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2003年12月16日 火曜日
米国側は「日本は市場をもっとオープンに」と繰り返したが、「オープン」というニュアンスは、法的な意味よりも、米国社会の根本的なメカニズムを表わしていた。つまり、値段が安く質の良い商品やサービスの提示をした者が注文をもらえる、「フェア」な環境である。縁故の問柄でしか仕事をさせてもらえない「商慣習」では、新参者は入れない。特に私たちが指摘したのは、日本の市場が価格よりも長年の取引関係を重視するという点、それから、市場が政府の「行政指導」により厳しく規制されていて、外国人はもちろん日本人にとっても新規参入が難しくなっているという点だった。
ところが、日本にとって「オープン」という言葉は、否定的で面倒臭いという意味が含まれていた。日本は伝統的に閉じた杜会であり、外から入ってくる新参者に対するルールは必要ない。「日本で商売をする以上、日本のやり方でやるのは当然だ」という考え方が主流であった。つまり、両者は同じグラウンドで全く別のスポーツをしていたと言える。通商交渉はまるで、サツカーをしている相手に野球のルールを言っているのと同じだった。
さらに私たちは、仮に日本のシステムが民主的だったとしても、それは非常に変わった種類の民主主義であり、他の大多数の民主主義国家の民主制度とは全く違っていると主張した。どこが変わっているかといえば、第一に、選挙で地方の票が都市部の票よりも重いために、一人一票のシステムではないのである。第二に、官僚の力が非常に強く、起草から導入まで立法のほとんどを取り仕切ったうえ、担当責任者である閣僚の国会答弁まで官僚が用意してやるほどだ。第三に、自民党内の仕組みでは、すべての意思決定の裏ですでに交換取引がなされているので、国会で実質的な立法論議がなされることはほとんどない。こうした日本の体制の本質について、日米がともに誤った前提に立っていることが、結果として貿易摩擦と不満を助長して、より根底で日米関係を蝕み始めているのだ、と私たちは指摘した。
だが、誰も私たちの意見を聞く耳は持たなかった。日本にしてみれば、今のままで充分うまくいっているのだから、勝ち続けている戦略を変える理由はどこにもなかった。一方、アメリカが私たちの分析を受け入れたがらなかったのは、これを受け入れたら日米の根幹的な協定を見直さざるを得ない.からであり、もう一つには、これを受け入れたら「自由市場に対する人為的操作は、市場を歪める」という自由放任主義以外の経済システムを有効だと認めることになり、自分たちの原理原則が崩れてしまうからだった。そんなわけで、私たちは日米双方から、単なる「日本叩き」として片づけられた。日本を封じ込め、そのシステムを壊したがっているだけなのだ、と言われたのだ。
しかし実のところ、私たちはむしろアメリカ・バツシャーだったと言っていい。アメリカが始終「公平な土俵」に立てと日本に要求し、日本はずるいと非難していることが両国の関係を悪化させているのだから、方針を転換して双方のシステムの違いを認識し、その違いに対処することを目指すべきだ、というのが私たちの主張だった。つまり、「日本の経済構造は米国と異なっているのだから、摩擦を回避する方法は、構造自体を似たものにしていくよう、上手に管理していくことだ」というものだ。
しかし、日本叩きという言葉は「人種差別主義者」の娩曲表現と捉えられ、その否定的な響きのせいで、私たちの分析は一顧だにされず、日本の制度自体への批判として解釈されてしまったのは残念なことである。今にして思うと、日本があのとき私たちの言うことに耳を傾けていたら、今日の日本経済ははるかに良い状態にあったのではないだろうか。もちろん、後で振り返ってみて、ああすたやすればよかったと言うことは容易いことだが。
