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(回答先: 調停案拒否でロシア激怒 モルドバ、欧米の意向配慮【共同通信】 投稿者 荷電粒子 日時 2003 年 12 月 01 日 22:53:02)
1. 内政
(1)政治情勢
94年7月に新憲法が採択され、民主化・市場経済化路線を歩んでいる。96年12月に行われた大統領選挙では、中道社民主義を標榜するルチンスキーがスネグル前大統領を僅差で破り当選。98年3月の議会選挙の結果、中道右派による連立政権が誕生したが、議会では議席の4割を占める共産党との対立が強まっていた。
2000年7月、議会は、大統領選挙を国民による投票ではなく議会により選出するとの憲法改正法案を成立させ、同年12月には、独立後初の議会による大統領選挙が実施された。しかし、議会は大統領の選出に失敗し、ルチンスキー大統領は議会を解散した。2001年2月25日に行われた議会選挙では、共産党が101議席中71議席を獲得。4月4日、ヴォローニン共産党党首が大統領に選出され、7日に就任した。共産党は、ロシア語公用語化、ロシア・ベラルーシ連合国家への参加を公約として掲げていたが、議会選挙後は、対外政策における現状維持等、現実主義路線をとる意図を表明している。
(2)沿ドニエストル問題
90年9月、ドニエストル川東岸に入植していたロシア語系住民がモルドバの民族主義的政策に反発して「沿ドニエストル共和国」の独立を宣言。91年12月には武力紛争に発展し、駐留ロシア軍(第14軍)も介入、多数の犠牲者を出した。92年7月にロシアとモルドバの間で和平解決に関する協定が調印された。
沿ドニエストル地域は事実上「沿ドニエストル共和国」が統治しており、中央政府の支配は及んでいない。94年10月には駐留ロシア第14軍の3年以内の撤退も合意されたが、右合意はロシア議会の承認を得られず未実施。しかし、97年5月モルドバと「沿ドニエストル共和国」との間で関係正常化の基本に関する覚書が署名され、紛争の解決に向け大きな一歩を踏み出した。1999年には、OSCEイスタンブール首脳会合において、ロシア軍が2002年を期限として撤退することが決議されたものの、武器・弾薬の処分、軍の撤収は進んでいない。
2. 外交基本方針
憲法に中立路線が明記されている。将来的にはEU加盟を目標としつつ、近隣諸国との関係を重視した現実的外交を進めている。ロシアとの間ではエネルギー債務問題や沿ドニエストル地域に駐留するロシア軍の問題を抱える。
なお、同国は歴史的・文化的にルーマニアとの繋がりが極めて強い。しかし、ルーマニアとの統合問題に関しては、94年3月の国民投票で90%が国家としての独立を支持し、統合支持は10%にも満たなかった。2001年2月の議会選挙で勝利した共産党は、ロシアとの関係を強化するとの意図を表明している。
3. 軍事力
地上軍及び空軍からなり、兵員数約10,000人。駐留ロシア軍については現在地上軍1個師団(約2,000人)が沿ドニエストル地域に駐留している。(99年のOSCEイスタンブール会議で2002年までの駐留ロシア軍の撤退が決議された。)
[2001年11月1日 現在]
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/moldova/data.html