現在地 HOME > 掲示板 > 戦争44 > 1134.html ★阿修羅♪ |
|
こんばんわ。
読みづらい機械翻訳の投稿で、ご迷惑をおかけしております。
自分は英語を読めないものですから、申し訳ありません。
ここしばらくは機械翻訳のスタイルで投稿させてください。
1)自分は現在、イラク統治機構の権力分析と、英米占領軍の分析が必須だと感受しております。
とくに英軍の動きが、まったく報道されないことは、不気味です。
表が米軍で裏が英軍なのでしょうか・・・
日本の大企業のセキュリティ情報はロンドンに筒抜けか
http://www.asyura2.com/0311/bd32/msg/373.html
投稿者 HAARPさん。
このスレッドは重要であると思います。小泉総理はロンドンの代理人です。
奥氏の暗殺はロンドンで決定されたのか・・・・これも謎です・・・
2)井ノ上氏奥氏を暗殺したのは米軍第4歩兵師団であると、自分は仮説を提示させていただきました。
今回のサダム捕獲も第4歩兵師団であります。
井ノ上氏奥氏に誘導芸術をしかけた11/29ティクリートでの復興支援会議の謎・・・・
そして、今回のティクリートでのサダム捕獲・・・・
第4歩兵師団に関する記事を集めてみました。
アメリカ陸軍歩兵師団
http://www.phantom-web.com/database/army_nicname/
●憲法改正なきまま、自衛隊をイラク戦場に派兵する小泉国家権力は、国是をみずから踏みにじっております。
この進行は、国際社会から「日本は国是と法を平気で犯す国」として認定され、
どこの国からも信用されなくなってしまう、日本瓦解の過程であります。
ビックコミック連載、かわぐちかいじ氏による『太陽の黙示録』は、日本国民が難民となってしまった物語です。
自分にも、このままであれば、日本国民は難民となってしまう、強烈な危機感があります。
戦争はおのれの生活とダイレクトに直結します。戦争は国民の生活を破壊します。
自分は貧乏人でありますが、それでも生きております。この生存に感謝しております。
日本マスメディアが過去、どういう存在であったのかは、すでに
第2次世界大戦過程における、誘導芸術で証明されております。
しかし、日本マスメディアは「戦争の責任をすべて軍部に押し付け」、「英米世界権力のメディア」として
生き残ってまいりました。今や「第4の権力と既得権再分配同盟」を上部においてを形成しております。
感性と思考を停止させ、世界戦争体制のマシーン部品として、国民を組み込んで行く報道圧力・・・・
12/15衆議院国会でも「井ノ上氏・奥氏暗殺の真相」を小泉政権に質問したのは
社民党の照屋氏だけでした。
小泉総理の世界観は911世界戦争計画としての「対テロリズム世界大戦」です。
小泉総理の目的は世界権力の代理人として、テロリズムを誘導芸術することです。
「日本の基礎基盤を全面的に破壊する」これが小泉政権の動物的身体です。
●日本の季節は世界でもっとも美しいといわれております。
「平和ボケ」などと、マスメディアに登場する扇動人は、日本に圧力を加えております。
人間は平和のうちにボケていくことが、悪いことであるのでしょうか・・・・
美しい季節のなか、人々は必死に生きております。生活とは闘争です。
ボケた高齢者が父親・母親である以上、その家族は必死です。「ボケ」の現状も家族は闘争です。
自分の母親は大正産まれですが、大正産まれの人々は青春期が第2次世界大戦であったゆえに
「地獄からの怨念」をかかえ、「ボケ」に入りますと、まさにすざましい動物性を身体深部から発動させます。
自分の母親はいま病院に入院しておりますが、一緒にアパートに住んでいたとき
自分はその動物性を毎日、突きつけられ、過去の母親像との落差に前に崩壊しました。地獄です。
毎日、怒鳴り会いです。人間とは動物でもあったのです。
ご飯を食べさせても、10分後には忘れ、「食わせろ!」と叫びます。
くそと小便は部屋に垂れ流します。人間とはまさに動物でもあったのです。
自分はこれ以上、母親と住んでいたら、母親を殺してしまうと判断し、あらゆるところと相談しながら
病院に入院させていただきました。
「ボケ」た高齢者をかかえる家族は、「平和」どころではなく、「地獄」の日々であり、生活の闘争です。
日本の美しい季節がなければ、この地獄は救われません。
第2次世界大戦に破壊された深部からの鬱積を、いまも日本の家族は、毎日の生活で背負っております。
国際金融家にして世界戦争プランナーラムズフェルドにとっては、戦争は快楽の人殺しゲームです。
しかし庶民にとって戦争とは地獄です。
そして自衛隊をイラク戦場に送り出す家族がいるのです。家族とは生活の場であり、社会の基礎です。
そして生活の場です。生活を維持し生活を保守することは、壮大なたたかいです。
「平和ボケ」を憎悪する権力政治屋は世界権力に認められ、さらに身分は世界システム構成員として上昇します。