日本の貿易黒字が増大するにつれ、もっと円高にすべきだというプレッシャーが、二方面から起こった。市場とワシントンである。その結果が、プラザ合意だった。つまり、すでに円を押し上げていた市場の圧カに、アメリカ政府からの制裁が加わったのだ。日米両政府は、円を強める方向に吹いていた「風に逆らわない」ことで合意した。これもまた、日本がそれまでの戦略を見直して、重要な構造転換を果たす絶好の機会だった。
貯蓄奨励、銀行を介しての問接融資、次々に巨大化する生産能力拡大のための設備投資、そして輸出といった戦略から、消費を拡大し、金融業とサービス業を育成し、円を国際通貨にする政策に切り替えるべきだったのだ。なぜそう言えるのかというと、日本の輸出主導型の成長戦略は、日本が世界経済の中でわずかな部分しか占めていなかった時期には有効だったが、もはや日本の経済力はそんなレベルではなくなっていたからだ。
日本はすでに世界市場で大きなシェアを占めており、それ以上の輸出拡大が見込みにくい臨界点は、すぐそこにきていた。それ以上の投資をしても、生産超過で在庫を増やすだけであり、最終的にはデフレに発展することは予想できた。実際に、前川レポートや中曽根行革などのかたちで、将来の日本を輸入.消費大国に想定する見直し案も出されていた。しかし、旧システムの成功神話は根強一く、旧システムにおける既得権益の力も非常に強かったため、見直し案はすべて押しのけられ、旧来の「奇跡的」システムを存続させる努力ばかりが強化された。
日本銀行は、通貨供給量を増やしてカネ余り現象を引き起こし、不動産と株の市場価格を天空まで押し上げ、それによって資本コストを実質ゼロにまで引き下げた。事実、バブル経済の絶頂期には・トヨタなどの企業の資本コストは、マイナスになっていた。つまり、彼らが債券を売って資金調達を行なう時、市場は実質的に、その証書を買う栄誉のために、わざわざプレミア分のお金を払っていたのである。
一九八○年代末から九〇年代初めにかけての数年問、日本はエルドラド(黄金郷一をついに発見したようなものだった。触れるもののすべてを黄金に変える、ミダス王のような国になっていた。だが、泡は永遠に膨らみ続けるわけはなく、日本のバブルも例外ではなかった。しかし、バブルがはじけた一九九二年頃もやはり、システムを再考して新しい戦略を採用する絶好の機会だった。一つについは、不動産価格の永遠の上昇という日本人の土地神話が、株式市場の暴落とともに潰えたからである。この土地神話は、土地担保という憤習的融資行動を通じて、日本の銀行制度の根幹を成しており、実際、銀行資本の大部分を土地・不動産が占めていた。だから本来なら、ここですぐに銀行の健全性を調べ、バブル崩壊によって生じた不良債権に引当金をあてて帳簿から消し、キャッシュフローによる融資戦略を採用すべきだったのだ。
しかし、誰も奇跡が終わったことを信じたくなかった。自民党をはじめとする既得権益者の力が非常に強かったこともあって、古いエンジンの再生にあらゆる努力が傾けられた。だが、古いエンジンはかすかに振動音を立てるだけで始動せず、日本経済はその後一〇年の問に徐々に崩壊していった。かつては強みであった長期的な取引関係、政府の行政指導と暗黙の保障、高い貯蓄率、護送船団方式をとる銀行融資、終身雇用と年功序列型昇進・昇給や不動産担保融資といった慣習、高い投資率、製造業偏重、成長の軸足としての輸出重視策、円を国際通貨にしないための円の供給制限維持、外国からの投資の排除なゼが、今やすべて弱みに転換した。こうなってしまったのは、強みを発揮するはずの戦略が機能するための、環境や条件が変わってしまったからである。
そもそもの誤りは、これらがどんな時も常に強みになると信じられていたことだった。これらは、元大蔵省財務官の榊原英資の言葉を借りれば、「資本主義を超えた」日本に独特の優れた経済システムの構成要素なのだから、強みでなくなるはずがないという信念である。この信念と、さらに質の悪い強カな既得権益者のせいで、日本は新しい状況に見合うようなシステムの変更を行なわなかった。その結果、システムも「死に体」と化したのである。
