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http://kikuchiy.com/column/column48.htm
日本人よ、前を見るな、振り返って世界を見ろ!
◆イラク攻撃にアメリカの正義は存在しない
いよいよアメリカのイラク攻撃が現実的になってきた。日本はイージス艦 の派遣を決定し、
戦争に大きく加担する第一歩を踏み出した。
果たして、イージス艦の派遣は是か非か? 日本がアメリカのイラク攻撃 に加担することは
是か非か? こう問うことは、悲しいかな、意味がない。な ぜなら日本に選択肢は無いから
である。アメリカの意向イコール日本の意思 だからだ。それが我々日本人の戦後57年の歴
史から導き出される答であ る。残念ながらそれが今の日本の“分”というものなのだ
(column20参照 http://www.kikuchiy.com/column/column20.htm )。
アメリカの意のままに、イージス艦を出せと言われたのなら出すしかない。後 方支援をして
くれと言われればするしかない。金を出せと言われれば出すし かない。人を出してくれと言
われれば出すしかない。汗を流してくれと言われ れば流すしかない。血を流してくれと言わ
れれば流すしかない(まさかアメリ カ人の弾よけになってくれとまでは言われないだろうが…
…)。
かように日本に選択肢はない。しかし、私はアメリカのイラク攻撃そのものを 支持している
わけではない。まして、戦争というものを肯定しているわけでも ない。
だいたいが、アメリカのイラク攻撃にはそれを正当化するだけの決定的“根 拠”がない。イラ
クがテロ支援国家であるという明確な証拠が提出されてい ないし、イラク−イラン−北朝鮮を
名指ししての“悪の枢軸”という敵対勢力 の区分じたい、戦争をするための口実作りにしか
見えない。
昨年の9・11テロに対する報復としてのアフガン攻撃が根本的な解決に結び ついていない
といういら立ちが、戦争の拡大という幼児的なマッチョイズムと して表出しているようにしか思
えないのである(無論、その背景には中東の 石油利権に絡む軍産複合体の思惑やグロー
バリズムの貫徹による世界的 な利権の獲得といった邪悪な欲望が蠢いているのだろうが)。
イラク攻撃がこのような“戦争のための戦争”であるなら、それは人類史にお ける犯罪であ
る。最大のテロ国家が実はアメリカそのものであったという立 証にしかならない。それは、軍
事的にも経済的にもあらゆる面において圧倒 的な力を誇る強国アメリカが、イラクという弱小
国家を蹂躙するという“弱い者 いじめ”でしかない。
そこにアメリカの正義は存在しない。
しかし、である。これを“歴史の胎動”という視点で捉えるとまったく違った様 相が見えてくる
のである。
歴史とは動くものである。一つところにとどまったまま永久に静止していると いうことはあり
えない。水が高いところから低いところに流れて行くように、そ れは一つの真理を表してい
る。歴史とは“動く”ことが常態であり、“とどまる こと”が非常事態と言えるのである。“動くこ
と”それが真理である。そこに正 義とか善悪という基準は存在しない。
世界史は今急速に蠢きつつある。9・11同時多発テロがその発火点となった のである。9・
11は眠りつつあった“歴史の見えざる力”を揺さぶり起してしま った。つかの間眠らせている
こともできたであろうその力をあろうことか目覚 めさせてしまったのである。
アメリカのイラク攻撃はもはや9・11に対する報復という枠を超えてしまってい る。それは9・
11を大きく逸脱して“歴史の見えざる力”の発動という人類史レ ベルの大きな流れの中に飲
み込まれつつある。そこにアメリカの正義は存在 しない。なにせ、アメリカの意思さえそこに
は存在しないのだから……
今や、9・11はたんなる契機でしかなくなってしまった。今やブッシュの意志 そしてアメリカ
国民の意思を超えて歴史が動き出している。この動きを止める ことは誰にもできないだろう。
ましてや、日本なんぞ、その大きな流れの中で は大海の小船でしかない。歴史の裁断は必
ずや下される。歴史の鉄槌は必 ずや振り下ろされることになるだろう。そこに日本の意思が
介入する余地は 微塵も残されてはいない。
◆“歴史の鉄槌”が下されるのはブッシュかフセインか?