「平和ボケ」を否定するために、自衛隊員がイラク戦場に行くなら、それは不幸です。
そしてこの不幸は家族が一身に背負っていくのです。
●自衛隊員の不幸は、国是から日本国軍として認証されていないことです。
いまなお、日本世論の分裂の上に、かろうじて成立しています。
既成事実としては軍隊ですが、日本国憲法という国是からは論理として否定されております。
「法」とは徹底して論理です。論理として説明できない軍隊は、戦場において遭難してしまいます。
----------------------
AP(WEB機械翻訳)
Monday December 15, 8:51 AM
Close Calls Preceded U.S. Raid for Saddam
Eight months and four days after the fall of Baghdad, it fell to soldiers of the 4th Infantry Division and a secretive team of commandos to pry Saddam Hussein from a hole in the ground far smaller than the craters made by U.S. bombs that missed him on the war's opening night.
バグダッドの秋の後の8か月4日、それは第4の歩兵部門の兵士、および穴からのサダム・フセインを引き出すゲリラ隊の隠し立てするチームに落ちました、その、戦争の初日の夜の上で彼を逃した米国の爆弾によって作られた火口よりはるかに小さく挽きました。
Untold numbers of close calls had raised questions in some quarters about the quality of U.S. intelligence.
危機一髪の脱出の話されない数は、米国の知能の質に関する数四半期で質問を持ち出しました。
But senior military commanders, including Maj. Gen. Raymond Odierno, whose 4th Infantry is responsible for the Tikrit area that is Saddam's tribal home, had expressed confidence they would get him.
しかしMajを含む上級の軍司令官。レイモンドOdierno将軍(その第4の歩兵はサダムのであるTikritエリアに責任を負う)種族、家へ、それらが得る確信を示した、彼。
Military and intelligence leaders began a more concerted effort a few weeks ago to penetrate Saddam's inner circle, systematically capturing or interrogating supporters and family members in the area around Tikrit, U.S. officials said.
軍事、また、知能リーダーは、サダムのTikritのまわりのエリアの側近グループ、系統的に捕らえる支持者あるいは質問する支持者、ならびに家族に浸透するために数週間前にもっと協力を始めました、米国の高官は言いました。
"A combination of human intelligence tips, exceptional intelligence analytical efforts and detainee interrogations narrowed down the activities of Saddam Hussein," said Lt. Gen. Ricardo Sanchez, commander of all coalition forces in Iraq.
「人知先端のコンビネーション、分析的な努力および拘留者質問が限定した、例外的な知能、サダム・フセインの活動。」リカード・サンチェス中将(イラクのすべての連合軍の指揮者)は言いました。
It turns out that some of the earlier information about Saddam's whereabouts in Baghdad was probably accurate. American bombs narrowly missed him the first time and, in a second attempt, he fled with moments to spare, U.S. intelligence officials said.