経済が死に体であれば、アメリカによって設計され、支援されていた日本の政治システムもまた死 に体である。日本を外から見てきた私にとって、この一〇年の日本の歴史で最も不可解なのは、経済があえぎ続け、政治指導者が公約不履行を繰り返し、紛れもない詐欺や汚職といった不正行為が暴露されたにもかかわらず、全く政権交代が起こらなかったことである。
一時的に細川護煕が首相となった一九九三〜九四年を除いて、自民党は現在までずっと政権を握り続けている。細川政権誕生のあの時ほど、野党が新しい政策を提示し、国民が新しい指導者にチャンスを与えるのに、おあつらえ向きの状況はなかったはずなのに、そうはならなかった。自民党に三〇年間在籍する政治家である小泉純一郎が新しい指導者になっても、もちろん何も起こらなかった。
政権交代が実現しなかった理由は、その腐敗した選挙制度に加え、自民党に支持者層をつなぎとめておく能力があったためだ。自民党の票田となる有権者に対して、政府による補助金や公共事業という形でカネを気前良くばらまくことで、自民党が支持基盤をがっちりと固めたシステムが、日本では今なお残っている。ただし、先に行なわれた自民党総裁選を見てみると、小泉氏は利権につながる古い派閥政治を叩き潰すことで、新しい自民党を内から作ろうとしているようにも見えるが。
また、韓国の場合と違って、日本の民主主義には、自民党に代わって政権を担当できる政党を育てる能力がなかったため、政権交代が起こらない。その理由の一つは、自民党とアメリカの特別な関係が寄与している、ということだ。細川政権は二〇〇〇年までに米軍が沖縄から撤退することを求めたが、その細川政権が退陣し、自民党が再び政権を握る現在では、旧来の協定が有効なまま、米軍はまだ沖縄に駐留している。
冷戦が終結し、世界経済のグローバリゼーションが進むなかで、日米関係の問題点はすでに明らかになっている。現在のような日米関係は、とっくに破綻した日本の政治経済システムを延命させるばかりでなく、日本が自身のアイデンティティを再定義するうえでも、また日米双方にとって有益となるはずの成熟した対外関係を日本が発達させるうえでも、ますます弊害となっていくだろう。
日米安保条約の目的は、ソ連を牽制し、アメリカの影響力を強化し、日本の力を抑制することだ生言われてきた。つまりアメリカの存在は、日本を共産主義国家のソ連と中国から防衛するだけでなく、近隣諸国の脅威にさせない役割も果たしていた。
実際、アメリカと日本の関係は長いこと、親と子供の関係のようなものだった。親であるアメリカは、未熟な日本が「成長」して責任を担うのを促してはいるが、一方で、日本が完全に自立できるとは思っていない。反対に、未熟な日本はアメリカが親のように監視することに不満を持ちながらも、完全に責任を担わなくていいことを利用している。どちらの側にも非常に複雑な心理があり、それはどちらにとっても健全ではない。
たとえば、国連安全保障理事会の問題にしてもそうだ。日本は安保理の常任理事国になりたがっており、確かに日本の経済的影響カを考えれば、そうなってしかるべきだろう。しかし、安保理は時として、理事国の軍隊を交戦地域に送る決断をしなくてはならない。戦闘が予想される所には軍隊を派遣しないと言っている国が、本当に理事国になれるだろうか。
それに、常任理事国になるということは、アメリカの支配下にある日本にかなりの自治権を与えることになる。それを知っているはずのアメリカが、本当に日本の常任理事国入りを望んでいるだろうか。さらに言えば、日本を近隣諸国の脅威にさせないというお題目もまた、問題をいっそう複雑にしている。
重要な同盟国であるアメリカがアジアの他の国々に対して、日本を再軍備させることはないし、日本に自国防衛や外交の政策責任を担わせて中国や韓国との問に緊張をもたらすようなこともしない、と言っていることを、日本はどう思っているのだろう。また、そうしたアメリカの言葉がアジアの一部の国に安心感を与えていることを、日本はどう思っているのだろうか。(P374−P379)
「ならずもの国家アメリカ」 クライド・プレストウィッツ著:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062116480/250-7646679-0793855
