしかない」
そしてその結果、たとえひどいことになったとしても、
決して誰も責任をとろうとはしません。
なにしろ、それを決めたのは「空気」なのですから<笑>。
大阪のその会社では、
たぶん以下のような「空気の場」があったのだと思います。
組織のトップ、ないしは非常に影響力のある誰かが
「よ〜し、今晩はみんなで女を買おうか!
おい、お前、ホテルに頼んでこい!」
あるいは、幹部連の会合の場で、誰かが買春の話を持ち出したところ、
「いいねぇ。みんなにご褒美出して、また頑張ってもらおうか」
などと、トップか影響力のある者が、強くイエスの判断をした場合、
そこから「ある種の空気」が色濃くたれこめていきます。
要するに、空気の方向を決めるキーマンがいて、
その判断が示されたときから、空気が急激に動き出していくのです。
そんな空気の中では、もはや異論や批判、非難は口に出せません。
もし「それはいけないことじゃないんですかぁ」なんて言おうものなら、
その人物は罵倒され、出世も評価もフイにしてしまいます。
それどころか「村の掟」にたてつけば「村八分=クビ」もありえます。
だから、中には個人として「おかしいぞ」とは思っても、
みんなが「空気」に縛られて、ただ押し黙っています。
そしてそのままコトが運ばれていくのです。
中国ではホテルの中堅幹部男性(38)とナイトクラブの元責任者の女性(28)が
「事件の中心にいた」として、無期懲役、財産没収の処分を受け、
女性集めに関わった元従業員らも、懲役2〜15年の刑を受けました。
しかし、大阪の会社も、日本人の多くも、
「運が悪かったねぇ」程度で、終わってしまうのでしょう。
なにしろ、なんとなく空気がそうさせてしまったのですから…。
自衛隊派遣問題でも、すでに怪しい空気が動きだしました。
日本の社会はまた、空気によって破滅へと誘われていくのでしょうか。
「不気味な空気」が濃厚になるなかで…
http://www.creative.co.jp/top/main.cgi?m=189
「空気社会=日本」を考えるヒント
http://www.creative.co.jp/top/main.cgi?m=192
天皇制は典型的な「空気支配」の体制
http://www.creative.co.jp/top/main.cgi?m=196
NHKの「葬儀中継」に思うこと
http://www.creative.co.jp/top/main.cgi?m=198
天皇制=典型的「空気支配」へのレスに対して
http://www.creative.co.jp/top/main.cgi?m=199
不気味な「空気」に「水を差す」ことの意味
http://www.creative.co.jp/top/main.cgi?m=206
●王様は裸だぁ!…戦争呪文から解放されよう!
http://www.creative.co.jp/top/main.cgi?m=223