サダムのバグダッドの行方に関する初期の情報のうちのいくらかが恐らく正確だったことが判明します。アメリカの爆弾は厳密に最初彼を逃しました、そして、直ちに試みる、彼は、節約するべき瞬間で逃れました、米国の情報当局は言いました。
The officials now believe that Saddam was staying at a small palace March 19 when U.S. planes bombed the compound _ but missed him _ as American forces were poised to invade Iraq.
職員は、アメリカの軍隊がイラクに侵入するように用意を整えたとともに小さな宮殿にサダムが3月19(米国の飛行機が合成の_を爆撃したが、彼を恋しく思った)日の_を配置していたと今信じます。
The sources also believe Saddam fled a house in a wealthy neighborhood on the city's west side on April 7, just minutes before Air Force bombs destroyed it.
その出所は、さらに空軍爆弾がそれを破壊するちょうど数分前に、4月7日にサダムが都市の西の側の豊富な近隣の家から逃げたと信じます。
But the search later focused on Tikrit and on Friday, the 4th Infantry captured 22 individuals in the area.
しかし、その探索は、その後Tikritと金曜日に注目しました、第4の歩兵は、そのエリアの22の個人を捕らえました。
The intelligence effort paid off as one of Saddam's family members provided the information that triggered Saturday's successful raid, Odierno said. They found the former Iraqi dictator in a 6-foot-deep hole. He had a long salt-and-pepper beard and was armed with a pistol he did not use.
サダムの家族のうちの一人が土曜の成功した襲撃を引き起こした情報を提供したとともに、知能努力が成果をあげた、とOdiernoは言いました。それらは深さ6フィートの穴に元Iraqi独裁者を見つけました。彼は長い霜降りのあごひげを持っており、彼が使用しなかったピストルで武装しました。
Ironically, the work of capturing Saddam fell to the 4th Infantry. One of the Army's elite mechanized divisions, it missed most of combat operation in Iraq as it awaited Turkey's elusive permission to invade Iraq from the north. Division soldiers arrived in Iraq in April, shortly after the fall of Baghdad.
皮肉に、サダムを捕らえる仕事は、第4の歩兵に落ちました。軍隊のエリートのうちの一人は区分を機械化しました、それは、北からのイラクに侵入するトルコの捉えがたい許可を待ったとともに、イラクでほとんどの戦闘を逃しました。区分兵士はバグダッドの落下の直後に4月にイラクに着きました。
Exactly one week before the capture, Defense Secretary Donald H. Rumsfeld told Odierno during a visit to his headquarters in northern Iraq that he was "dumbfounded" that no Iraqi had shown the initiative to earn the $25 million reward offered by the State Department for information leading to Saddam's capture. Now it appears that one of his family members might get the money.
捕獲のちょうど1週間前に、国防長官ドナルドH.Rumsfeldは彼が元あったイラク北部の彼の本部に訪問中にOdiernoを伝えました「びっくりさせました」イラク語は、イニシアチブがサダムの捕獲に結びつく情報のために国務省によって提示された2500万ドルの報酬を得ることを示していませんでした。今、彼の家族のうちの一人が金銭を得てもよいように見えます。
Frequently in recent months U.S. officials got tips about Saddam. None proved out, either because the information was bad or because the search team was late.
頻繁に、最近の数か月で、米国の高官は、サダムに関するこつを得ました。情報が悪かったので、あるいは探索チームが遅かったので、どれも外に証明しませんでした。
As Gen. Tommy Franks, the former Central Command chief who ran the Iraq war, was fine-tuning his plan of attack last winter, he held out hope for an early knockout punch that would make it unnecessary to launch a full-scale air and ground assault.