イラク攻撃は人類史の胎動の一過程に飲み込まれた。よって、イラク攻撃 自体を9・11への
報復の延長として捉えて、その有効性を論じたり、その正 義を善悪という基準で捉える視点
には意味がない。“歴史の蠢き”。それ自 体に真理を見なければならない。
ブッシュはクレージーである。そして、戦争ジャンキーである(若い頃ドラッグ 常習者だった
ようだし)。これは間違いない。しかし、一方のフセインはどう だ? ブッシュに負けず劣らず
の“ならず者”である。これも間違いない。だい たい、戦争の危機が迫っているというのに、イ
ギリス仕立てのスーツなんか 着込んで嬉々としている場合か? ブッシュにもフセインにも正
義はない。
しかし、どちらに正義があるのか? どちらが善で、どちらが悪なのか、という 視点にも意味
はない。どちらが“歴史の見えざる意思”にかなっているの か? どちらが“歴史の真理”によ
り忠実であるのか? そこを見る必要があ る。
その視点から見れば、アメリカには理があるが、イラクにはない。ブッシュは 歴史を味方に
つけているが、フセインは歴史から見放されている。これが事 実である。
歴史の真理という水はイラクという低いところに流れていく。歴史の鉄槌はイ ラクに下される
ことになるだろう。歴史とは“動いている”ものが“停滞してい る”ものを飲み込んで行く過程
である。“強いもの”が“弱いもの”を取り込ん で行く過程である。“強者”の論理が“弱者”を
貫徹する。それが歴史である。 その逆はありえないのである。
アメリカは歴史が動いてきた結果として今強者として存在する。一方、イラク は歴史が停滞
してきた結果として弱者として存在する。動いてきた文明と停 滞してきた文明が出会えば、
停滞してきた文明はひとたまりもない。それは 善悪ではなく、歴史の真理なのである。
今、世界史はアメリカという強者がイラクという弱者を飲み込むという必然的 な流れの一過
程にある。それは前世紀から続いている“世界史の完結”とい う大きな流れの中に位置づけ
られることができる。
“世界史の完結”。それは、民主主義=資本主義が全世界を包囲するという 歴史の見えざ
る力の貫徹のことである。この流れは止められないし、それに 逆らうものは歴史の反逆者と
して歴史の鉄槌を食らうことになるだろう。
◆アメリカのテロ行為が“歴史の真理”へと反転する鍵。それは日本が握っている
ブッシュに正義はない。そして、フセインにも正義はない。そこにあるのは、 歴史の真理と
いう冷徹で無慈悲な裁断だけである。だが、ブッシュは高い所 にいる。歴史の鉄槌が下るの
はフセインなのである。
では、このような歴史の裁断の前にブッシュのもとに先導されるアメリカの 行いはすべて肯
定されるのだろうか? いや、違う。歴史の胎動の前にブッ シュの意思は小さなものでしか
ない。しかし、ブッシュが人類史に最悪のテ ロリストとして名前を残すのか、はたまた、歴史
の真理の体現者としてその 汚名をまぬがれるのか、それはまさに彼の意思一つなのであ
る。
アメリカのイラク攻撃。この一見、無慈悲でしかない凶悪なテロ行為を“歴 史の真理”に反
転させうるもの。実はその鍵を握っているのがほかならぬこ の日本なのである。
アメリカが戦闘を開始し、ミサイルの雨あられを降らせ、イラク国民を虐殺 し、フセイン政権
を打倒する。これは歴史の止めようもない流れとなってい る。悲劇だがどうしようもない。しか
し、問題はこの後である。
その後、ブッシュは占領統治を行い、民主的な政権を作るところまでしっか りと視野に入れ
ているのだろうか? 日米戦争の終結後、日本を占領し憲法 を作り民主主義をもってして日
本を一変させたように、イラク国民を解放する ことを目的に、民主的な政権を樹立するところ
まで統治を貫徹するつもりなの だろうか?
そのつもりであるなら、それは“歴史の真理”にかなうものと言え るのである。そのために
はアメリカ軍も多大な犠牲をはらうことになるだろう。アメリカ国 民が多くの血を流すことにな
るだろう。しかし、そこまでの覚悟で望むつもり であるなら、それは“歴史の真理”として人類
史に刻まれる。
だが、血を流すことをためらい、湾岸戦争のような一方的な攻撃に終わる のであればそれ
は犯罪でしかない。国家テロである。無垢なるイラク国民の 大量虐殺である。それは人類史
における大犯罪でしかない。
アメリカはそこまでの犠牲をはらい、多くの血を流す覚悟があるのか? 日 本はそこをしっ
かりと見極めておく必要がある。しかし、日本はこの過程に至 るまで何もすることはできな
い。ましてや、その力もない。アメリカの意向にな らって全面的な協力を惜しまないことだけ
である。
しかし、この後がまさに日本の出番なのである。
日本ができること。それは日本がたどって来た歴史的な軌跡をそのままイ ラクに再現させ
ることである。アメリカに完膚なきまでに叩きのめされ、力によ る恭順を受けいれることによっ
て歴史的に再生した日本の奇跡を、世界史に おける奇跡の軌跡としてイラクに再現させるこ
とである。
日本も、そして、イラクの文明的基盤であるイスラム教もともに千年以上の歴 史を誇ってい
る。そして、その歴史の果てに西欧民主主義(資本主義)と出 会い、その勢力の膨張過程に
おいて“異物”としてみなされ、排除の対象と されるという経緯をたどってきた。
もちろん、第二次世界大戦時における日本の存在が現在のイラクとまったく 等しいわけで
はない。両者は一見似ていもいるがまったく非なるものだ。そう ではなく、力の強い文明がよ
り弱いものを飲み込んでいくという“歴史の真 理”においては、イラクの置かれた立場は戦前
の日本と“構造的に”等しいと いうことを言っているのである。
そして、日本は結果的に西欧民主主義(その最終ランナーのアメリカ)に飲 み込まれた。完
膚なきまでに叩きのめされた。歴史の鉄槌を食らった。天皇 制は解体され、アメリカから民主
主義を頂戴した。
しかし、それは真の日本の敗北というわけではなかった。民主主義を頂戴 し、アメリカ万歳
に一変し、そこで経済大国として再生した。日本は経済大国 として再び世界史の表舞台へと
登場してきたのである。日本は戦争に負け ることによって勝ったのである。負けて勝つ。これ
を世界史の奇跡と言わずし て何と言おうか?