(私のコメント)
クライド・プレストウィッツ氏は自ら書いているように「ジャパン・バッシャー」の一人だった。そして85年のプラザ合意の背景を市場とワシントンからの圧力によるものと説明している。それは市場の圧力が臨界に達していたのと、ワシントンの日本に対する政治的制裁の意味を持っていた。その結果円は1ドル240円台から一気に120円台に上昇してしまった。不思議なことに18年たった現在も120円を中心に円ドル相場は上下動を繰り返している。この水準は市場と政治的圧力のバランスで調整されているようだ。
プレストウィッツ氏が指摘している票の格差から来る地方に有利な選挙制度から、日本の政党がなかなか都市型の政党に脱皮できないでいることや、日本の行政が官僚主導で各大臣の国会答弁まで官僚が代筆している官僚主導体制や、裏取引による国会審議の空洞化の指摘はいまだに改まる気配がない。
悪名高い公共工事が止められないのも自民党が圧倒的に地方議員が主導権を持っており、高速道路の建設はうやむやのうちに元の木阿弥に返りそうだ。確かに日本を高速道路網で結ぶ計画は実施すべき計画だ。しかしながらその建設は非効率そのもので、地元業者の都合で工事区画はいくつにも区切られ、1年で出来る工事を数年に分けて作り、非常にコストの掛かるやり方をしている。
官僚主導の政策運営もなかなか改まらず、国務大臣の権限をいくら強めても、政策を立てる事自体を役人に丸投げしている状態では、官僚天国は改まらず天下り天国は解消できない。国会審議も実質的討議が行われず、肝心なことはみんな政党同士の裏取引で決着されている。いったい官房機密費の問題はどこへ消えてしまったのだろう。いまだに国会審議が止まるたびに与党側から札束を抱えて野党に持ってゆくという習慣は改まったのだろうか。
日本はすでに都市型国家になっているにもかかわらず、国家の政策運営は農村型政策運営がそのまま行われている。海外と自由貿易協定を結ぼうにも農村の意見で実現が出来ず、農村への補助金ばら撒き行政はなかなか変わらない。これらの制度で国家の財政支出は膨らみっぱなしで毎年40兆円もの財政赤字はなくなる気配がない。
もしこれらの財政を都市再開発やサービス産業の育成やハイテク産業の育成に当てていたら、景気は回復し税収入は伸びて財政の健全化も出来たことだろう。ところが財政の多くが地方への所得再分配のために使われてしまって、かえって日本の産業構造の改革を遅らせてしまっている。その原因を遡ってゆけば選挙の一票の格差が是正されないためだ。いまだに都市部の住民が税金を支払い、地方がそれを使っている。
日米関係も健全なる野党が育たないために、政権交替が出来ないでいる。その原因はなんだろうか。自民党政権が親米的になればなるほど、野党は反米的にならざるを得ない。小泉内閣がイラク派遣で積極的になれば民主党は反対せざるを得ないだろう。だからワシントンも反米政権が出来るのを恐れ政権交代を容認できないでいる。
ワシントンは反米政権が日本に出来れば、日本の米軍基地の撤去や日米安保の破棄に繋がるのではないかと恐れている。現に細川内閣で沖縄の米軍基地の撤去の話が出た。同時に朝鮮半島の動きも連動して不穏になった。日本から米軍がいなくなれば朝鮮半島と台湾は一気に中国側に飲み込まれるだろう。その結果アメリカは東アジアの覇権を失う。だからアメリカは日本の政権交代にナーバスにならざるを得ない。
韓国で反米政権が出来ましたがアメリカにとっては痛くも痒くもないだろう。現に米軍撤退を仄めかしたとたんノ・ムヒョン政権は親米的政策に切り替えた。もし日本に反米政権が出来たらアメリカは素直に日本から出て行ってくれるだろうか。もしできるのであれば自民党にこれ以上肩入れすべきでないだろう。日本の構造改革を遅らせているのは日本が政権交代して反米政権が出来ることを恐れるアメリカ自身にあるのではないか。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu61.htm