トミー・フランク将軍として、イラクの戦争を実行した元中央のコマンド・チーフは、この前の冬攻撃の彼の計画を微調整していました、彼は、原寸の外見および土地攻撃を始めることを不必要にする初期のノックアウト・パンチに対する希望を抱かせました。
On March 19, as U.S. ground forces were poised to attack Iraq from Kuwait, sources told the CIA that Saddam was spending the night at a riverside compound near Baghdad, in an area called Dora Farms. It was the chance Franks had hoped for.
3月19??a日、米国の地上軍がクウェートからイラクを攻撃するように用意を整えるとともに、情報筋はドーラ農場と呼ばれるエリアで、バグダッドの近くの川岸合成物でサダムが夜を過ごしていたとCIAに伝えました。それはフランクが望んだ機会でした。
Within hours, F-117A stealth fighters rocketed toward the site, their bunker-buster bombs joining a salvo of ship-launched cruise missiles fired on the compound in the hope that Saddam could be killed. This kicked off the war and proved to be Saddam's first escape.
数時間内では、F-117Aステルス戦闘機が、サイト(サダムが死ぬことができたという可能性中の合成物に発射された、船に始められた巡航ミサイルの一斉射撃を連結するそれらの燃料庫バスター爆弾)の方へ突進しました。これは戦争を始めて、サダムの最初の回避であると分かりました。
American bombs narrowly missed the small palace where Saddam reportedly was staying even though the compound was leveled, U.S. officials now believe. While little evidence of his presence was found at the site, Saddam's associates already in custody said he was in that building during the strike, according to officials familiar with their interrogations.
アメリカの爆弾が合成物は水平にされたが伝えられるところによれば、サダムがとどまっていた小さな宮殿を厳密に逃した、と米国の高官は今信じます。それらの質問に精通している職員によれば、彼の存在を示す証拠がサイトでほとんど見つけられなかった一方、サダムの既に保護中の仲間は彼がストライキの間にその建物にいると言いました。
U.S. intelligence said Saddam's security forces, as well as emergency vehicles, surrounded the site. There were unconfirmed reports of someone resembling Saddam being wheeled away on a stretcher. Within hours, a video of Saddam, looking shaken and reading from a notepad, appeared on Baghdad television.
米国の知能は、緊急車両と同様にサダムの治安部隊もサイトを囲んだと言いました。ストレッチャー上で遠方に動かされているサダムに似ている誰かに関する未確認報告書がありました。数時間内では、振られたように見えて、ノートパッドから読むサダムのビデオが、バグダッド・テレビに現われました。
The American military's search for Saddam remained focus around Baghdad for weeks more.
米軍のサダムの捜索は、何週間ももっとバグダッドのまわりの焦点のままでした。
On April 7, an Air Force B-1B bomber dropped four bombs in the upscale Mansour neighborhood in western Baghdad, destroying three houses. Afterward, intelligence sources reported seeing Saddam go in one of the houses before the attack, but not come out.
4月7日に、空軍B-1B爆撃機は3軒の家を破壊して、西バグダッドの平均水準以上のMansour近隣に4個の爆弾を落としました。後で、情報源はサダムが攻撃の前に家のうちの1つで行くのを見ることを報告しました、しかしない、外に来ます。
In June, U.S. troops excavated the site and found no evidence of him. U.S. officials now believe he left minutes before the bombs hit.
6月に、米軍はサイトを発掘し、彼の証拠を見つけませんでした。米国の高官は、爆弾が打つ前に彼が分を残したと今信じます。
On April 18, a new video of Saddam aired, showing him outside, atop a vehicle surrounded by adoring Iraqis. Iraqis said it was recorded April 9 _ two days after the Mansour strike and the day U.S. troops overran Baghdad.
4月18日に、サダムの新しいビデオはイラク人の崇拝により囲まれた乗り物の上に、彼に外部で示して放映しました。イラク人は、Mansourストライキおよび日米軍の2日の後の4月9日の_が、バグダッドを越えたことが記録されたと言いました。
By summer, with the anti-occupation insurgency in full motion, U.S. commanders switched the focus of their Saddam hunt to the Tikrit area north of Baghdad. That put the onus on Odierno, whose Task Force Ironhorse of 32,000 soldiers has responsibility for a wide swath of northern Iraq.