日本は確かに戦争に負けた。しかし、そこで数千年の歴史を誇る日本の文 明的基盤が完
全に失われてしまったわけではない。民主主義(資本主義)を 受け入れることが、独自の文
明の完全な喪失に結びつくわけではないので ある。ここに、イラクが生き残る大いなるヒント
が隠されているのではないだろ うか? フセイン独裁体制打倒後の、世界秩序の構築への
偉大なる叡智が 秘められているのではないだろうか?
歴史の鉄槌を受け入れ、そして、新たな再生をめざすこと。その可能性を示 すことにしか、
その世界史の奇跡をまさに生きたモデルとして示すことにしか 今の日本ができることは存在
しないのである。
◆ブッシュは織田信長ではない−世界史と日本史の途方もないズレ
最後に繰り返す。私はアメリカのイラク攻撃を支持しているわけではない。そ して、戦争と
いうものを無条件で肯定しているわけでもない。私にとって戦争 とは忌避すべきものでしかな
い。
しかし、それはこの2002年という21世紀を生きる日本人として、その日本人 が到達した“境
地”から発せられる言葉であって、それがアメリカやイスラム の人間たちに届く言葉なのかと
いうと、私には自信がない。
そして、今、この言葉をブッシュや彼を支持するアメリカ国民、その攻撃の脅 威にさらされ
ているフセインや彼を100%支持するイラク国民に押しつけようと いうほど私は傲慢ではな
い。
世界は戦争というのものが“絶対悪”だという認識にまで至っていないのであ る。私はその
認識に至っている。そして、日本はそうした認識を実感として感 じられる境地に到達している
のである。しかし、悲しいかな日本人はそれを 表現する言葉を獲得するところには至ってい
ない。その境地を普遍性にまで 昇華させるところまでには到達していないのである。
そこに世界史の“前衛”としての日本そして日本人の置かれた難しさがあ る。人は他人より
も3歩すすんでいれば世の中の先導者となれる。そして5歩 すすんでいれば天才と呼ばれる
こともできる。しかし、100歩すすんでいた場 合、その人間は単なる変人であり狂人でしかな
いのである。そして、それが 日本である。小泉純一郎が変人なのではない。日本そのものが
世界史から 見れば変人なのである。
世界を見渡せば、そして、世界史を見れば、“戦争”はいまだ存在している。 世界はそれを
絶対悪として捉えるという境地にまでは至っていない。アメリカ しかり、イラクしかりである。
アメリカのイラク攻撃をやめさせる普遍的な思想 −それを正義とする根拠がないのと同じよう
に−を人類は獲得するまでには 至っていない。これが残念ながら事実なのである。
無論、イラク国民がアメリカの攻撃によって殺されるのは見るに忍びない。罪 のないイラク国
民が犠牲になるのをただ黙って見ていて心が痛まない日本 人はいないだろう。
しかし、この戦争を、平和憲法があるから日本は参戦できないんだ、人が死 ぬから悪なん
だ、戦争は絶対悪だからダメなんだ、という視点に逃げて捉え ないでほしい。ましてや、「ダ
メなものはダメ」などという社民党的姿勢は最低 の態度というしかない。
「戦争のために命を落とすなんてバカらしい」。このような境地から振り返って 世界を、世界
史を、そしてこの戦争を見て欲しい。それは後ろを振り返る視線 である。そして、このような後
ろを振り向く視線を持ちえているのは世界で 我々日本人だけである。
一向宗を徹底して弾圧しきった織田信長を日本史の偉人として敬愛するあな たなら、その
視線をきっと持ちえるはずだ。もちろん、イスラム原理主義者を、 そしてイラクを叩こうとしてい
るブッシュは織田信長ではない。ブッシュを織田 信長とするには、ブッシュにはあまりにもカ
リスマ性と品位が欠けている。そ して、何よりも知性に乏しい。
世界史は今、日本史に照らせば一向一揆に手を焼く安土桃山時代のような ものだ。しか
し、悲しいかな、世界史には織田信長はいない。せいぜいが ブッシュだ。その絶望的事実を
考えれば、日本史が、そして、日本人が到達 している立ち位置がどの辺にあるのかわかろう
というものだ。
いたずらに平和憲法を振りかざすことが能なのではない。日本史と世界史の その途方もな
いズレ、それをまず認識することが真の叡智なのである。日本 人よ、前を見るな、振り返って
世界を見ろ。