夏までに、十分な運動での反占有暴動で、米国の指揮者は、バグダッドのTikritエリア北へそれらのサダムの捜索の焦点を切り替えました。それは、Odierno(32,000人の兵士のその特別対策本部蒸気機関車はイラク北部の広い一地区に対する責任を持っている)に重荷を置きました。
4th Infantry Division:
第4の歩兵部門:
http://asia.news.yahoo.com/031215/ap/d7vegbao1.html
---------------------------------------------------------------
2003年04月02日
イラク戦争:
米陸軍第4歩兵師団の第1陣がクウェート入り
--------------------------------------------------------------------------------
イラクで戦闘を続ける米地上部隊への増派部隊として投入される米陸軍第4歩兵師団の装備第一陣が1日、クウェート東岸のシュアイバ港に着いた。国営クウェート通信によると、約5000人の同師団部隊も同日、空路到着した。
米軍当局者によると、計3万人規模の第4師団の兵力は順次集結し、2、3週間後にイラクで作戦行動に入る予定。
第4歩兵師団は当初、トルコからイラク北部に入り、クウェートから北上する第3歩兵師団とバグダッドを挟撃する計画だった。しかしトルコ国会が米軍部隊の駐留を拒否したため、第3歩兵師団などを増援する形でクウェートからイラク入りすることになった。(クウェート市共同)
[毎日新聞4月2日] ( 2003-04-02-10:14 )
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200304/02/20030402k0000e030029000c.html
----------------------------------
2003年04月12日
イラク戦争:
第4歩兵師団が進軍開始 全土の完全制圧へ 米軍
--------------------------------------------------------------------------------
【アッサイリヤ基地(カタール)田中洋之】米中東軍によると、米軍の増強部隊としてクウェート入りしていた陸軍第4歩兵師団(約3万人)の一部が12日、イラク領内への進軍を開始した。北部に展開するものとみられ、海兵隊もバグダッド北郊からイラク北部ティクリートに向かっている模様だ。「世界最強のハイテク軍団」と呼ばれる第4師団の投入により、米軍はフセイン大統領の故郷ティクリートを攻略し、イラク全土の制圧を目指す構えだ。
イラク側の「最後のとりで」とされるティクリート攻略作戦について、米中東軍のブルックス作戦副部長は12日の会見で、「ティクリートが陥落しても戦闘停止にはならない」と慎重な見解を示した。しかし、同地を制圧すればイラク全土で大規模な戦闘がなくなることが予想され、3月20日から始まった軍事作戦は事実上、終息へ向かうことになる。
ティクリート周辺では米軍が大規模な空爆を続け、米軍特殊部隊とイラク側の戦闘も伝えられているが、戦闘の規模は明らかでない。第4師団の現地到着には少なくとも数日かかるため、海兵隊と特殊部隊が攻撃の主体になる可能性もある。イラク側部隊は既にティクリートを放棄したとの報道もあり、激しい戦闘なしに米軍が制圧することも考えられる。
米軍は12日、首都バグダッドでイラク民兵やアラブ諸国からの義勇兵が支配していた西部のマンスール地区を制圧した。また米中東軍のソープ報道官は同日、首都南西の国際空港を拠点に、来週初めにもテレビ・ラジオの放映を開始する計画を明らかにした。
中東軍によると、米軍はイラク西部で、米兵殺害に報奨金を与えるとの手紙を持った男性59人を拘束した。これらの男性はバスでシリア方面に向かっていた。
また南部バスラを制圧している英軍は12日、略奪の横行など無秩序状態に陥っている市内の治安回復のため、英軍と地元警察が近く共同パトロールを開始する計画を明らかにした。
[毎日新聞4月13日] ( 2003-04-13-01:35 )
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200304/12/20030413k0000m030107001c.html
----------------------------------------------